慎思録 / 巻之四
有欲而無主則亂。猶民而無君則亂。故君子以義制欲。所以樂而不亂也。小人以欲忘義所以亂而不樂也。小人任意縱欲而不恥。其所樂不過飮食色貨。其終歸于禽獸而巳。
新字:有欲而無主則乱。猶民而無君則乱。故君子以義制欲。所以楽而不乱也。小人以欲忘義所以乱而不楽也。小人任意縦欲而不恥。其所楽不過飲食色貨。其終帰于禽獣而巳。
書き下し
欲有りて主無ければ則ち乱る。猶ほ民にして君無ければ則ち乱るるがごとし。故に君子は義を以て欲を制す。楽しみて乱れざる所以なり。小人は欲を以て義を忘る。乱れて楽しまざる所以なり。小人は意に任せ欲を縦にして恥ぢず。其の楽しむ所は飲食色貨に過ぎず。其の終りは禽獣に帰するのみ。
現代語訳
欲があってそれを治める主がなければ乱れます。民がいて君主がいなければ乱れるのと同じです。ですから君子は義によって欲を制します。それで楽しんでも乱れないのです。小人は欲によって義を忘れます。それで乱れて楽しめないのです。小人は思うままに欲をほしいままにして恥じません。その楽しむものは飲食・色・財貨にすぎず、行き着く先は禽獣と同じになるだけです。
解説
欲そのものを否定せず、それを治める「主」としての義が必要だと説く条です。民に君主が必要なように、欲には義という主が要るというたとえは明快です。「君子は義で欲を制するから楽しんでも乱れない」という考えは、『礼記』楽記の「君子は其の道を得るを楽しみ、小人は其の欲を得るを楽しむ。道を以て欲を制すれば、則ち楽しみて乱れず」を踏まえています。楽しみを我慢せよではなく、楽しみ方に筋を通せという教えは、欲望と上手に付き合う現実的な知恵です。
この章句が説くこと
欲義楽君子小人
関連する章句
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『囲炉夜話』第百九十三則・義の中に利有り義の中に利有り、而して義を尚ぶの君子は、初めより利に計り及ぶに非ざるなり。 利の中に害有り、而して利に趨るの小人は、並びに其の害為るを顧みざるなり。
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『慎思録』巻之一君子の心に、本然の楽しみ有り。是れ人心の固有する所、天性の自然なり。花月の目を悦ばしめ、声楽の耳を娯しましむるの類の如きは、是れ特に外物を藉りて、吾が楽しみを助くるなり。専ら是を以て楽しみの主と為すに非ず。苟も心本然の楽しみを失ひて、徒らに身外の尤物を以て悦楽と為さんと欲するは、是れ外物を以て楽しみの主と為す。惑ひて楽しまざる所以なり。君子の楽しみと為す所に非ざるなり。
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『慎思録』巻之一君子の心は、人欲浄尽し、天理流行す。常に処り変に処りて、従容洒落たり。故に貧賤患難の中に入ると雖も、其の楽しみを改めず。又況んや富貴順適の時に於てをや。是れ所謂君子は入るとして自得せざること無しなり。蓋し君子の心は、固より本然の楽しみ有りて、一物の累ひ無し。然る後に万物皆以て楽しみと為すべし。此れ外物を待ちて而る後に楽しみと為すに非ず。物前に至りて、皆以て吾が楽しみを資くるに足るなり。内には則ち詩書礼楽、飲食衣服、外には則ち山水風月、花木虫魚も、亦皆以て吾が楽しみを資くべし。顧みるに其の楽しみを資くる所窮まり無くして、其の楽しむ所も亦尽くること無し。是れ豈に自得せざるべけんや。君子の楽しむ所此くの如くなれば、則ち豈に足の之を踏み手の之を舞ふを知らんや。
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『慎思録』巻之三凡そ君子と小人との由りて分かるる所は、固より義を好むと利を好むとの間に在り。且つ衣服器物と雑芸との好悪する所に至りても、亦各同じからざる有り。小人の好む所は、毎に淫靡と鄙俗とに在り。君子の好む所は、毎に質良と典雅とに在り。其の好悪する所を観て、亦君子小人の分見はる。好悪慎まざるべけんや。古は天子巡守して、詩を陳ねて以て民風を観、賈を納れて以て民の好悪する所を観る。志淫なれば好辟なり、と。亦此の意なり。欧陽子曰く、其の好む所を視て、以て其の人を知るべし、と。
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『慎思録』巻之四君子の世に処るや、常有り変有り。常に居りては固より宜しく勤慎すべし。変に逢ひては最も須らく力を用ふべし。大凡大節に臨みて奪ふべからずして、而る後に其の君子為ることを見る。苟も此の処に於て一たび節を失はば、平日他の善の称すべき有りと雖も、亦た観るに足らざるのみ。揚雄劉歆趙孟頫の輩の如き、是れなり。曾子、六尺の孤を託し、百里の命を寄すべく、大節に臨みて奪ふべからざるを以て、君子人と為す。其の意観るべし。
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呂氏春秋・壹行④人の船に乘る所の者は、其の能く浮きて沈むこと能わざるが為なり。世の君子を賢とする所以の者は、其の能く義を行いて邪辟を行うこと能わざるが為なり。