講孟余話 / 盡心下 第三章
然トモ角云フ時ハ意義甚淺シ、且詩書周易春秋ノ如キ、未タ疑フヘキ者アルヲ見ス、偶々アリト云ヘトモ、字句ノ末ニテ大義ノ關ル所ニ非ス、雲漢ノ詩ノ類ナリ、或ハ読者ノ拘泥ニテ本義ノ謬妄ニ非ス、武成ノ如キ是ナリ、秦漢以來樂書缺亡シ、礼書純ナラズ、故ニ尽ク信スヘカラス、然トモ孟子ノ時未タ必然ラス、孟子中辨スル所ノ斉東野人ノ語、好事者ノ爲ス所ノ如キ多シト云トモ、孟子豈是等ノ爲メニ事々シク此言ヲ発センヤ、又專ラ武成ノ爲ニ発ストセハ、吾於武成ノ句、是主意ニシテ、盡信書云々モ泛ク天下ノ書ヲ云フニ非ス、然トモ余武成ヲ按スルニ、今文ノ無キ所ニシテ古文ノミ存スレハ強チ信シ難ケレトモ、今文ハ伏生ノ口授スル所二十篇、後儒ノ信ヲ取ル所也、古文ハ孔子壁中ノ書ト云フ、東晋ノ時初テ出ツ、故ニ或ハ疑ヲ容ル、姑ク古文ニ就テ之ヲ論スルニ、信スヘカラサノ事殊テ少シ、只帰馬于華山之陽、放牛于桃林之野、示天下弗服ト云者、語氣ノ間頗ル虛誇ニ過ルヲ恨ムルノミ、然トモ是亦形容ノ常語ニテ、力ヲ極メテ偃武脩文ノ盛ヲ模寫セント欲シテ、覚ヘス是ニ至ルノミ、深ク怪ムニ足ラズ、
新字:然トモ角云フ時ハ意義甚浅シ、且詩書周易春秋ノ如キ、未タ疑フヘキ者アルヲ見ス、偶々アリト云ヘトモ、字句ノ末ニテ大義ノ関ル所ニ非ス、雲漢ノ詩ノ類ナリ、或ハ読者ノ拘泥ニテ本義ノ謬妄ニ非ス、武成ノ如キ是ナリ、秦漢以来楽書欠亡シ、礼書純ナラズ、故ニ尽ク信スヘカラス、然トモ孟子ノ時未タ必然ラス、孟子中弁スル所ノ斉東野人ノ語、好事者ノ為ス所ノ如キ多シト云トモ、孟子豈是等ノ為メニ事々シク此言ヲ発センヤ、又専ラ武成ノ為ニ発ストセハ、吾於武成ノ句、是主意ニシテ、尽信書云々モ泛ク天下ノ書ヲ云フニ非ス、然トモ余武成ヲ按スルニ、今文ノ無キ所ニシテ古文ノミ存スレハ強チ信シ難ケレトモ、今文ハ伏生ノ口授スル所二十篇、後儒ノ信ヲ取ル所也、古文ハ孔子壁中ノ書ト云フ、東晋ノ時初テ出ツ、故ニ或ハ疑ヲ容ル、姑ク古文ニ就テ之ヲ論スルニ、信スヘカラサノ事殊テ少シ、只帰馬于華山之陽、放牛于桃林之野、示天下弗服ト云者、語気ノ間頗ル虚誇ニ過ルヲ恨ムルノミ、然トモ是亦形容ノ常語ニテ、力ヲ極メテ偃武脩文ノ盛ヲ模写セント欲シテ、覚ヘス是ニ至ルノミ、深ク怪ムニ足ラズ、
書き下し
然れども斯く云ふ時は意義甚だ浅し。且つ詩書周易春秋の如き、未だ疑ふべき者あるを見ず。偶々ありと云へども、字句の末にて大義の関はる所に非ず、雲漢の詩の類なり。或いは読者の拘泥にて本義の謬妄に非ず、武成の如き是れなり。秦漢以来楽書欠亡し、礼書純ならず、故に尽く信ずべからず。然れども孟子の時未だ必ずしも然らず。孟子中弁ずる所の斉東野人の語、好事者の為す所の如き多しと云へども、孟子豈に是等の為めに事々しく此の言を発せんや。又専ら武成の為に発すとせば、「吾武成に於て」の句是れ主意にして、「尽く書を信ず」云々も泛く天下の書を云ふに非ず。然れども余武成を按ずるに、今文の無き所にして古文のみ存すれば強ち信じ難けれども、今文は伏生の口授する所二十篇、後儒の信を取る所なり。古文は孔子壁中の書と云ふ、東晋の時初めて出づ、故に或いは疑ひを容る。姑く古文に就きて之れを論ずるに、信ずべからざるの事殊に少なし。只「馬を華山の陽に帰し、牛を桃林の野に放ち、天下に服せざるを示す」と云ふ者、語気の間頗る虚誇に過ぐるを恨むるのみ。然れども是れ亦形容の常語にて、力を極めて偃武修文の盛を模写せんと欲して、覚えず是に至るのみ、深く怪しむに足らず。
