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翁問答 / 下卷之末之末

體充曰、さやうに候はゞ、今時の物よみ坊主衆のかみをそりて出家のまねをめさるゝも、道理にかなひたる事にて候や。師の曰、俗儒の作法は無案內なれば、何とも了簡に及がたし、定て日本にての俗儒は、かみをそらではかなはぬ子細ありての事ならんか、眞儒の道にて論ずれば、中庸の神理にだにかなひぬれば、かみをそりても苦しからず、泰伯は孝行の爲に髪を斷身を文にしたまひたり、しかるを孔子泰伯其可謂至德也已矣と嘆美したまふかみをたち身を文にしたまふをほめたまふにあらず、

新字:体充曰、さやうに候はゞ、今時の物よみ坊主衆のかみをそりて出家のまねをめさるゝも、道理にかなひたる事にて候や。師の曰、俗儒の作法は無案内なれば、何とも了簡に及がたし、定て日本にての俗儒は、かみをそらではかなはぬ子細ありての事ならんか、真儒の道にて論ずれば、中庸の神理にだにかなひぬれば、かみをそりても苦しからず、泰伯は孝行の為に髪を断身を文にしたまひたり、しかるを孔子泰伯其可謂至徳也已矣と嘆美したまふかみをたち身を文にしたまふをほめたまふにあらず、

書き下し

体充曰、さやうに候はゞ、今時の物よみ坊主衆のかみをそりて出家のまねをめさるゝも、道理にかなひたる事にて候や。師の曰、俗儒の作法は無案内なれば、何とも了簡に及がたし、定て日本にての俗儒は、かみをそらではかなはぬ子細ありての事ならんか、真儒の道にて論ずれば、中庸の神理にだにかなひぬれば、かみをそりても苦しからず、泰伯は孝行の為に髪を断身を文にしたまひたり、しかるを孔子、泰伯は其れ至徳と謂ふべきのみと嘆美したまふかみをたち身を文にしたまふをほめたまふにあらず、

現代語訳

體充が言う。「そうであれば、今時の物読み坊主衆(剃髪した儒者)が髪を剃って出家のまねをなさるのも、道理にかなったことなのか。」師が言う。「俗儒の作法は不案内なので、何とも判断しかねる。きっと日本での俗儒は、髪を剃らなければならない事情があってのことだろうか。真の儒者の道で論じれば、中庸の神理にさえかなっていれば、髪を剃っても差し支えない。泰伯は孝行のために髪を断ち、体に入れ墨をされた。それを孔子が「泰伯は至徳と言うべきである」と称えられたのは、髪を断ち入れ墨をしたことを褒められたのではない。

解説

江戸初期、幕府や大名に仕える儒者は僧形をとって剃髪するのが通例で、林羅山も剃髪して道春と称した。藤樹はその作法への直接の論評は避けつつ、中庸の理にかなえば剃髪も構わないと答える。例に引くのは『論語』泰伯篇の泰伯で、父が末子の季歴に位を譲れるよう南方に逃れ、髪を断ち入れ墨をして自ら継承を退いた人物である。孔子が称えたのは外見の変化ではないという点が、次の論の出発点になる。行動の評価は形ではなく、その動機と道理によって下すべきである。

この章句が説くこと

中庸孝泰伯論語動機形

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