臣軌 / 卷上 同體章
故《周書》稱殷紂有億兆夷人,離心離德,此其所以亡也;周武有亂臣十人,同心同德,此其所以興也。《尚書》曰:“明四目,達四聰。”謂舜求賢,使代己視聽於四方也。昔屠蒯亦云:“汝為君目,將司明也。汝為君耳,將司聽也。”軒轅氏有四臣,以察四方,故《屍子》云:“黃帝四目。”
新字:故《周書》称殷紂有億兆夷人,離心離徳,此其所以亡也;周武有乱臣十人,同心同徳,此其所以興也。《尚書》曰:“明四目,達四聰。”謂舜求賢,使代己視聴於四方也。昔屠蒯亦云:“汝為君目,将司明也。汝為君耳,将司聴也。”軒轅氏有四臣,以察四方,故《屍子》云:“黄帝四目。”
書き下し
故に『周書』に称す、殷紂に億兆の夷人有るも、心を離し徳を離す、此れその亡びし所以なり。周武に乱臣十人有り、心を同じくし徳を同じくす、此れその興りし所以なり、と。『尚書』に曰く、「四目を明らかにし、四聡を達す」と。舜、賢を求めて、己に代わりて四方に視聴せしむるを謂うなり。昔、屠蒯も亦た云う、「汝は君の目為り、将に明を司らんとす。汝は君の耳為り、将に聴を司らんとす」と。軒轅氏に四臣有り、以て四方を察す。故に『屍子』に云う、「黄帝は四目」と。
現代語訳
だから『書経』周書(泰誓篇)には、殷の紂王には億兆もの民がいたが、心も徳もばらばらだった、これが殷の滅びた理由である。周の武王には国を治める臣(乱臣、乱は治の意)が十人いて、心も徳も一つだった、これが周の興った理由である、とある。『書経』には「四方を見る目を明らかにし、四方を聞く耳を通わせる」とある。これは舜が賢者を求め、自分に代わって四方を見聞きさせたことを言うのである。昔、屠蒯(とかい、晋の料理番の長)もまた、「お前(寵臣の嬖叔)は君の目であり、明らかに見ることを司る。お前(楽師の師曠)は君の耳であり、よく聞くことを司る」と言った。黄帝(軒轅氏)には四人の臣がいて、四方を観察させた。だから『尸子』には「黄帝は目が四つある」と言うのである。
解説
関連する章句
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『管子』法禁昔者聖王の人を治むるや、其の人の博學なるを貴ばず、其の人の和同して以て令を聽くを欲するなり。泰誓に曰く、「紂に臣億萬人有り、亦た億萬の心有り。武王に臣三千有りて心を一にす」と。故に紂は億萬の心を以て亡び、武王は一心を以て存す。故に國を有つの君、苟くも人心を同じくし、國威を一にし、士義を齊しくし、上の治に通じて以て下の法と為す能わざれば、則ち廣地衆民有りと雖も、猶お以て安しと為す能わざるなり。君其の道を失えば、則ち大臣は權重を比べて以て國に相舉げ、小臣は必ず利に循いて以て相就くなり。故に舉國の士を以て亡黨と為し、公道を行いて以て私惠と為す。進みては則ち君に相推し、退きては則ち民に相譽め、各々其の身を便にして、社稷を忘れ、以て其の居を廣め、徒を聚め羣に威し、上は以て君を蔽い、下は以て民を索む、此れ皆な君を弱くし國を亂すの道なり。
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『臣軌』卷上 同體章故に『虞書』に曰く、「臣は朕が股肱耳目と作る。余、左右に人有らんことを欲す、汝翼けよ。余、力を四方に宣べんと欲す、汝為せ」と。故に知る、臣は君を以て心と為し、君は臣を以て体と為すを。心安ければ則ち体安く、君泰ければ則ち臣泰し。未だ心は中に瘁みて、体は外に悦び、君は上に憂えて、臣は下に楽しむ有らず。古人の所謂「その安危を共にし、その休戚を同じくす」とは、豈に信ならざらんや。
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尚書・泰誓中受には億兆の夷人有れども、心を離し徳を離す。予には乱臣十人有り、心を同じくし徳を同じくす。
