慎思録 / 巻之二
凡用兵者。須由仁義而行之。苟非由仁義而行之。則不免爲盜賊。葢用兵。則乖戾于天地生物之心。好殺。則傷害天地生物之氣。故天道惡之。然聖人不得已而後用之。是亦行天討也。葢聖人之用兵也。行其義也。而仁在其中矣。程子蝎頌曰。殺之則害仁。放之則傷義。是亦聖人用刑兵之意也。凡五兵之中。義兵應兵二者。君子所用也。如忿兵驕兵與貪兵三者。君子之所不用。而小人之所獨行也。
新字:凡用兵者。須由仁義而行之。苟非由仁義而行之。則不免為盗賊。葢用兵。則乖戻于天地生物之心。好殺。則傷害天地生物之気。故天道悪之。然聖人不得已而後用之。是亦行天討也。葢聖人之用兵也。行其義也。而仁在其中矣。程子蝎頌曰。殺之則害仁。放之則傷義。是亦聖人用刑兵之意也。凡五兵之中。義兵応兵二者。君子所用也。如忿兵驕兵与貪兵三者。君子之所不用。而小人之所独行也。
書き下し
凡そ兵を用ゐる者は、須らく仁義に由りて之を行ふべし。苟も仁義に由りて之を行ふに非ざれば、則ち盗賊為るを免れず。蓋し兵を用ゐれば、則ち天地生物の心に乖戻す。殺すを好めば、則ち天地生物の気を傷害す。故に天道之を悪む。然れども聖人は已むを得ずして後に之を用ゐる。是れ亦た天討を行ふなり。蓋し聖人の兵を用ゐるや、其の義を行ふなり。而して仁其の中に在り。程子の蝎の頌に曰く、之を殺せば則ち仁を害し、之を放てば則ち義を傷る、と。是れ亦た聖人の刑兵を用ゐるの意なり。凡そ五兵の中、義兵応兵の二者は、君子の用ゐる所なり。忿兵驕兵と貪兵との三者の如きは、君子の用ゐざる所にして、小人の独り行ふ所なり。
現代語訳
およそ兵を用いる者は、仁義によって行わなければなりません。もし仁義によって行うのでなければ、盗賊となるのを免れません。思うに兵を用いれば、天地が物を生む心にそむきます。殺すことを好めば、天地が物を生む気を損ないます。だから天の道はこれを憎むのです。しかし聖人はやむを得ないときに初めて兵を用います。これも天に代わって罰する天討を行うのです。思うに聖人が兵を用いるのは、その義を行うのであり、仁もその中にあります。程子の「蝎の頌」に「これを殺せば仁を害し、これを放てば義を損なう」とあります。これもまた聖人が刑罰や兵を用いる心です。およそ五つの兵のうち、義兵と応兵の二つは君子が用いるものです。忿兵・驕兵・貪兵の三つは、君子は用いず、小人だけが行うものです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『慎思録』巻之四用兵の道は、義以て質と為し、術以て之を行ひ、勇以て之を出だし、知以て之を成す。良将なるかな。苟も義以て質と為すに非ざれば、勇智良術有りと雖も、是れ賊兵為るのみ。天地の道は、開闢より以来、万古を歴と雖も、常にして変ぜず。故に古今一般なり。人心には私有り、民俗漸く澆薄なり。時世に随ひて、日日変遷して未だ休まず。故に人道の興廃は古今同じからず。天地の道と相似ざる所以なり。
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荀子・議兵篇陳囂、孫卿子に問いて曰く、先生の兵を議するや、常に仁義を以て本と為す。仁者は人を愛し、義者は理に循う。然らば則ち又何を以て兵と為さんや。凡そ兵有るを為す所以は、争奪の為なり、と。孫卿子曰く、汝の知る所に非ざるなり。彼の仁者は人を愛す。人を愛するが故に人の之を害するを悪む。義者は理に循う。理に循うが故に人の之を乱すを悪む。彼の兵なる者は暴を禁じ害を除く所以なり、争奪に非ざるなり。故に仁者の兵は、存する所の者は神にして、過ぐる所の者は化す。時雨の降るが若く、説喜せざる莫し。是を以て堯は驩兜を伐ち、舜は有苗を伐ち、禹は共工を伐ち、湯は有夏を伐ち、文王は崇を伐ち、武王は紂を伐つ。此の四帝両王、皆な仁義の兵を以て、天下に行うなり。故に近き者は其の善に親しみ、遠方は其の徳を慕う。兵は刃に血ぬらずして、遠邇来たり服す。徳は此に盛んにして、施して四極に及ぶ。詩に曰く、淑人君子、其の儀忒わず、と。此れ之を謂うなり。
