春秋繁露 / 『春秋繁露』身之養重於義第三十一・心を養うのは利より義
天之生人也、使人生義與利、利以養其體、義以養其心、心不得義、不能樂、體不得利、不能安、義者、心之養也、利者、體之養也、體莫貴於心、故養莫重於義、義之養生人大於利。
新字:天之生人也、使人生義与利、利以養其体、義以養其心、心不得義、不能楽、体不得利、不能安、義者、心之養也、利者、体之養也、体莫貴於心、故養莫重於義、義之養生人大於利。
書き下し
天の人を生ずるや、人をして義と利とを生ぜしむ。利は以て其の体を養い、義は以て其の心を養う。心、義を得ざれば、楽しむこと能わず。体、利を得ざれば、安んずること能わず。義は、心の養なり。利は、体の養なり。体は心より貴きは莫し。故に養は義より重きは莫し。義の人を養い生かすこと、利より大なり。
現代語訳
天は人を生むとき、人に義と利の両方を備えさせました。利は体を養い、義は心を養います。心が義を得なければ楽しむことができず、体が利を得なければ安らぐことができません。義は心の養いであり、利は体の養いです。体の中で心ほど貴いものはありません。だから養いの中で義より重いものはありません。義が人を養い生かす力は、利よりも大きいのです。
解説
利は体を、義は心を養うものであり、心の養いである義のほうが重い、という主張です。この後に続く部分では、義を大切にする者は貧しくても楽しく生き、義を欠く者は富んでいても心が安らがないと述べられます。成立当時の価値観の表明ですが、現代の仕事にも重なります。報酬や数字は体を満たしますが、仕事の意義や誇りは心を満たします。待遇が良くても意味を感じられなければ人は疲れ、意味があっても生活が成り立たなければ続きません。両方に目配りする大切さを教えてくれます。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
義利養心養体楽安
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