新論 / 長計
夫仁被四表、兒視荒要、所以使荒要父瞻 天朝也、事法古昔、使今近於古、所以使將來與今不懸也、久近之不相懸、所以永遠無變也、荒要賓服、永遠不變、而天下志士仁人、亦皆憤激自効、爭出死力、以從事於此、雖事故萬變、不肯易其志、雖累代歴世、不肯少間斷、然後大興敵愾之師、食 天神之糧、揮 天神之兵、仗 天神之仁、而奮其威、以方行天下、狹者廣之、險者平之、神武不殺之威、震於殊方絶域、則正欲使海外諸蕃來觀德輝、亦何屑屑乎其伺邊誘民之患也、
新字:夫仁被四表、児視荒要、所以使荒要父瞻 天朝也、事法古昔、使今近於古、所以使将来与今不懸也、久近之不相懸、所以永遠無変也、荒要賓服、永遠不変、而天下志士仁人、亦皆憤激自効、争出死力、以従事於此、雖事故万変、不肯易其志、雖累代歴世、不肯少間断、然後大興敵愾之師、食 天神之糧、揮 天神之兵、仗 天神之仁、而奮其威、以方行天下、狭者広之、険者平之、神武不殺之威、震於殊方絶域、則正欲使海外諸蕃来観徳輝、亦何屑屑乎其伺辺誘民之患也、
書き下し
夫れ仁四表に被り、荒要を児視するは、荒要をして天朝を父瞻せしむる所以なり。事古昔に法り、今をして古に近からしむるは、将来をして今と懸たらざらしむる所以なり。久近の相懸たらざるは、永遠に変無き所以なり。荒要賓服し、永遠に変ぜずして、天下の志士仁人も、亦皆憤激して自ら効し、争ひて死力を出して、以て此に従事し、事故万変すと雖も、其の志を易ふるを肯んぜず、累代歴世と雖も、少しも間断するを肯んぜず。然る後に大いに敵愾の師を興し、天神の糧を食み、天神の兵を揮ひ、天神の仁に仗りて、其の威を奮ひ、以て天下に方行し、狭き者は之を広め、険しき者は之を平らげ、神武不殺の威、殊方絶域に震はば、則ち正に海外の諸蕃をして来りて徳輝を観しめんと欲す、亦何ぞ其の辺を伺ひ民を誘ふの患を屑屑とせんや。
現代語訳
そもそも仁を四方の果てまで及ぼし、遠い辺境の国々を子のようにみることは、辺境の国々に天朝を父のように仰がせるためである。物事を昔にのっとり、今を古に近づけることは、将来を今とかけ離れさせないためである。遠い昔と近い今とがかけ離れないことは、永遠に変わらないためである。辺境の国々が服従し、永遠に変わらず、天下の志ある士や仁ある人々もみな奮い立って自ら力を尽くし、争って死力を出してこれに従事し、事態がどれほど変わってもその志を変えようとせず、何代を経ても少しも途切れさせようとしない。そうなってのちに大いに敵に立ち向かう軍を起こし、天神の糧を食べ、天神の武器を振るい、天神の仁に頼ってその威を奮い、天下を縦横に行き、狭いところは広げ、険しいところは平らにして、神のごとき武威でありながら殺さないという威光が遠い異国にまで震えるなら、まさに海外の諸国に来朝してその徳の輝きを仰がせようというのである。どうして彼らが辺境をうかがい民を誘うといった心配に、こせこせと気をとられることがあろうか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『講孟余話』告子上 第十八章仁の不仁に勝つは、猶ほ水の火に勝つがごとし。今の仁を為す者は、猶ほ一杯の水を以て一車薪の火を救ふがごときなり。熄まざれば則ち之を水火に勝たずと謂ふ。此れ又不仁に与するの甚だしき者なり。亦終に必ず亡はんのみ。此の章大志ある者、日夜朝暮に語誦して志を励ますべし。余囚徒となりて、神州を以て自ら任じ、四夷を撻伐せんと欲す。人に向ひて是を語れば、駭愕せざるはなし。然れども此の章を以て益々自ら信じて断じて疑はず。今神州を興隆し四夷を撻伐するは仁道なり。之を礙ぐる者は不仁なり。仁豈に不仁に勝たざらんや。若し勝たざれば仁に非ず。故に先づ一身一家より手を下し、一村一郷より同志同志と語り伝へて、此の志を同じくする者日々盛んにならば、一人より十人、十人より百人、百人より千人、千人より万人、万人より三軍と、順々進み進みして、仁に志す者豈に寥々ならんや。此の志を一身より子々孫々に伝へば、其の遺沢十年百年千年万年と愈々益々繁昌すべし。今天下の勢は、無事にして多難を伏し、至安にして至危を伏す。伏する者は必ず発す、自然の勢なり。一旦多難至危の発泄するに至りて、潰敗復た収むべからず。此の時に当りて一人より三軍、一身より子孫に伝へたる所が大用をなし、神州興隆、四夷撻伐、功必ず成るべし。而して其の規模は今日に在るなり。
