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都鄙問答 / 卷之四・或人神詣ヲ問之段

答、親ノ心ニ適ヤウニセラルベシ、曰、親ハナキユヘニ、問コトモナラズ、親ノ心、イカヾシテシルベキヤ、答、都テ親ノ心ハ、子ノ身ノ上能コトヲ願フモノナリ、親ノ心ハ、子ヲ思フニ致ラザル所ナシ、然レ、身ノ汚ナキ以前ニ、產神ヘ參ラルベシ、親存生ノ時ニ、汝在所ヘ往ナバ、先產神ヘ參ルベシイハルヽニ非ズヤ、然ラバ先社參シテ神ヲ敬ハヾ、是親ノ心ニ合フトイフモノナリ、父母ノ心ニ合フホド、宜コトアランヤ、范氏曰、子能以父母之心爲心則孝矣、中庸事死如事生トイヘリ、今ハ父母ナシトイヘドモ、此意味ヲ得心シテ事バ、孝行ト成ベキコトナリ、

新字:答、親ノ心ニ適ヤウニセラルベシ、曰、親ハナキユヘニ、問コトモナラズ、親ノ心、イカヾシテシルベキヤ、答、都テ親ノ心ハ、子ノ身ノ上能コトヲ願フモノナリ、親ノ心ハ、子ヲ思フニ致ラザル所ナシ、然レ、身ノ汚ナキ以前ニ、産神ヘ参ラルベシ、親存生ノ時ニ、汝在所ヘ往ナバ、先産神ヘ参ルベシイハルヽニ非ズヤ、然ラバ先社参シテ神ヲ敬ハヾ、是親ノ心ニ合フトイフモノナリ、父母ノ心ニ合フホド、宜コトアランヤ、范氏曰、子能以父母之心為心則孝矣、中庸事死如事生トイヘリ、今ハ父母ナシトイヘドモ、此意味ヲ得心シテ事バ、孝行ト成ベキコトナリ、

書き下し

答ふ、親の心に適ふやうにせらるべし。曰く、親はなきゆへに、問ふこともならず、親の心、いかゞしてしるべきや。答ふ、都て親の心は、子の身の上能きことを願ふものなり。親の心は、子を思ふに致らざる所なし。然れば、身の汚れなき以前に、産神へ参らるべし。親存生の時に、汝在所へ往かば、先づ産神へ参るべしといはるゝに非ずや。然らば先づ社参して神を敬はゞ、是親の心に合ふといふものなり。父母の心に合ふほど、宜きことあらんや。范氏曰く、子能く父母の心を以て心と為せば則ち孝なり。中庸に、死に事ふること生に事ふるが如しといへり。今は父母なしといへども、此意味を得心して事へば、孝行と成るべきことなり。

現代語訳

梅岩は答えました。「親の心にかなうようになさい。」問う人「親はもう亡くなっているので、尋ねることもできません。どうやって親の心を知ればよいのですか。」梅岩「親の心というものは、いつも子の身によいことを願うものです。子を思う心は行き届かないところがありません。ですから、身が穢れる前に産土神へお参りすべきでした。親が生きていたら、あなたが故郷へ帰るとき『まず産土神に参りなさい』と言ったはずではありませんか。先に神社に参って神を敬えば、それが親の心にかなうのです。父母の心にかなうことほど良いことはありません。范氏は『子がよく父母の心をわが心とすれば、それが孝である』と言い、『中庸』には『死者に仕えることは生者に仕えるようにする』とあります。父母はもういなくても、この意味を心得て仕えれば孝行になるのです。」

解説

梅岩は、墓が先か神が先かという順序の議論に答えず、「親が生きていたら何と言ったか」を基準にせよと言います。亡き親の心は、子の無事と幸いを願う心だと推し量れる。そこから、穢れる前に氏神へ参るのが親の望みに合うと結論します。引かれる「事死如事生」は『中庸』第十九章の言葉です。形式を守ること自体が目的になったとき、その形式を定めた人の願いに立ち返れば答えが出る、という考え方は、社内規程の運用に迷ったときにもそのまま使えます。

この章句が説くこと

親心中庸趣旨神詣

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