新論 / 國體下
天祖丕重民命、肇開蒼生衣食之原、御田之稻、機殿之繭、遂遍滿天下、民至於今受其賜、是固 天祖仁澤之所曁、而土亦宜於穀也、夫 神州位東方、向朝陽、 帝出於震、於五行爲木、所以宜穀、四時則爲春、所以生養萬物、而元元之民、固非如飲血茹毛之俗、則自古號稱瑞穗之國、不亦宜乎、古者 天子受嘉穀於 天神、以生養民物、〈天神授齋庭穗於 皇孫、皇孫用以饗於 天神、其説粗見上篇、〉其富也者即因天地之富也、至後世、則天下之富、稍稍分散、一轉而移於武人、又轉而歸於市人、而天下所以受其弊者、不勝枚擧、請試竟其説、
新字:天祖丕重民命、肇開蒼生衣食之原、御田之稲、機殿之繭、遂遍満天下、民至於今受其賜、是固 天祖仁沢之所曁、而土亦宜於穀也、夫 神州位東方、向朝陽、 帝出於震、於五行為木、所以宜穀、四時則為春、所以生養万物、而元元之民、固非如飲血茹毛之俗、則自古号称瑞穂之国、不亦宜乎、古者 天子受嘉穀於 天神、以生養民物、〈天神授斎庭穂於 皇孫、皇孫用以饗於 天神、其説粗見上篇、〉其富也者即因天地之富也、至後世、則天下之富、稍稍分散、一転而移於武人、又転而帰於市人、而天下所以受其弊者、不勝枚挙、請試竟其説、
書き下し
天祖丕いに民命を重んじ、肇めて蒼生衣食の原を開きたまふ。御田の稲、機殿の繭、遂に天下に遍満し、民今に至るまで其の賜を受く。是れ固より天祖の仁沢の曁ぶ所にして、土も亦穀に宜しきなり。夫れ神州は東方に位し、朝陽に向かふ。帝は震に出づ、五行に於て木と為す、穀に宜しき所以なり。四時には則ち春と為す、万物を生養する所以なり。而して元元の民、固より飲血茹毛の俗の如きに非ず。則ち古より号して瑞穂の国と称する、亦宜ならずや。古者天子嘉穀を天神に受けて、以て民物を生養したまふ。(天神斎庭の穂を皇孫に授けたまひ、皇孫用ゐて以て天神を饗したまふ。其の説粗ぼ上篇に見ゆ。)其の富や、即ち天地の富に因るなり。後世に至りては、則ち天下の富、稍稍分散し、一転して武人に移り、又転じて市人に帰す。而して天下の其の弊を受くる所以の者、枚挙に勝へず。請ふ試みに其の説を竟へん。
現代語訳
天祖は大いに民の命を重んじ、はじめて民の衣食のもとを開かれた。御田の稲と機殿(はたどの)の繭は、ついに天下に行きわたり、民は今に至るまでその恵みを受けている。これはもとより天祖の慈しみが及んだものであり、また土地も穀物に適しているのである。そもそも我が国は東方に位置し、朝日に向かっている。「帝は震(東)に出づ」(『易経』説卦伝)といい、五行では木にあたるので、穀物に適している。四季では春にあたるので、万物を生み養う。そして民衆は、もとより獣の血を飲み毛ごと肉を食らう風俗の者たちとは違う。だから昔から「瑞穂の国」と呼ばれてきたのも当然ではないか。古くは天子が天神からよい穀物を受けて、民と万物を生み養われた(天神が斎庭の稲穂を皇孫に授け、皇孫がそれを用いて天神をもてなされた。その説はおおよそ前の篇に見える)。その富は、すなわち天地の富によるものである。後世になると、天下の富はしだいに分散し、一転して武人に移り、さらに転じて町人のもとに帰した。そのために天下が受けている弊害は、数え上げればきりがない。試みにその説を述べ尽くしてみよう。
解説
この章句が説くこと
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『新論』國體下古者大嘗の祭、天下と其の誠敬を共にす。新穀已に熟すれば、必ず用ゐて以て天神に報じ、然る後天下と之を嘗む。而して天下皆食ふ所の粟は即ち是れ天神の頒ちたまふ所の種なるを知る。是に於てか天命を畏れて地力を尽くし、人心天地と一にして、同じく其の富を受く。天地と間無き所以なり。然れども創業の世、治化猶未だ洽からずして、朝政時に盛衰有り、人或いは自ら其の富を私す。天智天皇積弊を革除し、天下をして私地私儲を廃せしめ、天下と其の富を同じくし、大宝に至りて制度大いに備はる。