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『墨子』耕柱巫馬子、子墨子に謂いて曰く、「今の人を舎きて先王を譽むるは、是れ槁骨を譽むるなり。譬えば匠人の然るが若し。槁木を知りて、生木を知らず」と。子墨子曰く、「天下の生くる所以の者は、先王の道の教えを以てなり。今、先王を譽むるは、是れ天下の生くる所以を譽むるなり。譽む可くして譽めざるは、仁に非ざるなり」と。
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説苑・建本晋の襄公薨じ、嗣君少く、趙宣子相たり。大夫に謂いて曰わく、「少君を立つれば、多難ならんことを懼る。請う雍を立てん。雍長じ、出でて秦に在り、秦大にして、以て援と為すに足る」と。賈季曰わく、「公子楽に若かず。楽国に寵有り、先君愛して之を翟に仕えしむ、翟是を以て援と為す」と。穆嬴太子を抱きて庭に呼びて曰わく、「先君奚の罪ありや、其の嗣も亦奚の罪ありや。嫡嗣を捨てて立てずして外に君子を求む」と。朝を出でて抱きて宣子に見えて曰わく、「難きを悪みて、故に長君を立てんと欲するも、長君立ちて少君壮なれば、難乃ち至らん」と。宣子之を患い、遂に太子を立つ。
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孟子・盡心章句下孟子曰く、「堯舜由り湯に至るまで、五百有餘歲。禹・皋陶の若きは、則ち見て之を知る。湯の若きは、則ち聞きて之を知る。湯由り文王に至るまで、五百有餘歲。伊尹・萊朱の若きは、則ち見て之を知る。文王の若きは、則ち聞きて之を知る。文王由り孔子に至るまで、五百有餘歲。太公望・散宜生の若きは、則ち見て之を知る。孔子の若きは、則ち聞きて之を知る。孔子由り而來今に至るまで、百有餘歲。聖人の世を去ること、此の若く其れ未だ遠からざるなり。聖人の居に近きこと、此の若く其れ甚しきなり。然り而して有ること無しとせば、則ち亦た有ること無からん。」
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説苑・修文春秋に曰く、「壬申、公高寢に薨ず。」傳に曰く、「高寢とは何ぞ?正寢なり。曷為れぞ或いは高寢と言い、或いは路寢と言うか?曰く、諸侯の正寢三つ、一に曰く高寢、二に曰く左路寢、三に曰く右路寢。高寢とは、始めて封ぜられし君の寢なり。二つの路寢とは、體を繼ぐ君の寢なり。其の二つなるは何ぞ?曰く、子父の寢に居らず、故に二寢あり。體を繼ぐ君は世世高祖の寢に居るべからず、故に高寢有り、名づけて高と曰う。路寢其の立つこと奈何?高寢中に立ち、路寢左右す。」と。春秋に曰く、「天王成周に入る。」傳に曰く、「成周とは何ぞ?東周なり。然らば則ち天子の寢奈何?曰く、亦二つの承明あり、體を繼ぎ文を守る君の寢、左右の路寢と曰う。之を承明と謂うは何ぞ?曰く、明堂の後に承くる者なり。故に天子諸侯三寢立ちて名實正しく、父子の義章らかに、尊卑の事別れ、大小の德異なるなり。」
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『墨子』耕柱公孟子曰く、「君子は作らず、術ぶるのみ」と。子墨子曰く、「然らず。人の其れ君子ならざる者は、古の善き者は誅がず、今や善き者は作らず。其の次に君子ならざる者は、古の善き者は遂げず、已に善有れば則ち之を作り、善の己より出でんことを欲す。今、誅ぎて作らざるは、是れ遂ぐるを好まずして作る者に異なる所無きなり。吾れ以為えらく、古の善き者は則ち之を誅ぎ、今の善き者は則ち之を作り、善の益ます多からんことを欲すと」と。
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