慎思録 / 巻之二
程子之言。氣象渾厚。語意簡深。其立說。如規矩準繩。可爲學者之法則。朱子之言。氣象平直語意詳明。其立說。如夜行之燈燭。迷者之指南。可爲學者之明證。二子之出。雖異時。然其道之不異。如合符節。葢朱子之學。宗師二程者也。如經說。雖間有不同者。寡矣。葢訓詁之較異。不害其道之爲同。
新字:程子之言。気象渾厚。語意簡深。其立説。如規矩準縄。可為学者之法則。朱子之言。気象平直語意詳明。其立説。如夜行之灯燭。迷者之指南。可為学者之明証。二子之出。雖異時。然其道之不異。如合符節。葢朱子之学。宗師二程者也。如経説。雖間有不同者。寡矣。葢訓詁之較異。不害其道之為同。
書き下し
程子の言は、気象渾厚、語意簡深にして、其の説を立つること、規矩準縄の如く、学者の法則と為すべし。朱子の言は、気象平直、語意詳明にして、其の説を立つること、夜行の灯燭、迷ふ者の指南の如く、学者の明証と為すべし。二子の出づるは、時を異にすと雖も、然れども其の道の異ならざること、符節を合はするが如し。蓋し朱子の学は、二程を宗師とする者なり。経説の如きは、間々同じからざる者有りと雖も、寡し。蓋し訓詁の較々異なるは、其の道の同じ為るを害せず。
現代語訳
程子の言葉は、気象がどっしりと厚く、言葉の意味は簡潔で深く、その説の立て方は、定規やコンパス、水準器や墨縄のようで、学ぶ者の法則とすべきです。朱子の言葉は、気象が平らかでまっすぐ、言葉の意味は詳しく明らかで、その説の立て方は、夜道を行く人の灯火、迷う者の道しるべのようで、学ぶ者の確かな証とすべきです。二人が世に出たのは時代が違いますが、その道が異ならないことは、割符を合わせたようです。思うに朱子の学は、二程を師と仰ぐものです。経書の解釈には、ときに同じでないものもありますが、少ない。思うに字句の解釈が少し違っても、その道が同じであることを妨げません。
解説
程子と朱子の言葉の持ち味を、たとえで言い分けた条です。程子は物差しのように簡潔で深く、朱子は夜道の灯火のように詳しく明らか、という比喩は的確で、二人の文章を読んだことがある人ならうなずけるものです。朱子は程子の学を受け継いだので、細かな解釈の違いは道の同一を損なわない、とまとめています。同じ考えでも伝え方には人それぞれの持ち味がある。原則を示す人と、丁寧に道筋を照らす人、両方がいてこそ学びが深まることを教えてくれます。
この章句が説くこと
程子朱子読書文体道統
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