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史記 殷本紀紂曰く、「我生まれて命の天に在る有らずや」と。祖伊反りて、曰く、「紂諫む可からず」と。西伯既に卒し、周の武王の東伐して、盟津に至る。諸侯の殷に叛きて周に会する者八百。諸侯皆曰く、「紂伐つ可し」と。武王曰く、「爾未だ天命を知らず」と。乃ち復た帰る。紂愈淫乱して止まず。微子数諫むるも聴かず、乃ち大師・少師と謀り、遂に去る。比干曰く、「人臣為る者は、死を以て争はざるを得ず」と。迺ち強ひて紂を諫む。紂怒りて曰く、「吾聞く、聖人の心に七竅有りと」と。比干を剖き、其の心を観る。箕子懼れ、乃ち詳狂して奴と為る。紂又之を囚ふ。殷の大師・少師乃ち其の祭楽器を持ちて周に奔る。周の武王是に於て遂に諸侯を率ゐて紂を伐つ。紂も亦兵を発して之を牧野に距ぐ。甲子の日、紂の兵敗る。紂走り、入りて鹿台に登り、其の宝玉の衣を衣て、火に赴きて死す。
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『臣軌』卷上 同體章それ大廈を構えんと欲する者は、必ず衆材に藉る。楹柱・棟梁・栱櫨・榱桷、長短方円、用うる所は各々異なると雖も、自ずから衆材の同体に非ざれば、則ちその構えを成す能わず。国を為むる者も亦た猶おこれのごとし。人の才能は天性の稟を殊にし、或いは仁、或いは智、或いは武、或いは文と雖も、然れども群臣の同体に非ざれば、則ちその業を興す能わず。
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説苑・尊賢禹は夏を以て王たり、桀は夏を以て亡ぶ。湯は殷を以て王たり、紂は殷を以て亡ぶ。闔廬は呉を以て天下に戦勝して敵無く、而して夫差は越に見禽らる。文公は晋国を以て霸たり、而して厲公は匠麗の宮に見弑せらる。威王は斉を以て天下に強く、而して湣王は廟梁に弑死す。穆公は秦を以て名を顕し号を尊くし、而して二世は望夷に劫かさる。其の君王たる所以は同じくして、功跡の等しからざる者は、任ずる所異なればなり。是の故に成王襁褓に処りて諸侯に朝せしむるは、周公の事を用えればなり。趙の武霊王五十年にして沙丘に餓死するは、李充に任ぜし故なり。桓公管仲を得て、九たび諸侯を合わせ、一たび天下を匡す。管仲を失いて豎刁・易牙に任じ、身死して葬られず、天下の笑いと為る。一人の身、栄辱倶に施さる、任ずる所に在り。故に魏に公子無忌有りて、地を削られて復た得たり。趙は藺相如に任じて、秦兵敢えて鄢陵に出でず。唐睢に任じて、国独り特立す。楚に申包胥有りて、昭王位に反る。斉に田単有りて、襄王国を得たり。此に由りて之を観れば、国に賢佐俊士無くして、能く功を成し名を立て、危を安んじ絶を継ぐ者は、未だ嘗て有らざるなり。故に国は大を務めずして民心を得るを務め、佐は多きを務めずして賢俊を得るを務む。民心を得る者は民之に往き、賢佐有る者は士之に帰す。文王炮烙の刑を除かんことを請いて殷民従い、湯張網の者の三面を去りて夏民従い、越王旧冢を隳たずして呉人服す、其の民心に順う所以を為せばなり。故に声同じければ処異なりて相応じ、徳合すれば未だ見えずして相親しむ。賢者本朝に立てば、則ち天下の豪、相率いて之に趨く。何を以て其の然るを知るや。曰く、管仲は桓公の賊なり、鮑叔以て己より賢なりとして之を進めて相と為し、七十言にして説くこと乃ち聴かる。遂に桓公をして報讎の心を除きて国政を委ねしむ。桓公垂拱無事にして諸侯に朝せしむるは、鮑叔の力なり。管仲の能く桓公に北走して自危の心無き所以の者は、鮑叔に声を同じくすればなり。紂王子比干を殺し、箕子髪を被りて狂を佯る。陳の霊公泄冶を殺して鄧元陳を去る。是より後、殷は周に兼ねられ、陳は楚に亡ぶ。其の比干・泄冶を殺して箕子と鄧元とを失いしを以てなり。燕の昭王郭隗を得て、鄒衍・楽毅斉・趙より至り、蘇子・屈景周・楚より至る。是に於いて兵を挙げて斉を攻め、閔王を莒に棲ましむ。燕地を校し衆を計るに、斉と均しきに非ざれども、然れども能く意を信ぶこと此に至る所以の者は、士を得るに由ればなり。故に常安の国無く、恒治の民無し。賢を得れば則ち安昌、之を失えば則ち危亡す。古より今に及ぶまで、未だ然らざる者有らざるなり。明鏡は形を昭らかにする所以なり、往古は今を知る所以なり。夫れ往古の危亡する所以を悪知りて、其の安昌する所以に迹を襲うことを務めざれば、則ち未だ卻走して前人に逮ばんことを求むるに異ならざるなり。太公之を知る、故に微子の後を挙げ、比干の墓を封ず。夫れ聖人の死者に於けるすら尚お是くの如く厚し、況んや当世にして生存する者をや。則ち其の失わざるべきこと識るべし。
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