易経 / 繋辞上
子曰:「君子居其室,出其言,善則千里之外應之,況其邇者乎,居其室,出其言不善,則千里之外違之,況其邇者乎,言出乎身,加乎民,行發乎邇,見乎遠。言行君子之樞機,樞機之發,榮辱之主也。言行,君子之所以動天地也,可不慎乎。」
新字:子曰:「君子居其室,出其言,善則千里之外応之,況其邇者乎,居其室,出其言不善,則千里之外違之,況其邇者乎,言出乎身,加乎民,行発乎邇,見乎遠。言行君子之枢機,枢機之発,栄辱之主也。言行,君子之所以動天地也,可不慎乎。」
書き下し
子曰く、「君子其の室に居りて、其の言を出だすに、善なれば則ち千里の外も之に応ず。況んや其の邇(ちか)き者をや。其の室に居りて、其の言を出だすに善ならざれば、則ち千里の外も之に違(たが)う。況んや其の邇き者をや。言は身より出でて、民に加わり、行いは邇きより発して、遠きに見(あら)わる。言行は君子の枢機(すうき)なり。枢機の発するは、栄辱の主なり。言行は、君子の天地を動かす所以なり。慎まざるべけんや」と。
現代語訳
先生が言われた。「君子が自分の部屋にいて言葉を発するとき、その言葉が善ければ、千里の外の人までがこれに応じる。まして近くにいる者はなおさらである。自分の部屋にいて発した言葉が善くなければ、千里の外の人までがこれに背く。まして近くにいる者はなおさらである。言葉は自分の身から出て人々に及び、行いは身近なところから発して遠くに現れる。言葉と行いとは、君子にとって扉のかなめ、弩(いしゆみ)の引き金にあたるものである。そのかなめや引き金が動き出すところが、栄誉と恥辱とを決める。言葉と行いとは、君子が天地を動かすよりどころである。慎まずにいられようか」と。
解説
前段の鶴の詩を受けて、言葉と行いの重さを説いた一段です。人のいない部屋でつぶやいた一言でさえ、善ければ千里の外まで響き、悪ければ千里の外まで背かせる。近くの人ならなおさらだ、というのです。ここで使われる「枢機」は、扉の軸と弩の引き金を指します。どちらもごく小さな部品ですが、それが動くかどうかで扉が開き、矢が放たれる。言行とは、そういう小さくて決定的な部分だという比喩です。易の考えでは、大きな結果はつねに微細な兆しから始まります。だから君子は、目立つ場面ではなく、誰も見ていない場面での一言を慎むのです。今日の私たちにとっては、この教えはいっそう実際的でしょう。内輪のつもりの発言も、記録として残り、伝わっていきます。何を言ったかで信用は積み上がり、また一瞬で崩れます。言葉と行いを一致させること、それが最も確実な信用の作り方です。
この章句が説くこと
言行枢機栄辱慎独
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説苑・權謀下蔡の威公門を閉ぢて哭す。三日三夜、泣盡きて繼ぐに血を以てす。旁鄰牆を窺ひて之を問ふ。曰く、「子何の故ありて哭し、悲しむこと此くの若きや」と。對へて曰く、「吾が國且に亡びんとす」と。曰く、「何を以て之を知るや」と。之に應へて曰く、「吾聞く、病の將に死せんとするや、良醫爲すべからず。國の將に亡びんとするや、計謀爲すべからずと。吾數〻吾が君を諫むるも、吾が君用ゐず。是を以て國の將に亡びんとするを知るなり」と。是に於て牆を窺ふ者其の言を聞き、則ち宗を舉げて之を楚に去る。居ること數年、楚王果して兵を舉げて蔡を伐つ。牆を窺ふ者司馬と爲り、兵を將ゐて往來し、虜甚だ衆し。問ひて曰く、「昆弟故人有ること無きか」と。威公の縛せられて虜中に在るを見て、問ひて曰く、「若何を以て此に至れる」と。應へて曰く、「吾何を以て此に至らざらんや。且つ吾之を聞く、言ふ者は行ふ者の役なり、行ふ者は言ふ者の主なり。汝能く吾が言を行はば、汝主爲り、我役爲り。吾亦た何を以て此に至らざらんや」と。牆を窺ふ者乃ち之を楚王に言ひ、遂に其の縛を解き、與に俱に楚に之く。故に曰く、「能く言ふ者は未だ必ずしも能く行はず、能く行ふ者は未だ必ずしも能く言はず」と。
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孔子家語・大婚解公曰く、「敢えて問う、何をか敬身と謂う。」孔子対えて曰く、「君子言を過つれば則ち民辞を作し、行いを過てば則ち民則を作す。言辞に過ぎず、動則に過ぎざれば、百姓恭敬して以て命に従う。是の若くなれば、則ち能く其の身を敬すと謂うべく、則ち能く其の親を成すなり。」公曰く、「何をか其の親を成すと謂う。」孔子対えて曰く、「君子なる者は、人の名を成すなり。百姓名を与え、之を君子と謂えば、則ち是れ其の親を成すなり、君と為りて其の子と為ればなり。」