詩経 / 周頌・閔予小子之什・訪落
《訪落》,嗣王謀於廟也。 訪予落止,率時昭考。於乎悠哉,朕未有艾。將予就之,繼猶判渙。維予小子,未堪家多難。紹庭上下,陟降厥家。休矣皇考,以保明其身。
新字:《訪落》,嗣王謀於廟也。 訪予落止,率時昭考。於乎悠哉,朕未有艾。将予就之,継猶判渙。維予小子,未堪家多難。紹庭上下,陟降厥家。休矣皇考,以保明其身。
書き下し
訪落(ほうらく)は、嗣王、廟に謀るなり。 予(われ)が落(はじ)めを訪(はか)り、時(こ)の昭考に率(したが)わん。於乎(ああ)悠(はる)かなるかな、朕(われ)未だ艾(おさ)むること有らず。予を将(たす)けてこれに就かしめんとするも、継ぐ猶(はかりごと)判渙(はんかん)す。維れ予小子、未だ家の多難に堪えず。庭の上下に紹(つ)ぎ、厥(そ)の家に陟降す。休(よ)いかな皇考、以て其の身を保ち明らかにせよ。
現代語訳
「訪落」の詩は、王位を継いだ王が、祖先の廟で政のはじめについて謀ったときの歌である。 私は政のはじめに当たって、どうすべきかを諮り、この亡き父君の道に従おうと思う。ああ、その道ははるかに遠く、私にはまだ治める力がない。群臣は私を助けてその道に就かせようとするが、父の計りごとを継ぐには、私の力はまだ散り散りでまとまらない。この未熟な私は、家の多くの難儀にまだ耐えられない。父君の霊が廟の庭を昇り降りし、この家を行き来して見守ってくださるように。ああ、すばらしい父君よ、どうか私の身を守り、明らかに導きたまえ。
解説
新たに王位を継いだ若い王が、政を始めるにあたって祖先の廟で臣下と謀る周頌の歌である。父の道に従おうと思いながら、その道ははるかに遠く、自分にはまだ治める力がないと嘆き、家の多難に耐えられないと弱音を吐き、最後は父の霊に身を守り導いてくれるよう祈る。毛詩序は嗣王が廟に謀る詩とし、前篇「閔予小子」に続く成王の即位の歌として読まれてきた。成王は幼くして即位し、叔父の周公が摂政として政を助けたと伝えられる。この詩の王は、自分の力不足を包み隠さず、臣下と祖霊に助けを求めている。上に立つ者が「まだ力が足りない」と率直に言えることは、弱さではなく、周りの力を引き出す始まりでもある。
この章句が説くこと
詩経成王承継周頌謀
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