詩経 / 周頌・臣工之什・武
《武》,奏《大武》也。 於皇武王,無競維烈。允文文王,克開厥後。嗣武受之,勝殷遏劉,耆定爾功。
書き下し
武(ぶ)は、大武(たいぶ)を奏するなり。 於(ああ)皇(おお)いなる武王、競(つよ)きこと無きは維れ烈(いさお)なり。允(まこと)に文なる文王、克(よ)く厥(そ)の後を開く。嗣(つ)ぎて武これを受け、殷に勝ちて劉(ころ)すを遏(とど)め、爾(なんじ)の功を耆(いた)し定む。
現代語訳
「武」の詩は、大武の楽舞を奏したときの歌である。 ああ、偉大なる武王、その功業ほど強いものはない。まことに文徳ある文王が、よく後の世を切り開いた。それを継いだ武王が天命を受け、殷に勝って殺し合いを止め、あなたの功を成し遂げて定めた。
解説
武王が殷を討った功をたたえる周頌の短い歌で、周の大楽「大武」の一部として奏されたと伝えられる。文王が道を開き、武王がそれを継いで殷に勝ち、殺戮を止めて功を定めた、と歌う。毛詩序は「大武」を奏する詩とする。『左伝』宣公十二年で、楚の荘王は「武」の意味を説く際に、「時邁」の句とともに、この「武」の卒章として「爾の功を耆し定む」を挙げている。『論語』八佾篇では、孔子が舜の楽「韶」を「美を尽くし、又善を尽くせり」と評したのに対し、武王の楽「武」は「美を尽くせり、未だ善を尽くさず」と評した。武力で天下を得たことへの留保と読まれてきた。正しい戦いであっても、武力による解決には限界がある、という孔子の視点は、今も考えるに値する。
この章句が説くこと
詩経武王大武論語左伝
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