現代語訳
けれどもそう言ってしまうと、意味がたいへん浅くなる。それに『詩経』『書経』『周易』『春秋』などには、まだ疑うべきものがあるのを見たことがない。たまにあったとしても字句の末のことで、大義にかかわるところではない。雲漢の詩の類がそれである。あるいは読み手がこだわりすぎるせいであって、本来の意味が誤っているわけではない。武成篇などがそれである。秦・漢以後、楽の書は失われ、礼の書は純粋でなくなったから、すべてを信じることはできない。けれども孟子の時代には、必ずしもそうではなかった。『孟子』の中で論じている斉の東の田舎者の言葉や、物好きのこしらえた話のようなものは多いけれども、孟子がそんなもののために大げさにこの言葉を発するだろうか。また、もっぱら武成篇のために言ったのだとすれば、「私は武成篇について」の句が主意であって、「書物をすべて信じれば」云々も、広く天下の書物を言っているのではないことになる。ところで私が武成篇を調べてみると、今文には無く古文にだけ残っているので、むやみには信じがたいところがある。今文は伏生が口で伝えた二十篇で、後世の儒者が信頼しているものである。古文は孔子の旧宅の壁の中から出た書だといわれるが、東晋の時に初めて世に出たので、疑いを差しはさむ者もいる。ひとまず古文によって論じれば、信じられない事柄はとりわけ少ない。ただ「馬を華山の南に帰し、牛を桃林の野に放って、天下にもう戦はしないことを示した」というところが、語気がいささか大げさすぎるのが惜しいだけである。けれどもこれも誇張の決まり文句で、武を収めて文を修める盛んな様子を力を尽くして描こうとして、思わずそこまで行ったにすぎない。深く怪しむには足りない。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『講孟余話』盡心下 第三章余前後の章を以て考ふるに、此の章の主意は「仁人は天下に敵無し」の一句にあり。孟子謂へらく、仁人は敵無しと云ふと雖も、人或いは武成に「血流れて杵を漂はす」の語あるを以て証とし、仁人と云へども未だ必ずしも敵無きにあらずと云はんことを恐れ、因りて「吾武成に於て」云々と云ひ、又因りて「尽く書を信ず」云々と云ふ。故に「尽く書を信ず」云々の語は、汎く読書の法を論ずる如しと云へども、実は武成に因りて発す。「武成に二三策を取る」の説は、汎く武成を論ずる如しと云へども、実は「血流れて杵を漂はす」の語より発するなり。朱註に云く、「書の本意は乃ち商人自ら相殺すを謂ふ、武王之れを殺すを謂ふに非ざるなり。孟子の是の言を設くるは、後世の惑ひて且つ不仁の心を長ぜんことを懼るるのみ」と。
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『講孟余話』盡心下 第二章此の章、告子下篇第七章と并せ考ふべし。「春秋に義戦無し」と云ふは、即ち彼の章の「五覇は三王の罪人なり」の説なり。「彼此より善きは則ち之れ有り」と云ふは、即ち「今の諸侯は五覇の罪人なり」の義なり。故に彼の章に於て割記する所を往きて見るべし。此の章甚だ読み難し。若し泛然として読書法を論ずとなさば、「尽く書を信ずれば則ち書無きに如かず」の一句是れ主意にして、「吾武成に於て二三策を取るのみ」以下は只其の引証に備ふるのみ。其の意正に萬章上篇第四章、詩を説くことを論じて雲漢の詩を引くが如し。
