慎思録 / 巻之三
隨人爲毀譽者。昔人譬諸矮人觀戯塲。以其無所眞見也。凡非知人端的。則不可隨人而輕爲毀譽。不然則不過者鮮矣。本邦風氣淳美。可爲善國也。稱爲君子國。不亦宜乎。然上世草昧之時。禮法未備。無衣冠之制。被髪左衽。娶姉妹姨姪爲婚之類。不可枚擧。迨中葉。屢通聘於中華。有所視傚。而變其舊俗者多矣。其載國史者。可看也。然則本邦古來。雖獨立不臣服于中華。然資用於中華之風敎者多矣。可謂師國。不可不知其所本。可貴。不可輕慢。
新字:随人為毀誉者。昔人譬諸矮人観戯塲。以其無所真見也。凡非知人端的。則不可随人而軽為毀誉。不然則不過者鮮矣。本邦風気淳美。可為善国也。称為君子国。不亦宜乎。然上世草昧之時。礼法未備。無衣冠之制。被髪左衽。娶姉妹姨姪為婚之類。不可枚挙。迨中葉。屡通聘於中華。有所視傚。而変其旧俗者多矣。其載国史者。可看也。然則本邦古来。雖独立不臣服于中華。然資用於中華之風教者多矣。可謂師国。不可不知其所本。可貴。不可軽慢。
書き下し
人に随ひて毀誉を為す者は、昔人諸を矮人の戯場を観るに譬ふ。其の真に見る所無きを以てなり。凡そ人を知ること端的なるに非ざれば、則ち人に随ひて軽々しく毀誉を為すべからず。然らずんば則ち過たざる者鮮し。本邦は風気淳美にして、善国と為すべし。称して君子国と為す、亦宜ならずや。然れども上世草昧の時、礼法未だ備はらず、衣冠の制無く、被髪左衽し、姉妹姨姪を娶りて婚を為すの類、枚挙すべからず。中葉に迨び、屢々聘を中華に通じ、視傚する所有りて、其の旧俗を変ずる者多し。其の国史に載する者、看るべし。然らば則ち本邦は古来、独立して中華に臣服せずと雖も、然れども用を中華の風教に資る者多し。師国と謂ふべし。其の本づく所を知らざるべからず。貴ぶべし、軽慢すべからず。
現代語訳
人に合わせて誉めたりそしったりする者を、昔の人は背の低い人が芝居を見るのにたとえました。自分では本当に見ていないからです。およそ人をはっきり知っているのでなければ、人に合わせて軽々しく誉めそしりをしてはなりません。そうでなければ誤らない者は少ないでしょう。わが国は気風が素朴で美しく、よい国といえます。君子の国と称されるのももっともです。けれども上代のまだ未開の時には礼法が整わず、衣冠の制度もなく、髪を結わず衣を左前にし、姉妹やおば・めいを娶って婚姻するなどの類は数えきれません。中頃になって、たびたび中国に使いを送り、手本とするものがあって、古い風俗を改めたことが多くありました。国史に載っているものを見れば分かります。そうであれば、わが国は昔から独立して中国に臣従しなかったとはいえ、中国の風俗と教えに頼ったことは多いのです。師の国というべきです。その拠り所を知らなければなりません。尊ぶべきで、軽んじてはなりません。
解説
この章句が説くこと
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