慎思録 / 巻之三
爲人之父兄者。可擇子弟之所嗜好。而早誡其淫僻。不可姑息。而縱其所好。是乃閑有家。悔亡之道也。葢志淫者。必好僻。苟陷溺之久。則雖戒之切。扞格而難入。不可不早戒。
新字:為人之父兄者。可択子弟之所嗜好。而早誡其淫僻。不可姑息。而縦其所好。是乃閑有家。悔亡之道也。葢志淫者。必好僻。苟陥溺之久。則雖戒之切。扞格而難入。不可不早戒。
書き下し
人の父兄為る者は、子弟の嗜好する所を択びて、早く其の淫僻を誡むべし。姑息にして其の好む所を縦にすべからず。是れ乃ち閑して家を有ち、悔亡ぶの道なり。蓋し志淫なる者は、必ず僻を好む。苟も陥溺すること久しければ、則ち之を戒むること切なりと雖も、扞格して入り難し。早く戒めざるべからず。
現代語訳
父や兄である者は、子弟の好むものをよく見分け、早くからそのみだらさや偏りを戒めるべきです。その場しのぎで好きなようにさせてはなりません。これこそ家を持つ始めに防ぎ守って悔いを消す道です。思うに、志のみだらな者は必ず偏ったものを好みます。長くおぼれてしまえば、どれほど切実に戒めても、拒んで受け入れにくくなります。早く戒めなければなりません。
解説
前条の『易』家人卦「閑有家、悔亡」を子弟の教育に当てはめた一条です。「扞格して入り難し」は『礼記』学記の「発して然る後に禁ずれば、則ち扞格して勝へず」を踏まえ、悪い習慣が固まってからでは教えが入らないことを言います。「志淫なれば好辟」も前出の王制篇の語です。益軒は好みそのものを禁じるのではなく、好みを見て偏りの芽を早く摘むことを求めました。部下や子どもの習慣づけでも、小さなうちに声をかける方が、後で大きく叱るより効果的です。
この章句が説くこと
教育防閑嗜好早期家道
関連する章句
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『慎思録』巻之三家人の初九に曰く、閑して家を有つ、悔亡ぶ、と。象に曰く、閑して家を有つは、志未だ変ぜざればなり、と。篤信窃かに謂ふ、家道の始、子弟婦女奴婢の輩、其の志意未だ変乱せざるの時、主人為る者、能く家法を厳にし、淫逸を予防し、放縦を戒め、怠荒を禁ずれば、則ち変乱の患無し。後の悔無き所以なり。苟も家を有つの始、姑息怠緩にして、家人の欲する所に任せば、則ち変乱に至らざる者寡し。既に変乱して後に之を閑せば、則ち必ず恩を傷り義を失ふに至り、祗だ悔いざる無し。故に始めに閑せざれば、終に必ず乱る。若し夫れ婦を初来に教へ、子を嬰孩に教ふるも、亦此の意のみ。蓋し礼は未発の前に禁じ、民の淫する所を防ぐ。凡そ事始めを慎めば、則ち力を用ふること寡くして、功多し。其の末を救へば、則ち力を竭くして及ぶ能はざるなり。故に防閑の道は、必ず家を有つの始に須ふ。坊記に亦曰く、君子の道は、碎へば則ち坊か。民の足らざる所を防ぐ者なり。大いに之が坊を為すも、民猶ほ之を踰ゆ。故に君子は礼以て徳を防ぎ、刑以て淫を防ぎ、命以て欲を防ぐ、と。坊記の民を防ぐを説くも、亦猶ほ家人の閑して家を有つがごときなり。防閑の道、人に益有ること此の如し。閑の義大なるかな。
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『慎思録』巻之四子弟門人に対しては、須らく事に随ひて教誨すべし。過ち有れば則ち規戒す。疎懶にして黙止すべからず。此の如くすれば則ち庶はくは漸くにして益有らん。人を教育するの道、宜しく此の如くなるべし。奴僕と雖も、亦た教誨無かるべからず。若し或いは疎懶にして教へず、姑息にして戒めざれば、即ち朝夕親炙の久しきと雖も、過ちを聞き誨へを受くるの益無し。此れ中や不中を棄て、才や不才を棄つるなり。君子の人を教育するの道に非ざるなり。
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『慎思録』巻之三世俗の子に於けるや、往往溺愛して昏迷し、其の悪を知る無し。常に其の子の過悪を遮掩して、之を護ること厚し。是を以て驕惰の性を養成して悟らず。且つ無頼の小人と親暱すと雖も禁ぜず。故に其の性日に以て鑿たる。放僻邪侈、為さざる無きのみ。之を愛すと曰ふと雖も、其の実は之を害す。遂に罪悪に陥りて、其の身を保つ能はざるに臻る。哀しいかな。
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『慎思録』巻之五衆人の生や、十歳より弱冠に到るまで、其の知識日に漸く長じ、情慾も亦浸く盛んなり。異物を見て遷る。其の賢知愚不肖、此の時に於て定まる。故に十歳以上二十歳に到るまでは、教戒禁防、最も無かるべからざるの時なり。姑息を為して驕惰を縦にすべからず。苟も此の時に於て空しく放過して教戒無ければ、則ち習ひ智と長じ、化心と成りて、扞格して勝へざるに至り、遂に終身の凶悪を養成し了らん。畏れざるべけんや。
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『慎思録』巻之一或ひと問ふ、雑念紛擾は、心術の害為り。之を除くの方は奈何と。曰く、心に主有りて専一なれば、則ち自ら此の患ひ無し。君子の人を教ふるは、予を以て貴しと為す。予の道は、当に童蒙の時に於てすべし。易に曰く、蒙以て正を養ふは、聖の功なりと。賈誼曰く、太子の善は、早く教諭すると、左右を選ぶとに在りと。顔之推曰く、児を嬰孩に教へ、婦を初来に誨ふと。皆是れ予の道なり。予の道は、即ち小学の法なり。
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『慎思録』巻之六子弟の輩、不肖にして不孝不弟なりと雖も、其の頑を忿疾すること勿れ。須らく従容として時に之を教諭すべし。迫切に譴責すべからず。此くの如くなれば則ち父子兄弟、其の恩を傷らず。泮水の詩に曰く、載ち色載ち笑ひ、怒るに匪ず伊れ教ふと。言ふこころは顔色を和らげて笑談を為し、怒責せずして、従容として之を教誨するなり。是れ中は不中を養ひ、才は不才を養ふの道なり。且つ自ら譴責せずして、他人をして教戒せしむべし。此れ古者子を易へて之を教ふるの意なり。然り而して子弟其の教に順従せずんば、則ち巨ぞ之を奈何せん。宜しく容忍すべく、忿怒すべからず。彼其の性素より不肖なるに、我之を譴責すること甚だしければ、則ち却つて益々払戻す。是れ父子相夷ふの道なり。古諺に曰く、不孝は父母を恨み、欠債は財主を怨むと。是れ小人の常情なり。堯舜の聖にして貴きこと天子為りと雖も、不肖の子有りて、奈何ともすべからず。是れ亦天命此くの如きのみ。况や常人をや。憤怒憂苦を做すべからざるなり。天命に安んじて可なり。