師導古典を学びたいすべての人に

慎思録 / 巻之五

東坡曰。賈誼志大而量小。才有餘而識不足也。愚謂。東坡如惡伊川一事。其量之褊小可知也。且陷溺佛老。往往說怪誕狂妄之事。則其識不足。亦可知也。其所議賈誼便是。而自知便暗。古語曰。知人謂之知。自知謂之明。誠哉自知之至難也。

新字:東坡曰。賈誼志大而量小。才有余而識不足也。愚謂。東坡如悪伊川一事。其量之褊小可知也。且陥溺仏老。往往説怪誕狂妄之事。則其識不足。亦可知也。其所議賈誼便是。而自知便暗。古語曰。知人謂之知。自知謂之明。誠哉自知之至難也。

書き下し

東坡曰く、賈誼は志大にして量小、才余り有りて識足らず、と。愚謂ふ、東坡の伊川を悪むの一事の如き、其の量の褊小なること知るべし。且つ仏老に陥溺して、往往怪誕狂妄の事を説く。則ち其の識の足らざること、亦知るべし。其の賈誼を議する所は便ち是なるも、自ら知ることは便ち暗し。古語に曰く、人を知る、之を知と謂ひ、自ら知る、之を明と謂ふ、と。誠なるかな自ら知るの至難なるや。

現代語訳

蘇東坡は「賈誼は志は大きいが度量が小さく、才は余りあるが見識が足りない」と言いました。私が思うに、東坡が伊川を憎んだ一件を見れば、東坡の度量が狭いことがわかります。また仏教や老荘に溺れて、しばしば怪しくでたらめなことを説いています。その見識が足りないこともわかります。賈誼を論じたところは正しいのですが、自分のことを知るのは暗いのです。古い言葉に「人を知るのを智といい、自らを知るのを明という」とあります。まことに自らを知ることはこの上なく難しいのです。

解説

蘇軾の「賈誼論」は、前漢の賈誼が才能にあふれながら不遇のうちに若死にしたのは、度量と見識の不足によると論じた文です。一方で蘇軾は、宮廷で程頤と対立し、その門人と蘇軾の門人が争う洛蜀の党争が起こりました。益軒は、人を鋭く論じた蘇軾自身に同じ欠点があると指摘します。「人を知る者は智、自ら知る者は明」は『老子』第三十三章の言葉です。人の欠点はよく見えても、自分の欠点は見えにくい。他人を批評したくなったとき、同じ物差しを自分に当ててみる習慣を持ちたいものです。

この章句が説くこと

自知知人度量

関連する章句

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

師導で古典を学ぶ
いま登録すると、7日間すべての機能を無料でお試しいただけます。 無料ではじめる