慎思録 / 巻之四
禽獸無知。而能知人之所不知。雞之司晨。犬之警夜。且能聞臭之類。此其偏性之長處也。雖堯舜之智。所不能。而物之有偏長如此。是無他。因其所性昏塞。而唯有一偏小竅之開明而已。此乃所以爲禽獸之性也。葢明生於一。只其偏于一事。故能通一事。然因昏塞。故不能通其他。且雖昏愚之人。亦有一事之偏長。不可廢。此由有一偏細微之明而巳。
新字:禽獣無知。而能知人之所不知。鶏之司晨。犬之警夜。且能聞臭之類。此其偏性之長処也。雖堯舜之智。所不能。而物之有偏長如此。是無他。因其所性昏塞。而唯有一偏小竅之開明而已。此乃所以為禽獣之性也。葢明生於一。只其偏于一事。故能通一事。然因昏塞。故不能通其他。且雖昏愚之人。亦有一事之偏長。不可廃。此由有一偏細微之明而巳。
書き下し
禽獣は知無くして、能く人の知らざる所を知る。雞の晨を司り、犬の夜を警め、且つ能く臭ひを聞ぐの類なり。此れ其の偏性の長処なり。堯舜の智と雖も能はざる所にして、物の偏長有ること此の如し。是れ他無し。其の性とする所昏塞にして、唯だ一偏の小竅の開明有るに因るのみ。此れ乃ち禽獣の性為る所以なり。蓋し明は一に生ず。只だ其の一事に偏る。故に能く一事に通ず。然れども昏塞に因りて、故に其の他に通ずること能はず。且つ昏愚の人と雖も、亦た一事の偏長有り。廃すべからず。此れ一偏の細微の明有るに由るのみ。
現代語訳
禽獣には知恵がないのに、人が知らないことを知ることができます。鶏が夜明けを告げ、犬が夜の番をし、鼻で匂いを嗅ぎ分けるたぐいです。これはその偏った性質の長所です。堯や舜の知恵でもできないことで、物にはこのような偏った長所があるのです。ほかでもありません。その性質が暗くふさがっていて、ただ一方の小さな穴だけが開いて明るいからです。これが禽獣の性であるゆえんです。明るさは一つのところに生じ、一つの事に偏っているので、一つの事に通じることができます。しかし全体が暗くふさがっているので、そのほかには通じることができません。また、愚かな人でも一つの事に偏った長所があり、捨ててはいけません。これも一方の小さな明るさがあるからです。
解説
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