慎思録 / 巻之二
事親以愛敬爲本。所施愛敬。其實只在能養之。養之之道有二。在養志與養體而已。二者不可闕一。而養志可爲重。養其志者。在令樂其心而不憂而巳。然而能養而不敬者。夫子所戒也。
新字:事親以愛敬為本。所施愛敬。其実只在能養之。養之之道有二。在養志与養体而已。二者不可闕一。而養志可為重。養其志者。在令楽其心而不憂而巳。然而能養而不敬者。夫子所戒也。
書き下し
親に事ふるは愛敬を以て本と為す。愛敬を施す所は、其の実は只だ能く之を養ふに在り。之を養ふの道に二つ有り。志を養ふと体を養ふとに在るのみ。二者は一を闕くべからず。而して志を養ふを重しと為すべし。其の志を養ふとは、其の心を楽しましめて憂へしめざるに在るのみ。然り而して能く養ひて敬せざる者は、夫子の戒むる所なり。
現代語訳
親に仕えるには、愛と敬を根本とします。愛と敬を施すその実際は、ただよく養うことにあります。養う道には二つあり、志を養うことと体を養うことだけです。この二つはどちらも欠いてはなりません。そして志を養うことを重んじるべきです。その志を養うとは、親の心を楽しませて憂えさせないことにほかなりません。しかし、よく養っても敬わないのは、孔子が戒めたことです。
解説
孝の中身を、愛敬を本として、体を養うことと志を養うことの二つに整理した条です。「志を養ふ」は『孟子』離婁上で、曾子が父の心を汲んで仕えた話から来た言葉です。「能く養ひて敬せず」は『論語』為政篇の「犬馬に至るまで皆能く養ふ有り、敬せずんば何を以て別たん」を指します。仕送りや介護で体を養うだけでなく、親の気持ちを楽しませ心配させないことが大切だ、という教えは、親の老いに向き合う今の世代にそのまま届くものです。
この章句が説くこと
孝愛敬養志親敬
関連する章句
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論語・為政篇子游孝を問う。子曰く、「今の孝者は、是れ能く養うと謂う。犬馬に至るまで、皆能く養うこと有り。敬せずんば、何を以て別たんや。」
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『関聖帝君覚世真経』第二段・天地を敬し、神明を礼す天地を敬し、神明を礼し、祖先を奉じ、双親に孝に、王法を守り、師尊を重んじ、兄弟を愛し、朋友に信あり、宗族に睦まじく、郷隣に和し、夫婦を敬し、子孫を教ふ。
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『都鄙問答』卷之一・孝ノ道ヲ問ノ段答ふ、かくのごとき者を、世間並みの人と思ふべけれど、親へつかふる道は、曾て知らざる者なり。汝は書を読みながら、書を読まざる愚昧の者を、法とするゆへに、父母に事ふる道を知らず。昔し公明宣、曾子に学ぶこと三年、書を読まず。曾子曰く、宣、参の門に居ること三年、学ばざるは何ぞや。公明宣曰く、安んぞ敢へて学ばざらん。宣、夫子の庭に居るを見るに、親在せば、叱咤の声未だ嘗て犬馬に至らず。宣之を説びて、学べども未だ能はず、と云へり。曾子の如きは、親の前にては、犬や馬さへ怒りて叱り玉はず。然るに汝は、只養ふを孝と思へり。子曰く、今の孝は是れ能く養ふを謂ふ。犬馬に至るまで皆能く養ふこと有り。敬せずんば何を以て別たんや、と。是の如くなる時は、父母に事ふる道は、愛と敬との二つなり。愛は、いつくしみあいする心なり。敬は、つつしみうやまふ心なり。然るに汝は、父母の命を用ひずして心を痛ましむ。心を痛ましむるは、愛心なきが故なり。命を用ひざるは、敬心なきが故なり。愛敬の心なきは、鳥獣に同じ。汝は世に呼ばるるほどの孝を問ふ。聖賢の孝を聞かんと思はば、早く愛敬の心を知るべし。愛敬の心を知らば、聖賢の孝にも到るべし。
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『慎思録』巻之一聖人の人を教ふるや、人倫を厚くするに在り。人倫を厚くするの道は、人を愛し人を敬するを以て本と為す。是れ愛敬は、人倫を厚くするの道なり。父母に愛敬するは、又其の本なり。幼学の輩を教ふるに、先づ須らく愛敬を以てすべし。夫れ温恭にして自ら虚しくするは、子弟為る者の当に先づ服行すべき所なり。是れ乃ち人倫に接して善を為すの始めなり。
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『都鄙問答』卷之二・鬼神ヲ遠ト云事ヲ問ノ段答、敬して遠くとのたまふは左にはあらず。外神を祭るは、敬慎而已を主とす。此故に、道ならぬ穢き願ひを遠ざけ、又先祖を祭るは孝を主とす。是遠くにあらず。扠敬して遠くとのたまふに、大に取違ひ有ことなり。神は非礼を受玉はず。然れば非礼の願ひを以て近づくを不敬とす。敬ひを遠くとのたまふにはあらず。汝のいへる如くなれば、我朝の神は、願状を籠て、成就に至る時には、願文の通に鳥居を立、或は社の脩覆など致を、敬ひと思われ候や。
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論語・為政篇孟武伯孝を問う。子曰く、「父母は唯其の疾(やまい)を之憂う。」