慎思録 / 巻之二
克念而後言。克念而後行。言行常當在于克念之後。一言一行。須用心點撿。不可妄發動。是言寡尤行寡悔之道也。簡者非有意于省事。但爲所可爲。而不爲所不可爲。則事自簡。好事者。往往爲所不當爲。而生事多端。所以勞心生禍也。
新字:克念而後言。克念而後行。言行常当在于克念之後。一言一行。須用心点撿。不可妄発動。是言寡尤行寡悔之道也。簡者非有意于省事。但為所可為。而不為所不可為。則事自簡。好事者。往往為所不当為。而生事多端。所以労心生禍也。
書き下し
克く念ひて而る後に言ひ、克く念ひて而る後に行ふ。言行は常に当に克く念ふの後に在るべし。一言一行、須らく心を用ゐて点検すべし。妄りに発動すべからず。是れ言に尤め寡く行ひに悔い寡きの道なり。簡なる者は事を省くに意有るに非ず。但だ為すべき所を為して、為すべからざる所を為さざれば、則ち事自ら簡なり。事を好む者は、往々にして当に為すべからざる所を為して、事を生ずること多端なり。心を労し禍を生ずる所以なり。
現代語訳
よく考えてから言い、よく考えてから行います。言葉と行いは、いつもよく考えた後にあるべきです。一言一行、心を用いて点検しなければなりません。みだりに言動を起こしてはなりません。これが、言葉に咎めが少なく、行いに悔いが少ない道です。簡素とは、ことさら事を省こうと意図することではありません。ただ、すべきことをして、すべきでないことをしなければ、事は自然に簡素になります。事を好む者は、しばしばすべきでないことをして、事をあちこちに生じさせます。これが心を疲れさせ禍を生むわけです。
解説
言行の前にひと呼吸置くことと、簡素とは何かを述べた条です。「克く念ふ」は『書経』多方篇の「惟れ狂も克く念へば聖と作る」に由来し、「言に尤め寡く行ひに悔い寡し」は『論語』為政篇の言葉です。後半の、簡素は省こうとして得るものでなく、すべきことだけをした結果だ、という指摘は鋭いものです。業務の効率化も、削ることを目的にするより、すべきでないことをやめると考えるほうが筋が通る、と教えてくれます。
この章句が説くこと
思言行簡点検慎
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