新語 / 道基
後世淫邪,增之以鄭、衛之音,民弃本趨末,技巧橫出,用意各殊,則加雕文刻鏤,傅致膠漆丹青、玄黃琦瑋之色,以窮耳目之好,極工匠之巧。夫驢騾駱駝,犀象瑇瑁,琥珀珊瑚,翠羽珠玉,山生水藏,擇地而居,潔清明朗,潤澤而濡,磨而不磷,湼而不淄,天氣所生,神靈所治,幽閒清淨,與神浮沈,莫不効力為用,盡情為器。故曰,聖人成之。所以能統物通變,治情性,顯仁義也。
新字:後世淫邪,增之以鄭、衛之音,民弃本趨末,技巧横出,用意各殊,則加雕文刻鏤,傅致膠漆丹青、玄黄琦瑋之色,以窮耳目之好,極工匠之巧。夫驢騾駱駝,犀象瑇瑁,琥珀珊瑚,翠羽珠玉,山生水蔵,択地而居,潔清明朗,潤沢而濡,磨而不磷,湼而不淄,天気所生,神霊所治,幽閒清浄,与神浮沈,莫不効力為用,尽情為器。故曰,聖人成之。所以能統物通変,治情性,顕仁義也。
書き下し
後世淫邪にして、之を増すに鄭・衛の音を以てし、民は本を棄て末に趨き、技巧横出し、用意各々殊なれば、則ち雕文刻鏤を加え、膠漆丹青、玄黄琦瑋の色を傅致し、以て耳目の好みを窮め、工匠の巧みを極む。夫れ驢騾駱駝、犀象瑇瑁、琥珀珊瑚、翠羽珠玉は、山に生じ水に蔵れ、地を択びて居り、潔清明朗、潤沢にして濡い、磨すれども磷がず、涅すれども淄まず、天気の生ずる所、神霊の治むる所、幽閒清浄にして、神と浮沈し、力を効して用を為し、情を尽くして器を為さざる莫し。故に曰く、「聖人之を成す」と。能く物を統べ変に通じ、情性を治め、仁義を顕す所以なり。
現代語訳
後の世は淫らで邪になり、そこへ鄭・衛の音楽を加え、民は根本を捨てて枝葉に走り、技巧がやたらに現れ、思うところがそれぞれ違うので、彫刻や模様を加え、にかわ・漆・赤・青、黒や黄の珍しい色を塗り付け、耳や目の好みを極め、職人の技巧を尽くすようになりました。そもそも驢馬や騾馬、駱駝、犀や象、玳瑁、琥珀、珊瑚、翡翠の羽や珠玉は、山に生まれ水に隠れ、場所を選んで住み、清く明るく、うるおいがあり、磨いても薄くならず、染めても黒くならず、天の気が生み、神霊が治めるもので、静かで清らかに神とともに浮き沈みして、力を尽くして用をなし、心を尽くして器となります。だからこう言うのです。「聖人がこれを成す」と。物を統べ、変化に通じ、情と性を治め、仁義を表すための手立てなのです。
解説
この章句が説くこと
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