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孟子・盡心章句下孟子曰く、「盡く書を信ぜば、則ち書無きに如かず。吾、武成に於いて、二三策を取るのみ。仁人は天下に敵無し。至仁を以て至不仁を伐つ。而るに何ぞ其の血の杵を流さんや。」
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『講孟余話』盡心下 第三章吾が師象山、江戸獄に在りて孟子を読み痛熟す。此の章に於て朱註を信ぜず、別に一篇の文字を著す。余隣舎にありし故借り読みたれども、今其の全文を挙ぐること能はず。其の意蓋し云く、書の本意固より商人自ら相殺すを云ふ、而して孟子の意も亦同じ。蓋し「前徒戈を倒にす」と云へば、前徒のみ武王に辟易すれども、後軍は踏み留まりたること知るべし。武王の至仁にて紂の至不仁を伐たば、下章の所謂「崩るるが若く厥の角稽首す」と云ふこそ伝信なるべし。蓋し商人総軍悉く稽首すと云へば、前徒戈を倒にすと云ふのみに非ざるなり。且つ孟子書の本意にもなき妄言を設けて、後世の惑ひを解き、不仁の心を銷すとは、誠に迂闊なることにて、孟子決して然らずと。余按ずるに、敗軍に友崩れ・裡崩れと云ふことあり。友崩れと云ふは、前徒敗走して後軍へなだれ掛かるに因りて、後軍も溜まり得ず、一同に崩潰することなり。裡崩れと云ふは、前徒は未だ戈を交へぬ内に、後軍より先づ崩れ立ちて、前徒も亦同じく崩るることなり。今「前徒戈を倒にし、後を攻めて以て北ぐ」とあれば、前徒崩るるのみにて後軍は踏み留まりたる故、勿論裡崩れの形は殊になく、又友崩れよりも一段後軍手強きなり。且つ「血流れて杵を漂はす」と云ふ者は、兵法に前徒崩れて後軍へなだれ掛かる時は、後軍にて打ち捨て切り捨つることあり、後を攻むるも血流るるも、蓋し是れが為なり。余是れを考へて朱註の謬、真に象山の説の如きを知れり。
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『講孟余話』公孫丑下 末章暗に第十二章「王の以て湯武たるべからざるを識らずんば則ち明らかならざるなり」の意を照らし、孟子固より已に王の湯武たるべからざるを知ると雖も、亦悻々然たる小人の行をなすに忍びずして、心ならず斉に久しかりしとなり。是れ此の篇の大条理なり。但し疑ふべきは、首章天時・地利・人和の論、他の章に於て曾て関係なきを覚ゆ、或は錯簡あらんも未だ知るべからず。
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言志四録・言志後録 第二百三十一条 尚書を妄りに沙汰せず尚書も亦古今文有りて、今の伝はる所は、即ち古文経なり。疑ふ可き無し。宋以後、信疑曹を分つ。近世閻若璩疏証を著して、毛奇齢之を冤とす。是なり。凡そ五経中確言の夥しきは、此の経に若くは莫し。乃ち妄りに之を沙汰するは、翅に経を尊ぶの道に非ざるのみならず、更に経を非るの罪有り。
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