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斉家論 / 上

實に年月の過る早き事は、たけき川水の流るゝがごとく止る事なし、予講釋を初んと志し、何月何日より開講、無緣のかたがたにても、遠慮なくきかるべしと、書附を出せしも、はや十五年に成ぬ、其頃書付を見て、殊勝なりといふ人もあり、又あの不學にて、何を說やと議るもあり、或は面向は譽れども、影にて笑ふ人もあり、其外評判まちまちなりと聞、予晩學の事なれば、何を覺えし事もなく、行跡も、好人に似ることあらばしかるべきに、それもいよいよ及びがたし、然るに何を敎ゆと思ふべきか、吾おしへを立る志は、數年心をつくし、聖賢の意味、彷佛と得る者に似たる所あり、此心を知らしむる時は、生死は言に及ばず、

新字:実に年月の過る早き事は、たけき川水の流るゝがごとく止る事なし、予講釈を初んと志し、何月何日より開講、無縁のかたがたにても、遠慮なくきかるべしと、書附を出せしも、はや十五年に成ぬ、其頃書付を見て、殊勝なりといふ人もあり、又あの不学にて、何を説やと議るもあり、或は面向は誉れども、影にて笑ふ人もあり、其外評判まちまちなりと聞、予晩学の事なれば、何を覚えし事もなく、行跡も、好人に似ることあらばしかるべきに、それもいよいよ及びがたし、然るに何を教ゆと思ふべきか、吾おしへを立る志は、数年心をつくし、聖賢の意味、彷仏と得る者に似たる所あり、此心を知らしむる時は、生死は言に及ばず、

書き下し

実に年月の過ぐる早き事は、たけき川水の流るるがごとく止まる事なし。予講釈を初めんと志し、何月何日より開講、無縁のかたがたにても、遠慮なくきかるべしと、書付を出だせしも、はや十五年に成りぬ。其の頃書付を見て、殊勝なりといふ人もあり、又あの不学にて、何を説くやと議るもあり、或は面向きは誉むれども、影にて笑ふ人もあり、其の外評判まちまちなりと聞く。予晩学の事なれば、何を覚えし事もなく、行跡も、好人に似ることあらばしかるべきに、それもいよいよ及びがたし。然るに何を教ゆと思ふべきか。吾がおしへを立つる志は、数年心をつくし、聖賢の意味、彷彿と得る者に似たる所あり、此の心を知らしむる時は、生死は言ふに及ばず、

現代語訳

年月が過ぎる速さは、激しい川の流れのように止まることがありません。私が講釈を始めようと志し、「何月何日より開講。縁のない方々でも遠慮なくお聞きください」と書付を出してから、はや十五年になりました。当時その書付を見て、感心だと言う人もあり、あの学問のない者が何を説くのかとそしる人もあり、表向きはほめても陰で笑う人もあり、評判はまちまちだったと聞いています。私は学問を始めたのが遅く、覚えたこともなく、行いも善い人に似ていればよいのですが、それもとても及びません。では何を教えるつもりなのか。私が教えを立てる志は、数年心を尽くして、聖賢の意味をぼんやりとつかんだ者に似たところがあり、この心を人に知らせるならば、生き死にのことは言うまでもなく、

解説

斉家論の本文は、講席を開いてからの十五年を振り返るところから始まります。享保十四年(1729)、梅岩は京都の自宅に「何月何日開講、無縁の方でも遠慮なく聞きに来られよ」という書付を掲げました。本書が出た延享元年(1744)はちょうど十五年目にあたります。学問のない町人が何を説くのかと陰で笑われたことも、自分で書き留めています。それでも講釈を始めたのは、学識を誇るためではなく、自分がつかんだ「心」を人に知らせたかったからだ、と梅岩は言います。評判より先に、伝えたい中身がある人の書き出しです。

この章句が説くこと

講釈評判晩学町人

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