慎思録 / 巻之二
周子通書二程全書。學者須要反覆熟覽。晩年熟讀。而覺所得最多矣。葢孟子以後。復無這等之書。尤可貴重矣。明唐伯元纂輯二程全書之中切要者。分門類。稱二程類語。然而徃徃漏泄其精粹者而不載。如此者。雖一句可惜也。故吾嘗編集類語拾遺。然近來覺所脫猶多矣。學者只觀全書而可也。
新字:周子通書二程全書。学者須要反覆熟覧。晩年熟読。而覚所得最多矣。葢孟子以後。復無這等之書。尤可貴重矣。明唐伯元纂輯二程全書之中切要者。分門類。称二程類語。然而往往漏泄其精粋者而不載。如此者。雖一句可惜也。故吾嘗編集類語拾遺。然近来覚所脱猶多矣。学者只観全書而可也。
書き下し
周子の通書、二程全書は、学者須らく反覆熟覧することを要すべし。晩年熟読して、得る所最も多きを覚ゆ。蓋し孟子以後、復た這等の書無し。尤も貴重すべし。明の唐伯元は二程全書の中の切要なる者を纂輯して、門類を分かち、二程類語と称す。然り而して往々にして其の精粋なる者を漏泄して載せず。此くの如き者は、一句と雖も惜しむべきなり。故に吾嘗て類語拾遺を編集す。然れども近来脱する所猶ほ多きを覚ゆ。学者は只だ全書を観て可なり。
現代語訳
周子の『通書』と『二程全書』は、学ぶ者が繰り返し熟読しなければなりません。私は晩年に熟読して、得るところが最も多いと感じました。思うに孟子以後、このような書は他にありません。特に貴重とすべきです。明の唐伯元は『二程全書』の中から大切なものを集め、部門ごとに分けて『二程類語』と名づけました。しかししばしばその精粋を漏らして載せていません。このようなものは、一句でも惜しいものです。だから私はかつて『類語拾遺』を編集しました。しかし近ごろ、なお漏れているものが多いと感じます。学ぶ者はただ全書を見ればよいのです。
解説
北宋の周敦頤の『通書』と、程顥・程頤の言行を集めた『二程全書』を、晩年に熟読して最も得るところがあったと推す条です。抜粋本の『二程類語』に漏れがあるので自ら拾遺を編んだが、それでも足りない、だから結局は全書を読め、という結論が印象的です。要約や抜粋は便利ですが、大切なものが落ちていることがあります。ダイジェストや要約だけで古典や専門書をわかった気にならず、原典に当たることの大切さを、編集者でもあった益軒自身の経験が教えてくれます。
この章句が説くこと
読書周子二程原典熟読
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