新論 / 國體上
佛法之入 中國、朝議謂國家有祀典、不宜拜蕃神、而逆臣馬子私奉之、與皇子厩戸等黨比、興造伽藍、自是僧徒日衆、爭鼓其説、民志於是乎離渙矣、大寶之制、列神祇於大政之上、隸僧尼於玄蕃、可謂知國體、然猶不免於分祭政爲二者、當時人情世態、既非如往日之純一也、而及 聖武 孝謙之朝、則佛事益盛、朝政廷議、無非所以奉佛者、遂置國分寺諸道、與國府並立、以布其法國郡、使佛事與政一、上之所好、用以爲政、爲之下者、孰不爭趨之、是以天下靡然、唯蕃神是敬、及本地之説作、而赫赫神明、冒以佛名、誣天欺人、擧吾民所瞻仰者、悉爲胡神之分支末屬、變 神明之邦、以爲身毒之國、駈中原之赤子、以爲西戎之徒屬、内既自夷、國體安存也、
新字:仏法之入 中国、朝議謂国家有祀典、不宜拝蕃神、而逆臣馬子私奉之、与皇子厩戸等党比、興造伽藍、自是僧徒日衆、争鼓其説、民志於是乎離渙矣、大宝之制、列神祇於大政之上、隸僧尼於玄蕃、可謂知国体、然猶不免於分祭政為二者、当時人情世態、既非如往日之純一也、而及 聖武 孝謙之朝、則仏事益盛、朝政廷議、無非所以奉仏者、遂置国分寺諸道、与国府並立、以布其法国郡、使仏事与政一、上之所好、用以為政、為之下者、孰不争趨之、是以天下靡然、唯蕃神是敬、及本地之説作、而赫赫神明、冒以仏名、誣天欺人、挙吾民所瞻仰者、悉為胡神之分支末属、変 神明之邦、以為身毒之国、駈中原之赤子、以為西戎之徒属、内既自夷、国体安存也、
書き下し
仏法の中国に入るや、朝議謂ふ、「国家に祀典有り、宜しく蕃神を拝すべからず」と。而るに逆臣馬子私に之を奉じ、皇子厩戸等と党比して、伽藍を興造す。是より僧徒日に衆く、争ひて其の説を鼓し、民志是に於てか離渙す。大宝の制、神祇を大政の上に列し、僧尼を玄蕃に隷す。国体を知ると謂ふべし。然れども猶ほ祭政を分ちて二と為すを免れざる者は、当時の人情世態、既に往日の純一なるが如きに非ざればなり。而して聖武・孝謙の朝に及びては、則ち仏事益々盛んにして、朝政廷議、仏を奉ずる所以に非ざる者無し。遂に国分寺を諸道に置き、国府と並び立て、以て其の法を国郡に布き、仏事をして政と一ならしむ。上の好む所、用ゐて以て政と為せば、之が下為る者、孰か争ひて之に趨かざらん。是を以て天下靡然として、唯蕃神のみ是れ敬す。本地の説作るに及びて、赫赫たる神明、冒すに仏名を以てし、天を誣ひ人を欺き、吾が民の瞻仰する所の者を挙げて、悉く胡神の分支末属と為し、神明の邦を変じて、以て身毒の国と為し、中原の赤子を駆りて、以て西戎の徒属と為す。内既に自ら夷す。国体安くにか存せんや。
現代語訳
仏法が中国(日本)に入ったとき、朝廷の議論では「国家には祭祀の制度があるので、外国の神を拝むべきではない」とされた。ところが逆臣の蘇我馬子がひそかにこれを奉じ、皇子の厩戸(聖徳太子)らと結んで寺院を建てた。これ以後、僧侶は日に日に増え、争ってその説を広め、民の志はここで離れ散った。大宝令の制度では、神祇官を太政官の上に置き、僧尼を玄蕃寮に属させた。国体を知っていたといえる。しかしそれでも祭祀と政治を二つに分けることを免れなかったのは、当時の人情や世の有様が、もはや昔のように純一ではなかったからである。そして聖武天皇・孝謙天皇の朝廷になると、仏事はますます盛んになり、朝廷の政治や議論で仏を奉じるためでないものはなくなった。ついに国分寺を諸道に置いて国府と並び立て、その教えを国や郡に広め、仏事を政治と一つにした。上の者が好むことを政治に用いれば、下の者で争ってそれに従わない者がいようか。こうして天下はなびき従い、ただ外国の神だけを敬うようになった。本地垂迹の説が起こると、輝かしい神々に仏の名をかぶせ、天をあざむき人を欺いて、わが民が仰ぎ見てきた神々をすべて外国の神の分身や末流とし、神々の国を変えて天竺(インド)の国とし、中原(日本)の民を駆り立てて西方の異国の信徒とした。内側がすでに自ら夷狄となってしまっては、国体はどこに存在しうるだろうか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『新論』國體上故に祖宗の訓、巫覡に乱れ、仏に変じ、陋儒俗学に微へ、左右の言説、民心を滅裂して、君臣の義・父子の親は、則ち漠然として之を度外に置く。天人の大道、果たして悪くにか在る。然れども往時民聴を乱す所の者は、其の極も境内の奇衺の民と為るに過ぎざるのみ。西荒の戎虜に至りては、則ち各国邪穌の法を奉じて、以て諸国を呑併し、至る所祠宇を焚燬し、人民を誣罔し、以て其の国土を侵奪す。其の志、尽く人の君を臣とし人の民を役するに非ざれば則ち慊らざるなり。其の益々猖桀なるに及び、既に呂宋・瓜哇を傾覆し、遂に神州に朶頤し、嘗て西辺を煽動し、呂宋・瓜哇に加ふる所以の者を以て之を神州に加へんと欲す。其の邪説の民聴を乱す所以の者、豈に特に境内の奇衺の民と為すのみにして止まんや。幸ひにして明君賢佐其の姦を洞察し、誅鋤夷滅して、復た焦類無く、邪頑の徒、種を中土に易ふるを得ざること、此に二百年、民をして妖夷の煽惑を免れしむ。其の徳沢為るや大なり。
