慎思録 / 巻之一
人不可無先見之明。苟無先見之明。則倚伏暗前算。而不免多悔。吾人之在世也。譬如瞽者摘埴而行。又曰。殆哉。然有先見之明。亦是智者之事。吾輩庸人不可及而已。苟有臨事而懼。好謀而成之志。而用深思遠慮之功。則雖無先見之明。又以庶乎寡悔。
書き下し
人は先見の明無かるべからず。苟も先見の明無ければ、則ち倚伏前算に暗くして、多く悔ゆることを免れず。吾人の世に在るや、譬へば瞽者の埴を擿りて行くが如し。又曰く、殆ふいかなと。然れども先見の明有るは、亦是れ智者の事なり。吾輩庸人の及ぶべからざるのみ。苟も事に臨みて懼れ、謀を好みて成すの志有りて、深思遠慮の功を用ふれば、則ち先見の明無しと雖も、又以て悔い寡きに庶からん。
現代語訳
人には先を見通す明がなくてはなりません。先を見通す明がなければ、禍福が寄り添い潜むことや、先々の見込みに暗く、多く悔いることを免れません。私たちがこの世にあるのは、たとえば目の見えない人が杖で地面を探りながら歩くようなものです。危ういことです。しかし先を見通す明を持つのは、知者のすることで、私たち凡人の及ぶところではありません。もし事に臨んで恐れ慎み、よく謀って成し遂げようとする志があり、深く考え遠くまで慮る努力をすれば、先を見通す明がなくても、悔いを少なくすることができるでしょう。
解説
先見の明のない凡人でも、慎重な思慮で悔いを減らせると説いた条です。「倚伏」は『老子』第五十八章の「禍は福の倚る所、福は禍の伏す所」に由来し、禍福が入れ替わる不確かさを指します。杖で地面を探って歩くたとえは揚雄の『法言』に見えます。「事に臨みて懼れ、謀を好みて成す」は『論語』述而篇で孔子が、共に事を行いたい人として挙げた姿です。未来は誰にも読めませんが、慎重に考え抜く習慣は誰でも身につけられます。凡人の自覚から出発する益軒らしい現実的な知恵です。
この章句が説くこと
先見深思慎重知論語
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