三略 / 下略
聖王之用兵,非樂之也;將以誅暴討亂也。夫以義誅不義,若決江河而溉爝火,臨不測而擠欲墜,其克必矣。所以優游恬淡而不進者,重傷人物也。夫兵者,不祥之器,天道惡之,不得已而用之。是天道也。
新字:聖王之用兵,非楽之也;将以誅暴討乱也。夫以義誅不義,若決江河而溉爝火,臨不測而擠欲墜,其克必矣。所以優游恬淡而不進者,重傷人物也。夫兵者,不祥之器,天道悪之,不得已而用之。是天道也。
書き下し
聖王の兵を用ふるは、之を楽しむに非ざるなり。将に以て暴を誅し乱を討たんとするなり。夫れ義を以て不義を誅するは、江河を決して爝火に灌ぎ、不測に臨みて墜ちんと欲する者を擠すが若く、其の克つこと必せり。優游恬淡として進まざる所以の者は、人物を傷つくるを重んずればなり。夫れ兵は、不祥の器にして、天道之を悪む、已むを得ずして之を用ふ。是れ天道なり。
現代語訳
聖王が兵を用いるのは、それを楽しむからではない。暴虐を正し、乱れを鎮めようとするからである。義によって不義を正すのは、大河の堤を切って小さなたいまつの火に注ぎ、深い淵の縁で落ちかけている者を押すようなもので、勝つことは確実である。それでもゆったりと落ち着いて進もうとしないのは、人や物を傷つけることを重く見るからである。そもそも兵とは不吉な道具であって、天の道はこれを憎む。やむを得ないときにだけ用いる。それが天の道である。
解説
武力をどう位置づけるかを、はっきり述べた段です。兵を用いるのは楽しみのためではなく、暴虐と混乱を鎮めるためだけだと言い切ります。そして義をもって不義に当たれば勝敗は明白であるにもかかわらず、なお急いで攻めないのは、人や物が傷つくことを重く受け止めるからだと続きます。勝てるから戦うのではない。勝てる状況でさえ、なお踏みとどまる姿勢が語られています。結びの兵は不祥の器という一句は、武力そのものを不吉なものと断じ、やむを得ないときにだけ用いるのが天の道だと定めます。競争を戦いになぞらえがちな経営の場でも、この抑制は示唆に富みます。競合を叩き潰す力があるとき、それを行使するかどうかは別の判断です。勝てる余力があるほど、そこで何を守り何を損なうのかを問える。力の抑制こそ、成熟したリーダーの証だと言えます。
この章句が説くこと
不祥の器やむを得ざる用兵抑制天道
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