墨子 / 大取
去其愛而天下利,弗能去也?昔之知墻,非今日之知墻也。貴為天子,其利人不厚於正夫,二子事親,或遇熟或遇凶,其親也相若,非彼其行益也,非加也。外執無能厚吾利者。藉臧也死,而天下害,吾特養臧也萬倍,吾愛臧也不加厚。長人之異短人之同,其貌同者也,故同。指之人也,與首之人也異。人之體非一貌者也,故異。将劒與挺劒異,劒以形貌命者也,其形不一,故異。楊木之木,與桃木之木也同。諸非以舉量數命者,敗之,盡是也。故一人指,非一人也;是一人之指,乃是一人也。方之一靣,非方也;方木之靣,方木也。
新字:去其愛而天下利,弗能去也?昔之知墻,非今日之知墻也。貴為天子,其利人不厚於正夫,二子事親,或遇熟或遇凶,其親也相若,非彼其行益也,非加也。外執無能厚吾利者。藉臧也死,而天下害,吾特養臧也万倍,吾愛臧也不加厚。長人之異短人之同,其貌同者也,故同。指之人也,与首之人也異。人之体非一貌者也,故異。将劒与挺劒異,劒以形貌命者也,其形不一,故異。楊木之木,与桃木之木也同。諸非以舉量数命者,敗之,尽是也。故一人指,非一人也;是一人之指,乃是一人也。方之一面,非方也;方木之面,方木也。
書き下し
其の愛を去りて天下利あらば、去る能わざらんや。昔の墻を知るは、今日の墻を知るに非ざるなり。貴きこと天子と為るも、其の人を利するは正夫より厚からず。二子、親に事うるに、或いは熟に遇い、或いは凶に遇う。其の親するや相い若し。彼の其の行いの益すに非ざるなり、加うるに非ざるなり。外執、能く吾が利を厚くする者無し。藉し臧や死して天下害あらば、吾れ特だ臧を養うこと萬倍するも、吾が臧を愛するや厚きを加えず。長き人の異と短き人の同とは、其の貌の同じき者なり、故に同じ。指の人と、首の人とは異なる。人の體は一貌なる者に非ざるなり、故に異なる。将劒と挺劒とは異なる。劒は形貌を以て命ずる者なり、其の形一ならず、故に異なる。楊木の木と、桃木の木とは同じ。諸そ量數を舉ぐるを以て命ぜざる者は、之を敗るも、盡く是なり。故に一人の指は、一人に非ざるなり。是れ一人の指は、乃ち是れ一人なり。方の一靣は、方に非ざるなり。方木の靣は、方木なり。
現代語訳
その愛を捨てて天下に利があるなら、捨てられないだろうか。昔、塀を知っていたことは、今日、塀を知っていることではない。身分が天子として貴くても、その人が人を利するのは一人前の男より厚いわけではない。二人の子が親に仕えて、一方は豊作に遇い、一方は凶作に遇う。親に対する心は同じである。豊作に遇ったほうの行いが増したのではなく、加わったのでもない。外の事情には、私の利を厚くできるものはない。もし臧が死んで天下に害があるとして、私が臧を養うことを一万倍にしても、私が臧を愛する厚さは増さない。背の高い人と低い人が同じとされるのは、その姿が同じだからである。指の人と、頭の人とは異なる。人の体は一つの姿ではないから、異なる。持つ剣と抜いた剣とは異なる。剣は形や姿によって名づけるもので、その形が同じでないから異なる。楊の木の木と、桃の木の木とは同じである。量や数を挙げて名づけないものは、砕いてもすべてそれである。だから一人の指は一人ではない。この一人の指は、この一人のものである。方形の一面は方形ではない。方木の面は、方木である。
解説
この章句が説くこと
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史記 刺客列伝高漸離名姓を変じて人の庸保と為り、宋子に匿れ作す。之を久しくして、作苦しく、其の家の堂上に客の筑を撃つを聞き、傍偟して去る能はず。毎に言を出だして曰く、「彼に善有り善ならざる有り」と。従者以て其の主に告げて曰く、「彼の庸は乃ち音を知り、竊かに是非を言ふ」と。家の丈人召して前に筑を撃たしむ。一坐善しと称し、酒を賜ふ。而して高漸離、久しく隠れて畏約すること窮まる時無きを念ひ、乃ち退きて、其の装匣の中の筑と其の善衣とを出だし、容貌を更めて前む。坐を挙げて客皆驚き、下りて与に抗礼し、以て上客と為す。筑を撃ちて歌はしむ。客流涕して去らざる者無し。宋子伝へて之を客とし、秦の始皇に聞こゆ。秦の始皇召し見る。人識る者有りて、乃ち曰く、「高漸離なり」と。