新論 / 守禦
今論者則止曰、列巨銃於海岸、寇至撃却之、夫巨礮大銃、非不利器也、然長兵之利在短用、而用火之術、則在於擾敵乘勢、苟無戰艦以相迫水上、無銃兵以速應之、徒以遠勢而相持則一發之銃、足以陷堅陣拉勁敵乎、且船之在洋中、銃發不必中、而虜艦堅實、雖能中之亦非一二彈丸所能摧破、今水戰之不講、乃欲遙遙居陸地安坐而摧之、非所聞也、故列銃海岸以爲固、則港嶴停泊之處、賊船必由之徑、正可設神器以使彼不得肆鼾睡耳、若夫沿海萬里、豈可悉恃列銃而以爲防海之至計哉、
新字:今論者則止曰、列巨銃於海岸、寇至撃却之、夫巨礮大銃、非不利器也、然長兵之利在短用、而用火之術、則在於擾敵乗勢、苟無戦艦以相迫水上、無銃兵以速応之、徒以遠勢而相持則一発之銃、足以陥堅陣拉勁敵乎、且船之在洋中、銃発不必中、而虜艦堅実、雖能中之亦非一二弾丸所能摧破、今水戦之不講、乃欲遥遥居陸地安坐而摧之、非所聞也、故列銃海岸以為固、則港嶴停泊之処、賊船必由之径、正可設神器以使彼不得肆鼾睡耳、若夫沿海万里、豈可悉恃列銃而以為防海之至計哉、
書き下し
今の論者は則ち止だ曰く、巨銃を海岸に列ね、寇至らば撃ちて之を却けん、と。夫れ巨礮大銃は、利器ならざるに非ず。然れども長兵の利は短用に在り、而して火を用ふるの術は、則ち敵を擾し勢ひに乗ずるに在り。苟も戦艦の以て水上に相迫る無く、銃兵の以て速やかに之に応ずる無くして、徒らに遠勢を以て相持せば、則ち一発の銃、以て堅陣を陥れ勁敵を拉ぐに足らんや。且つ船の洋中に在る、銃発するも必ずしも中らず、而して虜艦は堅実にして、能く之に中つと雖も亦た一二の弾丸の能く摧破する所に非ず。今水戦講ぜずして、乃ち遥遥として陸地に居り安坐して之を摧かんと欲するは、聞く所に非ざるなり。故に銃を海岸に列ねて以て固めと為すは、則ち港嶴の停泊の処、賊船の必ず由るの径に、正に神器を設けて以て彼をして鼾睡を肆にするを得ざらしむべきのみ。若し夫れ沿海万里、豈に悉く列銃を恃みて以て防海の至計と為すべけんや。
現代語訳
今の論者は、ただ「大砲を海岸に並べ、敵が来たら撃って退ければよい」と言う。そもそも大砲や大筒は、役に立たない武器ではない。しかし長距離の武器の利点は近くで用いることにあり、火器を用いる術は敵をかき乱して勢いに乗ずることにある。もし水上で迫る軍艦もなく、すぐに応じる銃兵もなく、ただ遠くから構えて対峙するだけなら、一発の砲弾で堅い陣を落とし、強い敵をくじくことができようか。そのうえ船が沖にいれば、撃っても必ずしも当たらず、外夷の船は堅固だから、当たったとしても一つ二つの砲弾で砕けるものではない。今、水戦を工夫しないで、はるかに陸地に居座って安閑としたまま敵を砕こうとするのは、聞いたこともない話である。だから海岸に大砲を並べて守りとするのは、港や入り江の停泊地、賊船が必ず通る水路にこそ大砲を据えて、相手に高いびきで眠らせないようにするためだけである。沿岸万里のすべてで、どうして並べた大砲に頼ることを海防の最良の策とできようか。
解説
この章句が説くこと
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『春秋左氏伝』哀公十六年 熊宜僚、剣に動かず曰く、「王孫、何ぞ自ら厲ぐや」と。曰く、「勝は直を以て聞ゆ。女に告げずんば、庸ぞ直と為さんや。將に以て爾の父を殺さんとす」と。平、以て子西に告ぐ。子西曰く、「勝は卵の如し。余、翼して之を長ず。楚國の第、我死せば、令尹・司馬、勝に非ずして誰ぞ」と。勝、之を聞きて曰く、「令尹の狂なるや。死を得ば乃ち我に非ず」と。子西悛めず。勝、石乞に謂ひて曰く、「王と二卿士と、皆五百人もて之に當らば、則ち可なり」と。乞曰く、「得可からざるなり」と。曰く、「市の南に熊宜僚なる者有り。若し之を得ば、以て五百人に當る可し」と。乃ち白公に從ひて之を見る。之と言ひて說ぶ。之に故を告ぐ。辭す。之に承くるに劍を以てす。動かず。勝曰く、「利の為に諂はず、威の為に惕れず、人の言を洩らして以て媚を求めざる者なり」と。之を去る。吳人、慎を伐つ。白公、之を敗る。戰備を以て獻ぜんと請ふ。之を許す。遂に亂を作す。
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