-
『新論』國體上(中庸に云ふ、「郊社の礼は、上帝に事ふる所以なり。宗廟の礼は、其の先を祀る所以なり。郊社の礼、禘嘗の義に明かならば、国を治むること其れ諸を掌に示すが如きか」と。蓋し国を治むること掌に示す者は、郊社禘嘗にして、其の礼と義とは、則ち帝に事へ先を祀ると曰ふ是れなり。亦神聖の教を立つるの意と合す。)若し能く因りて益々祖宗の政教を修明し、久しくして倦まずんば、則ち其の功烈将に勝げて言ふべからざる者有らんとす。而るに異端邪説、相踵いで作る。巫覡の流有り、浮屠の法有り、陋儒俗学有り、西荒耶蘇の説有り、及び他の化を淆し俗を傷る所以の者、枚挙するに勝へざるなり。
-
『新論』國體上故に後白河上皇の尊きを以てして、山法師の制し難きを嘆ず。時勢亦見るべきなり。一向専念の説作るに至りては、則ち名祠大社の祀典に在る者と雖も、之を瞻礼するを許さず、以て本に報い始めに反るの心を遏絶して、専ら胡神を奉ず。民是を以て西戎有るを知りて、中原有るを知らず、僧尼有るを知りて、君父有るを知らず。其の叛乱するに及びては、則ち義に仗りて賊を討つ者を指して、以て法敵と為し、乃ち一時の忠烈の士をして弓を挽き戈を揮ひて反つて君父を仇とせしむるに至る。忠孝の廃れ、民志の散ずる、極まれりと謂ふべし。
-
『新論』國體上何をか邪説の害と謂ふ。昔者、神聖既に神道を以て教を設け、民心を緝収する所以の者、専ら一に出で、固より成規有り。而して天に事へ先を祀るの意、之を後世に伝へて、民本に報い始めに反るの義を知る。太祖天神を奉じて、以て不順を討ち、至る所明禋し、遂に霊畤を立てて、皇祖天神を祭り、以て大孝を申ぶ。崇神天皇神祇を崇重し、天祖に敬事し、祀典を天下に班ち、本に報い始めに反るの義天下に達す。天下朝廷を仰ぐこと天神の如く、孝を以て君に事へ、心を同じくし志を一にし、共に其の忠を輸して、風俗以て惇し。応神天皇の朝に至り、周人の経籍を得て、之を天下に行ふ。其の書は堯舜周孔の道を言ひ、其の国は神州に隣し、風気相類す。其の教は天命人心に本づき、忠孝を明かにして以て帝に事へ先を祀る。天祖の彝訓と大いに同じ。
-
『新論』國體下夫れ武人土を離るれば、其の勢多く卒を養ふを得ず。故に間民を市井に雇ひて、以て騶従に充て工役に供す。間民都城に充斥し、緩急用ゐるべからずして、坐して粱肉に飽く。其の冗為るや大なり。天下の仏寺殆ど五十万、僧尼及び奴隷を通計すれば、其の幾百万なるを知らず。(唐の傅奕高祖に上書して言ふ、僧尼をして匹配せしめば、即ち十余万戸と云云。武宗仏寺を廃し、其の上都及び東都は二寺を留め、節鎮は各々一寺を留め、寺四千六百余区、招提蘭若四万余区を毀ち、僧尼の帰俗する者二十六万五百人、良田数千万頃、奴婢十五万人を収む。之に拠れば則ち唐国の土地の大にして、其の仏寺の多き、神州の十分の一に及ばず。然るに時人尚ほ以て夥しと為す。則ち神州の仏寺も亦盛んなりと謂ふべし。)
-
『新論』國體上夫れ方今古を去ること遠しと雖も、仰ぐ所の至尊は則ち儼然として天祖の正胤なり。治むる所の蒼生は、則ち依然として天祖の愛養したまふ所の裔孫なり。苟も能く人心の磨滅すべからざる者に因りて、之が教条を設け、神聖の天下を淬礪したまふ所以の意に原づき、天に事へ先を祀り本に報い始めに反り、因りて以て君臣の義を正し、父子の親を敦くし、万民を槖籥して、以て一心と為さば、豈に甚だ為し難からんや。此れ乃ち千載の一時、必ず失ふべからざるの機なり。臣是を以て弊の由りて生ずる所を審らかにせんと欲し、邪説の害に眷眷たらざるを得ざるなり。夫れ英雄は通変神化し、為すべからざるの時無く、為すべからざるの事無し。而して帝王の恃みて以て四海を保つ所の者は、天人の大道なり。其の文は変ずべきも、其の義は易ふべからず。則ち神聖の天地を経緯し億兆をして皆其の上に親しみて離るるに忍びざらしむる所以の意は、今日と雖も亦復た行ふべからざる者無し。今時勢の変なり、邪説の害なり、天下其の弊に勝へずと雖も、而も之を更張作新せんと欲すれば、顧ふに之を処する所以の方何如なるのみ。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る