秦の皇帝其の善く筑を撃つを惜しみ、重ねて之を赦し、乃ち其の目を矐す。筑を撃たしむるに、未だ嘗て善しと称せずんばあらず。稍く益々之に近づく。高漸離乃ち鉛を以て筑の中に置き、復た進みて近づくを得、筑を挙げて秦の皇帝を樸つ。中らず。是に於て遂に高漸離を誅し、身を終ふるまで復た諸侯の人に近づかず。魯句践已に荊軻の秦王を刺せしを聞き、私かに曰く、「嗟乎、惜しいかな其の刺剣の術を講ぜざりしや。甚だしいかな吾の人を知らざるや。曩者吾之を叱す。彼乃ち我を以て人に非ずと為せしならん」と。太史公曰く、世に荊軻を言ふに、其の太子丹の命を称して、「天粟を雨らし、馬角を生ず」とするや、太だ過ぎたり。又荊軻秦王を傷つくと言ふも、皆非なり。始め公孫季功・董生、夏無且と游び、具に其の事を知り、余の為に之を道ふこと是の如し。曹沫より荊軻に至るまで五人、此れ其の義或いは成り或いは成らず。然れども其の意を立つること較然として、其の志を欺かず、名後世に垂る。豈に妄ならんや。
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『大和俗訓』巻之二・為学下一博学にして経書に通じ、義理を説く人も、其心術行迹あしくして、俗人におとれるもあり。是道に志なくして、道を我が心に得ざればなり。口に読みならひ、目に見おぼえても、其理を心に得ざれば益なし。たとへば美食芳樽前に多くつらなれども、これを飲みくらはざれば、食にもあく事なく、酒にゑふ事もなきが如し。書を読んで行あしき人あるをうたがふ人あり。これを以て疑をはらすべし。書をよみても道に志なくば、文字を知れるのみにて、心において益なし。是無用の学なり。ここを以て、学をするにはまづ志を本とすべし。
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『斉家論』上実に年月の過ぐる早き事は、たけき川水の流るるがごとく止まる事なし。予講釈を初めんと志し、何月何日より開講、無縁のかたがたにても、遠慮なくきかるべしと、書付を出だせしも、はや十五年に成りぬ。其の頃書付を見て、殊勝なりといふ人もあり、又あの不学にて、何を説くやと議るもあり、或は面向きは誉むれども、影にて笑ふ人もあり、其の外評判まちまちなりと聞く。予晩学の事なれば、何を覚えし事もなく、行跡も、好人に似ることあらばしかるべきに、それもいよいよ及びがたし。然るに何を教ゆと思ふべきか。吾がおしへを立つる志は、数年心をつくし、聖賢の意味、彷彿と得る者に似たる所あり、此の心を知らしむる時は、生死は言ふに及ばず、
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『慎思録』巻之一子の燕居するや、申申如たり、夭夭如たり。蓋し聖人を学ばんと欲する者は、須らく従容和楽を要すべし。是れ儒者平日の気象、宜しく此くの如くなるべし。心体は本隠微にして、未だ形迹に著れざれば、則ち執持すべからず。志は是れ心の之く所、気は体の充なり。人心の動静、気に資らざること無し。若し其の気を暴へば、則ち志も亦持し難くして、心体も亦之が為に動く。故に曰く、其の志を持して、其の気を暴ふこと勿かれと。此れ気を養ふの工夫にして、乃ち志を持し心を存するの道なり。蓋し心を養ふを以て主意と為し、気を和らぐるを以て工夫と為す。故に心を養ふの道は、気を養ふに在り。気を養ふの方は、和平にして暴ふこと無きを以て勤めと為す。此れ日用常行の緊要にして、学者の急務為り。然り而して後の学者、之を以て緊要と為すことを知らず。故に此の工夫を為す者極めて鮮し。今の学者、平日の気象言貌、都て是れ其の気を暴ふの事なり。且つ其の人に接するや、一言旨に忤ひ、一事合はざれば、則ち睚眦して怒りを発し、厲気払戻す。凡そ言行、気を使ふを以て尚しと為す者は、儒者の気象と為すべからず。明道の人に接するや、一団の和気、春風の中に坐せるが如し。是れ其の気を暴ふこと無きの至りなり。大賢の気象は、学者の当に則と為すべき所なり。
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