新論 / 守禦
〈慶長中、有馬氏燒虜舶、用火船逼之、享保中、黑田氏之燒虜舶、蓋亦如之云、戚繼光水寨操法、發狼機火箭、以五十歩爲準、猶謂此遠勢、非逼近勢、如臨敵、則自有一船逼近用標石火藥擲傾近攻、凡明人水兵戰法、大率是類也、而西夷水戰、亦大抵船舶相觸、而發火砲、或用脚船而相逼攻、至如鄭成功之摧紅夷船、則從銃窓突入船腹、而焚燬之、其逼近急攻如是、則遠勢之不足以決勝、亦可見也、〉
新字:〈慶長中、有馬氏焼虜舶、用火船逼之、享保中、黒田氏之焼虜舶、蓋亦如之云、戚継光水寨操法、発狼機火箭、以五十歩為準、猶謂此遠勢、非逼近勢、如臨敵、則自有一船逼近用標石火薬擲傾近攻、凡明人水兵戦法、大率是類也、而西夷水戦、亦大抵船舶相触、而発火砲、或用脚船而相逼攻、至如鄭成功之摧紅夷船、則従銃窓突入船腹、而焚燬之、其逼近急攻如是、則遠勢之不足以決勝、亦可見也、〉
書き下し
(慶長中、有馬氏の虜舶を焼くや、火船を用ひて之に逼る。享保中、黒田氏の虜舶を焼くも、蓋し亦た之の如しと云ふ。戚継光の水寨操法に、狼機・火箭を発するに、五十歩を以て準と為し、猶ほ此れを遠勢にして、逼近の勢に非ずと謂ふ。如し敵に臨まば、則ち自ら一船有りて逼近し、標石火薬を用ひ擲傾して近攻す。凡そ明人の水兵の戦法、大率是の類なり。而して西夷の水戦も、亦た大抵船舶相触れて火砲を発し、或は脚船を用ひて相逼りて攻む。鄭成功の紅夷の船を摧くが如きに至りては、則ち銃窓より船腹に突入して、之を焚燬す。其の逼近急攻すること是の如くなれば、則ち遠勢の以て勝ちを決するに足らざること、亦た見るべきなり。)
現代語訳
(慶長年間に有馬氏が外夷の船を焼いたときは、火船を使って迫った。享保年間に黒田氏が外夷の船を焼いたのも、やはり同じようであったという。戚継光の水寨の操練法では、狼機(仏郎機砲)や火矢を放つのに五十歩を基準とし、それでもなおこれを遠くからの構えであって、迫る構えではないと言っている。敵に臨めば、おのずと一隻の船が近くに迫り、石や火薬を投げつけて近くから攻める。およそ明の人の水軍の戦法は、おおむねこの類である。そして西洋の夷の水戦もまた、おおかたは船同士が触れ合うほどに近づいて大砲を放ち、あるいは小舟を使って迫って攻める。鄭成功が紅毛人(オランダ)の船を砕いたときなどは、砲門から船腹に突入して焼き払った。このように近くに迫って激しく攻めるのであれば、遠くからの構えでは勝敗を決するに足りないことも、また明らかである。)
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『新論』守禦弘安の蒙古に於ける、文禄の朝鮮に於ける、其の或は利を失ふ者は、陸戦に在らずして多く水軍に在り。是れ其の将士の勇ならざるに非ず。而して困しむ所の者は、船制低小にして、以て巨艦大舶に抗する能はざるのみ。(明の屠仲律云ふ、倭は陸戦に長じ、水闘に短なり。船敵せずして火器備はらざるを以てなり、と。兪大猷は水戦を以て禦倭の急務と為し、巨船を修備せんことを請ふこと尤も力む。戚継光も亦た云ふ、福船は高大なること城の如く、倭舟は矮小なり。故に福船風に乗じて下圧すれば、車の蟷螂を碾くが如し。船力を闘はして人力を闘はさず。是を以て毎毎勝ちを取る。設使倭船も亦た福船の如くならば、則ち吾未だ其の必ず済すの策を見ざるなり、と。此れ亦た以て水戦の利害は船制の得失に在ることを証すべきなり。)
-
『新論』守禦其の希に生ずる所の者を嗇用し、将に以て大いに用ゐる所有らんとす。其の用ゐて以て機に応じ勝を制するに至りては、則ち自ら将略有りて存す。此れ特に兵機を暁る者の為に論ずべくして、紙上に豫め論ずる所に非ざるなり。(戚継光の水戦の法の如きは、弓弩標石と火器と相参ふ。而して火器の如きも、亦其の一船に応に火薬五百斤を備ふべくして、鉛弾は三百斤に過ぎず。火薬の用、鉛弾を発するに止まらざること見るべし。而して参ふるに火箭・噴筒・薬桶の諸器を以てし、専ら鉛弾を用ゐず。則ち火器の必ずしも鉛弾を恃まざることも亦見るべし。)故に大礮の制、干鹵の用、弓弩の技、夫の鉄石雑品の採りて以て用に供すべき者と、皆火を用ゐるの術にして、以て間暇に及びて之を審議せざるべからざるなり。
-
