慎思録 / 巻之三
君子之道。天下之理。非聰明則不可覺悟。故昏昧蔽固之人。非所得而知也。然作聰明之人。復多偏性。徃徃自矜高。而不好問。不能取於人以爲善。所謂自用則小也。是局量褊狹。非舍己從人。樂取於人以爲善之道。故聰明之人。亦却傷蔽塞。學者自警矜高。而謙抑遜志。可也。
新字:君子之道。天下之理。非聰明則不可覚悟。故昏昧蔽固之人。非所得而知也。然作聰明之人。復多偏性。往往自矜高。而不好問。不能取於人以為善。所謂自用則小也。是局量褊狭。非舎己従人。楽取於人以為善之道。故聰明之人。亦却傷蔽塞。学者自警矜高。而謙抑遜志。可也。
書き下し
君子の道、天下の理は、聡明に非ざれば則ち覚悟すべからず。故に昏昧蔽固の人は、得て知る所に非ざるなり。然れども聡明を作す人は、復た偏性多く、往往自ら矜高して、問ふことを好まず。人に取りて以て善を為すこと能はず。所謂自ら用ふれば則ち小なり。是れ局量褊狭にして、己を舎てて人に従ひ、楽しみて人に取りて以て善を為すの道に非ず。故に聡明の人も、亦却って蔽塞を傷む。学者は自ら矜高を警めて、謙抑遜志して、可なり。
現代語訳
君子の道や天下の理は、聡明でなければ悟ることができません。ですから愚かでふさがった人には知ることができないのです。しかし聡明ぶる人は、また性質の偏りが多く、しばしば自分を高く誇って、人に問うことを好みません。人から取り入れて善を行うことができません。いわゆる「自分の考えだけを用いれば小さくなる」です。これは度量が狭く、自分を捨てて人に従い、喜んで人から取り入れて善を行う道ではありません。ですから聡明な人もかえってふさがれてしまうのです。学ぶ者は自ら高ぶりを戒め、へりくだって志を低くするのがよいのです。
解説
聡明さは道を悟るのに必要だが、聡明な人ほど高ぶって人に問わなくなるという逆説を述べます。「自ら用ふれば則ち小なり」は『書経』仲虺之誥の「問ふを好めば則ち裕かに、自ら用ふれば則ち小なり」、「己を舎てて人に従ひ、楽しみて人に取りて以て善を為す」は『孟子』公孫丑上で舜を称えた言葉です。「遜志」は『書経』説命下の「惟れ学は志を遜す」から来ています。能力の高い人が周囲の意見を聞かなくなって伸び悩むことは今も多く、謙虚に問う姿勢の大切さを教えています。
この章句が説くこと
謙虚聡明問学問度量
関連する章句
-
『格言聯璧』接物類・寬厚の人は吾師として量を養ふ貧賤の人を觀るには、當に其の度量を觀るべし、寬宏坦蕩なる者の如きは、則ち其の福必ず臻り、而して其の家必ず裕かならん。 寬厚の人は、吾師として以て量を養ふ。慎密の人は、吾師として以て識を煉る。 慈惠なる這の人は、吾師として以て下を禦む。儉約の人は、吾師として以て家に居る。
-
『囲炉夜話』第二百一則・渾金璞玉の如し才有らば必ず韜藏す、渾金璞玉の如く、闇然として日に章かなり。 學を為すに間斷無し、流水行雲の如く、日に進みて已まざるなり。
-
『幽夢影』巻上・紙上に兵を談ず文人の武事を講ずるは、大都紙上に兵を談ずるなり。武將の文章を論ずるは、半ば道聽途説に屬す。
-
説苑・尊賢斉の桓公庭燎を設け、士の造り見えんと欲する者の為にす。期年にして士至らず。是に於いて東野の鄙人に九九の術を以て見えんとする者有り。桓公曰く、「九九何ぞ以て見ゆるに足らんや」と。鄙人対えて曰く、「臣九九を以て見ゆるに足れりと為すに非ず、臣聞く、主君庭燎を設けて以て士を待つも、期年にして士至らずと。夫れ士の至らざる所以の者は、君は天下の賢君なり、四方の士、皆自ら論ずるに君に及ばずと以て、故に至らざるなり。夫れ九九は薄能のみなるに、而れども君猶お之を礼す、況んや九九より賢れる者をや。夫れ太山は壌石を辞せず、江海は小流を逆えず、大を成す所以なり」と。詩に云う、「先民言える有り、芻蕘に詢う」と。博く謀ることを言うなり。桓公善しと曰いて、乃ち因りて之を礼す。期月にして四方の士、相携えて並び至る。詩に曰く、「堂より基に徂き、羊より牛に徂く」と。内を以て外に及び、小を以て大に及ぶことを言うなり。
-
『幽夢影』巻上・下の下なり人は聖賢に非ず、安んぞ能く知らざる所無からん。祇だ其の一を知り、惟だ其の一に止まらざるを恐れ、復た其の二を知らんことを求むる者は、上なり。止だ其の一を知り、人の言ふに因りて、始めて其の二有るを知る者は、次なり。止だ其の一を知り、人其の二有りと言ふも之を信ずる莫き者は、又其の次なり。止だ其の一を知り、人の其の二有りと言ふを惡む者は、斯れ下の下なり。
-
『慎思録』巻之六博聞広覧にして見識有り、且つ久しく世変を経歴する者は、以て古今を是非すべく、過ち寡きに庶からん。苟も見聞寡陋にして、世を渉ることも亦浅くして見識無き者は、未だ以て天下古今の善悪を議すべからざるなり。仲虺の誥に曰く、問ふことを好めば則ち裕かに、自ら用ゐれば則ち小なりと。蓋し器小なれば則ち自足と為して、人に資ることを好まず。大凡古人の説は、固より資るべし。今人の言と雖も、其の善き者は廃すべからず。須らく択びて之を取るべし。舜の大聖すら、猶ほ善を人に資る。況んや今の衆人、豈に専ら自ら用ゐて、人に資らざるべけんや。蓋し博学の方は、古人の言に資るに止まらず、今人の言と雖も亦取るべし。是れ古今に通ずる所以なり。