新論 / 長計
擧是義達之四方、定天社國社、天下神祠莫不統、而天下民心有所繋屬、以同奉 朝廷、〈古者諸神之稱、其 天祖之胤、及其輔佐朝政者、總謂之天神、舊族大姓、平國土者、稱之國神、即天社國社也、令義解云、天神者、伊勢、山城鴨、住吉、出雲國造祭神等類是也、地祇者、大神、大倭、葛木鴨、出雲大汝神等是也、即亦天社國社之謂也、〉
新字:挙是義達之四方、定天社国社、天下神祠莫不統、而天下民心有所繋属、以同奉 朝廷、〈古者諸神之称、其 天祖之胤、及其輔佐朝政者、総謂之天神、旧族大姓、平国土者、称之国神、即天社国社也、令義解云、天神者、伊勢、山城鴨、住吉、出雲国造祭神等類是也、地祇者、大神、大倭、葛木鴨、出雲大汝神等是也、即亦天社国社之謂也、〉
書き下し
是の義を挙げて之を四方に達し、天社国社を定め、天下の神祠統べざる莫くして、天下の民心繋属する所有りて、以て同じく朝廷を奉ず。(古は諸神の称、其の天祖の胤、及び其の朝政を輔佐する者は、総て之を天神と謂ひ、旧族大姓、国土を平らぐる者は、之を国神と称す。即ち天社国社なり。令義解に云ふ、天神とは、伊勢・山城の鴨・住吉・出雲国造の祭る神等の類是なり。地祇とは、大神・大倭・葛木の鴨・出雲の大汝神等是なりと。即ち亦天社国社の謂なり。)
現代語訳
この義を推し広めて四方に及ぼし、天社と国社を定めたので、天下の神社で統べられないものはなく、天下の民の心は結びつくところを得て、ともに朝廷を奉るようになった。(昔は神々の呼び名として、天祖の子孫、および朝廷の政治を補佐した神々をすべて天神と言い、古い氏族・大きな家柄で国土を平定した神々を国神と称した。これが天社と国社である。『令義解』に「天神とは、伊勢・山城の鴨・住吉・出雲国造の祭る神などの類がこれである。地祇とは、大神(大三輪)・大倭・葛木の鴨・出雲の大汝神などがこれである」とある。これもまた天社・国社のことをいうのである。)
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『呻吟語』内篇・倫理・福を求むるは已に君子の心に非ず郊社は、天地生成の大德に報ゆるなり。然れども災沴には禳有り、順成には祈有り。君の私田を為すは則ち仁、民の公田を為すは則ち忠なり。福を求むるを嫌はず、禍を免るるを嫌はず。子孫の先祖を祭るは、追養繼孝を以てなり。我が祖父母より此の身有るなり。曰く、「先人の澤に賴りて、以て其の餘慶を享く」と。曰く、「吾朝夕奉養して歡を承けしに、一旦復た杯棬を獻ぜず、心悲思して寄する無し、故に祭薦して以て吾が情を伸ぶるなり」と。曰く、「吾貧賤にして菽水を供するに足らず、今鼎食するも親逮ばず、心悲思して及ぶ莫し、故に祭薦して以て吾が悔いを志すなり」と。豈に其の遊魂虛位の能く我を福せんが為に之を求めんや。福を求むるは已に君子の心に非ず。而して一飯の設、數拜の勤を以て、福を先人に求む、仁孝誠敬の心果たして是くのごとくならんや。利を謀らず、報を責めず、其の感激を望まず。他人に在りてすら猶ほ然り、而るに況んや我が先人をや。『詩』の祭は必ず福を言ふ、而して『楚茨』の諸詩を尤も甚だしと為す、豈に訓と為す可けんや。吾獨り『采蘩』『采蘋』の二詩に取る有り。物を盡くし志を盡くし、以て吾が子孫の誠敬を達するのみ、他は及ばざるなり。此の道に明らかならば、則ち天下の萬事萬物皆我の當に為すべき所を盡くし、禍福利害は皆其の自ら至るに聽す。人事脩まりて外慕の心息み、道に向かふこと專らにして作輟の念忘れん。何者ぞ。性分に明らかにして冀悻する所無ければなり。
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『呻吟語』外篇・品藻・古人の笑ふ所宋儒は古に泥み、更に古昔の真偽、今世の是非を考へず。只だ祭祀一節の如し。古人は席地にして飲食に便ならず。故に簠簋籩豆を尚び、其の器は皆な高し。今古人を祭るに之を用ふるは、其の時に從ふなり。子孫の祖考を祭るは、只だ祖考の常に用ひし所の宜しきを用ふ可し。而るに簠簋籩豆是れ設くるは可ならんや。諸の此の類の如きは甚だ多く、皆な古人の笑ふ所なり。古人をして今に生まれしめば、舉動必ず此の如くならざらん。
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論語・八佾篇子曰く、『禘は既に灌より往くもの、吾これを観るを欲せざるなり。』
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『墨子』明鬼下今、無鬼を執る者曰く、意うに親の利に忠ならずして、孝子を害するを為さんか、と。子墨子曰く、古今の鬼を為すは、他に非ざるなり。天鬼有り、亦た山川鬼神なる者有り、亦た人、死して鬼と為る者有り。今、子の其の父に先んじて死し、弟の其の兄に先んじて死する者有り。意うに死すること然りと雖も、然り而して天下の陳物、曰く、先に生まるる者は先に死す、と。是くの若くんば、則ち先に死する者は父に非ざれば則ち母、兄に非ざれば而ち姒なり。今、潔く酒醴粢盛を為りて、以て敬み慎みて祭祀す。若し鬼神をして誠に有らしめば、是れ其の父母姒兄を得て之に飲食せしむるなり。豈に厚利に非ざらんや。
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『呻吟語』内篇・談道・鑿ちて求む可からず、道破す可からず鬼神を敬事するは、聖人の世教を維持する大端なり。其の義は深く、其の功は大なり。但だ自ら鑿ちて求む可からず、道破す可からざるのみ。
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『都鄙問答』卷之二・鬼神ヲ遠ト云事ヲ問ノ段又問、或人云、子曰、其の鬼に非ずして之を祭るは諂ひなりと、祭べからずとのたまふ。我朝には、土地の神、又太神宮といへども、御恩の為に、五穀の出来、初穂や或は神楽などを捧奉ることなれば、兎角唐土とは違有と云り。然るに汝、神は一列の如くに云へるは、如何なることぞ。
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