『新論』守禦或ひと曰く、水戦は虜の長技にして、我の恃みて以て虜を制する所に非ず。必ず之を陸地に致して、然る後に戦ふべし、と。其の言固より是なり。然れども虜も亦た戦に習へば、敢へて妄りに自ら長技を捨てて人と其の短なる所を角せず。則ち彼将に洋中に停泊し、運輸を妨害して以て乗ずべきの間を伺ひ、虚実の処を熟視し、風のごとく至り電のごとく去り、之を邀ふるに方無く、之を逐ふに蹤無からんとす。是れ虜は外に忌む所無く、内に恃む所有り、東に声して西に擾し、安坐して人を制す。而るに我が兵は寸板も海に下す能はず、徒手にて陸地を奔走し、自ら罷労を取り、虜を眼前に縦ちて、一矢をも発する能はず、倉皇狼狽して、人に致されて遑あらず。何を以てか能く坐して敵を陸地に致さんや。且つ戦勝は気に在り。内に恃む有りて、外に忌む無ければ、則ち士卒の胆気自ら倍す。若し我が技をして彼と抗せざる者有らしめば、則ち未だ戦はずして気先づ阻む。猶ほ何ぞ能く従容として虜の気を撃刺馳突の表に挫かんや。
-
『新論』守禦(軍防令に、凡そ熢は便宜に従ひて安置し、但だ相照見するを得しめよ。長二人を置きて検校せしめ、昼夜時を分かちて候望せしめよ。昼は狼烟し、夜は火を放て。前熢応ぜざれば、即ち脚力を差して往きて前熢に告げ、失候の由る所を問ひ知りて、所在の官司に申せ。其の賊衆の多寡、熢燧の節級は、具に式有り。熢を放つに参差有る者は、所在の国司に告げ、勘当して実を知り、駅を発して奏聞せよ、と。明の戚継光、守哨の法を画す。墩毎に軍五名を以て瞭を守らしめ、碗口銃・小手銃・火箭・大白旗・草架等の器械を備へ、毎日三人を分かちて、極外の海辺を巡邏せしむ。警有るに遇はば、昼は則ち旗を揺らし銃を放ち、夜は則ち起火を放ち銃を放つ。墩上即便に応接す。如し天晴るれば、則ち大白旗を車起し、隣墩も亦た之の如くし、一路は只だ総督の所在の処に至りて止み、一路は本衛所の城地に至りて止む。如し天陰れば、則ち草架を将て火を挙ぐ。寇の到る墩は、一面一人を差して、径ちに本衛所幷びに陸路の官の処に到り、敵の多寡・登犯の時日・情由を報ぜしむ。而して墩軍の失候する者は、治むるに軍法を以てす。条約事件を備録し、墩毎に一本、軍に付して読誦せしめ、背記誦熟せしめ、一月の外を限りて考背し、一句を生ずれば一棍を打つ。官司査点し、或は繳め来たりて査考し、或は途に沿ひて暗に往きて親ら験し、治罪連坐具に法有り。什物軍器、補修に式有り。極めて詳密たり。宋応昌も亦た議す、緊要の海口には、三里毎に一墩を築き、兵十名を以て、輪班して瞭守せしめ、又一里毎に轟雷砲二座を設け、防口の民兵を撥して之を守らしむ、と。按ずるに明の一里は今の五町許りに当たり、三里は則ち十五町許りなり。其の墩を置くこと密と謂ふべし。此等は皆異邦の備豫の大略なり。今類に触れて之を長ぜば、則ち以て参考に備ふべし。)
-
『新論』守禦所謂火器を練るとは何ぞや。火器も亦虜の長技にして、我の恃みて以て虜を制する所に非ざるなり。然れども大礮の用は、堅を摧く所以にして、攻城守城に在りては、必ず闕くべからず。而して水戦なる者は巨艦を以て相当たり、猶ほ両塁の相牴るがごとし。大礮の製、精ならざるを得ず。精なる者は遠くして達せざる莫く、微にして中らざる莫し。固より長兵の利なり。然れども長兵も短く用ゐ、機を決するは其の人に在り。夫れ大礮一発、殺す所幾人ぞ。而して其の声猛烈にして、天を震はせ地を裂く。若し敵をして独り善く之を用ゐしめ、我以て之に応ずる無くんば、則ち兵刃未だ接せずして、三軍先づ讋る。何ぞ能く闘はんや。
-
『新論』守禦故に小船を用ゐて以て巨艦を摧く者は、一時の戦略にして、主将の方寸に在り、之を其の人に付すべし、而して防海の規制を画する所以に非ざるなり。且つ鳥銃の如きは、原西夷の製する所なるも、中国採りて之を用ゐるに及び、其の制の精なること更に之に倍す。明人之を畏れ、号して倭銃と為す。其の番銃と称せずして倭銃と称するは、亦以て我が民の巧を見るべし。則ち船制の如きも、亦善く彼に取りて以て己の用と為さば、製造の精、何ぞ独り他人の後に在らんや。(鄂羅の汗伯得勒なる者、嘗て微服して船匠と為り、間行して荷蘭に到り、大舶を造ることを習ふ。鄂羅の善く大舶を用ゐ、航海の術に精しきは、蓋し是を始めと為す。実に元禄年間の事と云ふ。夷虜の心を用ゐること、猶尚ほ之くの如し。況んや中国にして反つて自ら棄てて為さざらんや。)故に曰く、巨艦を用ゐて以て軍容を壮んにし、士卒をして恃む所有りて懾れざらしめ、虜をして忌む所有りて敢へて肆にせざらしむ、此れ水兵の宜しく急ぐべき者なりと。故に水操の法、巨艦の制は、皆海国の先務にして、間暇に及びて之を審議せざるべからざるなり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る