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三略・下略聖王の兵を用ふるは、之を楽しむに非ざるなり。将に以て暴を誅し乱を討たんとするなり。夫れ義を以て不義を誅するは、江河を決して爝火に灌ぎ、不測に臨みて墜ちんと欲する者を擠すが若く、其の克つこと必せり。優游恬淡として進まざる所以の者は、人物を傷つくるを重んずればなり。夫れ兵は、不祥の器にして、天道之を悪む、已むを得ずして之を用ふ。是れ天道なり。
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『長短経』出軍是に知る、聖人の兵を用うるや、之を好楽するに非ず、将に以て暴を誅し乱を討たんとするなり。夫れ義を以て不義を誅するは、江河を決して熒火に漑ぐが若く、不測の淵に臨みて之を墮さんと欲するが若し。其の之に克つこと必せり。優游恬泊なる所以の者は何ぞ。人物を傷うことを重んずればなり。故に曰く「遠人服せずんば、則ち文徳を修めて以て之を来たす」と。徳を以て来たらずして、然る後に将に命じて師を出だす。
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『長短経』出軍故に曰く、乱を救い暴を誅する、之を義兵と謂う。兵義なる者は王たり。敵己に加えて、已むを得ずして之を用うる、之を応兵と謂う。兵応ずる者は勝つ。小故を争い恨み、憤怒に勝えざる者、之を忿兵と謂う。兵忿る者は敗る。人の土地宝貨を利とする者、之を貪兵と謂う。兵貪る者は破る。国の大なるを恃み、人の衆きを矜り、威を敵に見わさんと欲する、之を驕兵と謂う。兵驕る者は滅ぶ。〔夫れ暴を禁じ乱を救うを、義兵と曰い、礼を以て服すべし。衆を恃みて以て伐つを、強兵と曰い、謙を以て服すべし。怒りに因りて師を興すを、剛兵と曰い、辞を以て服すべし。礼を棄て利を貪るを、暴兵と曰い、詐を以て服すべし。国危うく人疲れて、事を挙げ兵を動かすを、逆兵と曰い、権を以て服すべし。〕
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『慎思録』巻之六仁義は道の体なり。文武は仁義の用為り。是れ仁義の発する所なり。故に文武其の趣同じからずと雖も、之を要すれば則ち理は一なり。文は仁の発なり。人を愛し衆を和するの道なり。文に非ざれば民を懐け衆を安んずること能はず。武は義の発なり。人を戒め衆を厳にするの道なり。武に非ざれば敵を威し罪を正すこと能はず。故に文武並び行はるれば、則ち天下和平にして、黎民服す。古の良将は、必ず文武全才にして、能く万民を安定す。澆季の世は、文武岐れて両途と為る。文有る者は或は武無く、武有る者は多く文無し。全才と為すべからず。徒に武有りて文無ければ、則ち傖父と為る。徒に文有りて武無ければ、則ち腐儒と為る。各用ゐるべきの能有りと雖も、全才に非ざるなり。季世の俗は皆此くの如し。士人たる者は、務めて之を全うすべくして、偏勝すべからざる所以なり。