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『呻吟語』外篇・品藻・古人の笑ふ所宋儒は古に泥み、更に古昔の真偽、今世の是非を考へず。只だ祭祀一節の如し。古人は席地にして飲食に便ならず。故に簠簋籩豆を尚び、其の器は皆な高し。今古人を祭るに之を用ふるは、其の時に從ふなり。子孫の祖考を祭るは、只だ祖考の常に用ひし所の宜しきを用ふ可し。而るに簠簋籩豆是れ設くるは可ならんや。諸の此の類の如きは甚だ多く、皆な古人の笑ふ所なり。古人をして今に生まれしめば、舉動必ず此の如くならざらん。
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論語・八佾篇子曰く、『禘は既に灌より往くもの、吾これを観るを欲せざるなり。』
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『墨子』明鬼下今、無鬼を執る者曰く、意うに親の利に忠ならずして、孝子を害するを為さんか、と。子墨子曰く、古今の鬼を為すは、他に非ざるなり。天鬼有り、亦た山川鬼神なる者有り、亦た人、死して鬼と為る者有り。今、子の其の父に先んじて死し、弟の其の兄に先んじて死する者有り。意うに死すること然りと雖も、然り而して天下の陳物、曰く、先に生まるる者は先に死す、と。是くの若くんば、則ち先に死する者は父に非ざれば則ち母、兄に非ざれば而ち姒なり。今、潔く酒醴粢盛を為りて、以て敬み慎みて祭祀す。若し鬼神をして誠に有らしめば、是れ其の父母姒兄を得て之に飲食せしむるなり。豈に厚利に非ざらんや。
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『呻吟語』内篇・倫理・福を求むるは已に君子の心に非ず郊社は、天地生成の大德に報ゆるなり。然れども災沴には禳有り、順成には祈有り。君の私田を為すは則ち仁、民の公田を為すは則ち忠なり。福を求むるを嫌はず、禍を免るるを嫌はず。子孫の先祖を祭るは、追養繼孝を以てなり。我が祖父母より此の身有るなり。曰く、「先人の澤に賴りて、以て其の餘慶を享く」と。曰く、「吾朝夕奉養して歡を承けしに、一旦復た杯棬を獻ぜず、心悲思して寄する無し、故に祭薦して以て吾が情を伸ぶるなり」と。曰く、「吾貧賤にして菽水を供するに足らず、今鼎食するも親逮ばず、心悲思して及ぶ莫し、故に祭薦して以て吾が悔いを志すなり」と。豈に其の遊魂虛位の能く我を福せんが為に之を求めんや。福を求むるは已に君子の心に非ず。而して一飯の設、數拜の勤を以て、福を先人に求む、仁孝誠敬の心果たして是くのごとくならんや。利を謀らず、報を責めず、其の感激を望まず。他人に在りてすら猶ほ然り、而るに況んや我が先人をや。『詩』の祭は必ず福を言ふ、而して『楚茨』の諸詩を尤も甚だしと為す、豈に訓と為す可けんや。吾獨り『采蘩』『采蘋』の二詩に取る有り。物を盡くし志を盡くし、以て吾が子孫の誠敬を達するのみ、他は及ばざるなり。此の道に明らかならば、則ち天下の萬事萬物皆我の當に為すべき所を盡くし、禍福利害は皆其の自ら至るに聽す。人事脩まりて外慕の心息み、道に向かふこと專らにして作輟の念忘れん。何者ぞ。性分に明らかにして冀悻する所無ければなり。
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