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養生訓 / 巻第一・総論上

一或人うたがひて曰、養生をこのむ人は、ひとへにわが身をおもんじて命をたもつを專にす。されども君子は義におもしとす。故に義にあたりては身を捨て命を惜まず、危を見ては命をさづけ、難にのぞんでは節に死す。もしわが身をひとへに重じて、少なる髪膚まで毀ひ傷らざらんとせば、大節にのぞんで命ををしみ、義をうしなふべしと云ふ。答へて曰、およその事、常あり變あり。常に居ては常を行ひ、變にのぞみては變を行ふ。其の時にあたりて義にしたがふべし。無事の時身をおもんじて命をたもつは、常に居るの道なり。大節にのぞんで命を捨ててかへりみざるは、變にをるの義なり。常にをるの道と、變に居るの義と、同じからざることをわきまへば、此うたがひ無かるべし。

新字:一或人うたがひて曰、養生をこのむ人は、ひとへにわが身をおもんじて命をたもつを専にす。されども君子は義におもしとす。故に義にあたりては身を捨て命を惜まず、危を見ては命をさづけ、難にのぞんでは節に死す。もしわが身をひとへに重じて、少なる髪膚まで毀ひ傷らざらんとせば、大節にのぞんで命ををしみ、義をうしなふべしと云ふ。答へて曰、およその事、常あり変あり。常に居ては常を行ひ、変にのぞみては変を行ふ。其の時にあたりて義にしたがふべし。無事の時身をおもんじて命をたもつは、常に居るの道なり。大節にのぞんで命を捨ててかへりみざるは、変にをるの義なり。常にをるの道と、変に居るの義と、同じからざることをわきまへば、此うたがひ無かるべし。

書き下し

一或人うたがひて曰、養生をこのむ人は、ひとへにわが身をおもんじて命をたもつを専にす。されども君子は義におもしとす。故に義にあたりては身を捨て命を惜まず、危を見ては命をさづけ、難にのぞんでは節に死す。もしわが身をひとへに重じて、少なる髪膚まで毀ひ傷らざらんとせば、大節にのぞんで命ををしみ、義をうしなふべしと云ふ。答へて曰、およその事、常あり変あり。常に居ては常を行ひ、変にのぞみては変を行ふ。其の時にあたりて義にしたがふべし。無事の時身をおもんじて命をたもつは、常に居るの道なり。大節にのぞんで命を捨ててかへりみざるは、変にをるの義なり。常にをるの道と、変に居るの義と、同じからざることをわきまへば、此うたがひ無かるべし。

現代語訳

ある人が疑って言いました。養生を好む人は、ひたすら自分の身を重んじて命を保つことを専らにします。けれども君子は義を重しとします。ですから義に当たっては身を捨てて命を惜しまず、危ういことを見ては命をささげ、難に臨んでは節に殉じて死にます。もし自分の身をひたすら重んじて、わずかな髪や皮膚まで損なうまいとするなら、大節に臨んで命を惜しみ、義を失うでしょう、と。答えて言います。およそ物事には常と変があります。常にあっては常を行い、変に臨んでは変を行います。その時に当たって義に従うべきです。無事の時に身を重んじて命を保つのは、常にいる道です。大節に臨んで命を捨てて顧みないのは、変にいる義です。常にいる道と、変にいる義とが同じでないことをわきまえれば、この疑いはなくなるでしょう。

解説

養生は命惜しみにつながり、武士の義と矛盾しないかという問いに答えています。益軒は常と変を分け、平時は身を大切にし、非常時には義のために命を捨てる、と整理します。危うきを見て命を授くは『論語』憲問篇の言葉です。いつでも自分を守ることだけを考えるのでも、いつでも身を削るのでもなく、時と場合で判断するという柔軟さが示されています。普段の健康管理は、いざというときに力を尽くすための備えでもあるのです。

この章句が説くこと

義常と変君子養生命

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