慎思録 / 巻之四
吾曹雖讀書。然不通經濟之學。故世之君相。以儒生爲無用之徒。不通事宜。且以仁義爲迂濶不適世用。豈啻君相然乎哉。世之不好學者。往往皆如此。是亦由吾曹之學術不明。且不德也。然則世人之不好學。吾曹亦可半其罪也。
新字:吾曹雖読書。然不通経済之学。故世之君相。以儒生為無用之徒。不通事宜。且以仁義為迂濶不適世用。豈啻君相然乎哉。世之不好学者。往往皆如此。是亦由吾曹之学術不明。且不徳也。然則世人之不好学。吾曹亦可半其罪也。
書き下し
吾曹書を読むと雖も、然れども経済の学に通ぜず。故に世の君相、儒生を以て無用の徒と為し、事宜に通ぜずとし、且つ仁義を以て迂闊にして世用に適せずと為す。豈に啻に君相のみ然らんや。世の学を好まざる者、往往にして皆此の如し。是れも亦た吾曹の学術明らかならず、且つ不徳なるに由るなり。然らば則ち世人の学を好まざるは、吾曹も亦た其の罪を半ばにすべきなり。
現代語訳
われわれは書物を読んではいますが、世を治める学問には通じていません。そのため世の君主や宰相は、儒者を役に立たない連中と見なし、実際の事情に通じていないとし、さらに仁義を回りくどくて世の役に立たないものとしています。どうして君主や宰相だけがそうでしょうか。世の学問を好まない者は、しばしばみなこのように考えています。これもまた、われわれの学術が明らかでなく、しかも徳がないからです。そうであれば、世の人が学問を好まないのは、われわれもその罪の半分を負うべきなのです。
解説
世の為政者が儒者を「役に立たない」と見なし、仁義を「迂遠」とするのは、儒者自身が世を治める実学に通じず、徳も足りないからだと、自らの側の責任を認めた条です。「迂闊」という評は、『史記』孟子荀卿列伝で孟子が諸侯から「迂遠にして事情に闊し」とされた故事を思わせます。批判される側が相手を責めるのではなく、自分たちの至らなさに原因を求める姿勢は誠実です。専門家や組織が世間から理解されないとき、まず自らの伝え方や実践を省みるべきだという教えとして読めます。
この章句が説くこと
学問経済仁義自省儒者
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