新論 / 國體中
夫以節義磨勵士衆、必倣傚 東照宮當日之意、所以強本也、使邦君得養強於國、士大夫養強於邑、兵有土、土有兵、所以強末也、本末共強、兵甲既衆、天下之民、有勇知方、義氣溢海内、用海内全力、以興膺懲之師、使醜虜屛跡竄形不敢近邊、庶幾不忝國體矣、
新字:夫以節義磨励士衆、必倣傚 東照宮当日之意、所以強本也、使邦君得養強於国、士大夫養強於邑、兵有土、土有兵、所以強末也、本末共強、兵甲既衆、天下之民、有勇知方、義気溢海内、用海内全力、以興膺懲之師、使醜虜屛跡竄形不敢近辺、庶幾不忝国体矣、
書き下し
夫れ節義を以て士衆を磨励するは、必ず東照宮当日の意に倣傚す。本を強くする所以なり。邦君をして強を国に養ふを得しめ、士大夫をして強を邑に養はしめ、兵に土有り、土に兵有らしむるは、末を強くする所以なり。本末共に強く、兵甲既に衆く、天下の民、勇有りて方を知り、義気海内に溢れ、海内の全力を用ゐて、以て膺懲の師を興し、醜虜をして跡を屏け形を竄して敢へて辺に近づかざらしめば、庶幾くは国体を忝めざらん。
現代語訳
節義によって武士たちを磨き励ますことは、必ず東照宮の当時の意図に倣うべきで、これが中央を強くする道である。諸大名には自国で力を養わせ、士大夫には自分の領地で力を養わせ、兵には土地があり、土地には兵があるようにするのが、地方を強くする道である。中央も地方もともに強く、兵も武具も多くそろい、天下の民が勇気を持ち、しかも進むべき道を知って、義の気風が国中にあふれ、国中の全力をあげて懲らしめの軍を興し、醜い夷狄が姿を隠して辺境に近づこうとしないようにできれば、国体を辱めずに済むであろう。
解説
正志斎の兵制改革の提案である。中央は家康に倣って節義で武士を鍛え、地方は諸大名と武士に領地で力を養わせ、兵と土地を再び結びつける。「本末共に強し」がその目標である。「勇有りて方を知る」は『論語』先進篇で子路が述べた志を踏まえた表現である。前段までの、中央を強くして地方を弱くした近世の統治への批判が、ここで具体的な処方になる。現代の組織に置き換えれば、本部の理念と規律を保ちつつ、各部門や拠点に権限と力を持たせて、全体として強くなる道を探る発想として読める。
この章句が説くこと
強兵本末節義地着国体新論
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