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詩経 / 国風・唐風・蟋蟀

《蟋蟀》,刺晉僖公也。儉不中禮,故作是詩以閔之,欲其及時以禮自虞樂也。此晉也,而謂之唐,本其風俗,憂深思遠,儉而用禮,乃有堯之遺風焉。 蟋蟀在堂,歲聿其莫。今我不樂,日月其除。無已大康,職思其居。好樂無荒,良士瞿瞿。 蟋蟀在堂,歲聿其逝。今我不樂,日月其邁。無已大康,職思其外。好樂無荒,良士蹶蹶。 蟋蟀在堂,役車其休。今我不樂,日月其慆。無已大康,職思其憂。好樂無荒,良士休休。

新字:《蟋蟀》,刺晋僖公也。倹不中礼,故作是詩以閔之,欲其及時以礼自虞楽也。此晋也,而謂之唐,本其風俗,憂深思遠,倹而用礼,乃有堯之遺風焉。 蟋蟀在堂,歳聿其莫。今我不楽,日月其除。無已大康,職思其居。好楽無荒,良士瞿瞿。 蟋蟀在堂,歳聿其逝。今我不楽,日月其邁。無已大康,職思其外。好楽無荒,良士蹶蹶。 蟋蟀在堂,役車其休。今我不楽,日月其慆。無已大康,職思其憂。好楽無荒,良士休休。

書き下し

蟋蟀(しっしゅつ)は、晋の僖公を刺るなり。倹にして礼に中(あた)らず、故に是の詩を作りて以てこれを閔(あわ)れみ、其の時に及びて礼を以て自ら虞楽(ぐらく)せんことを欲するなり。此れ晋なり、而して之を唐と謂うは、其の風俗に本(もと)づく。憂い深く思い遠く、倹にして礼を用う、乃ち堯の遺風有り。 蟋蟀堂に在り、歳聿(ここ)に其れ莫(く)れんとす。今我楽しまずんば、日月其れ除(す)ぎん。已(はなは)だ大いに康(たの)しむこと無かれ、職(つね)に其の居を思え。楽しみを好みて荒(すさ)むこと無かれ、良士は瞿瞿(くく)たり。 蟋蟀堂に在り、歳聿に其れ逝かんとす。今我楽しまずんば、日月其れ邁(ゆ)かん。已だ大いに康しむこと無かれ、職に其の外を思え。楽しみを好みて荒むこと無かれ、良士は蹶蹶(けいけい)たり。 蟋蟀堂に在り、役車其れ休む。今我楽しまずんば、日月其れ慆(す)ぎん。已だ大いに康しむこと無かれ、職に其の憂いを思え。楽しみを好みて荒むこと無かれ、良士は休休(きゅうきゅう)たり。

現代語訳

「蟋蟀」の詩は、晋の僖公をそしったものである。倹約が過ぎて礼にかなわないので、この詩を作ってそれを気の毒に思い、時を逃さず礼にかなった楽しみを持ってほしいと願ったのである。これは晋の詩であるのに唐の風と呼ぶのは、その風俗に基づく。憂いが深く思いが遠く、倹約しながら礼を用いる、そこに堯(ぎょう)の遺風があるからである。 こおろぎが座敷に入ってきた、今年もいよいよ暮れようとしている。今わたしが楽しまなければ、月日はどんどん過ぎ去ってしまう。けれども楽しみすぎてはいけない、いつも自分の務めを思え。楽しみを好んでも溺れてはならない、よき士はつつしみ深く周りに気を配るもの。 こおろぎが座敷に入ってきた、今年もいよいよ過ぎ去ろうとしている。今わたしが楽しまなければ、月日はどんどん行ってしまう。けれども楽しみすぎてはいけない、いつも務めの外のことにも思いを致せ。楽しみを好んでも溺れてはならない、よき士はきびきびと勤めるもの。 こおろぎが座敷に入ってきた、役目の車も休みの季節になった。今わたしが楽しまなければ、月日はどんどん過ぎ去ってしまう。けれども楽しみすぎてはいけない、いつも憂うべきことを思え。楽しみを好んでも溺れてはならない、よき士はゆったりと落ち着いているもの。

解説

こおろぎが家の中に入ってくる晩秋、一年の暮れを前に「今楽しまなければ月日は過ぎてしまう」と歌いながら、すぐに「楽しみすぎるな、務めを思え」と自らを戒める。楽しみたい気持ちと、溺れまいとする心の往復が、三章にわたって続く。毛詩序は、晋の僖公が倹約に過ぎて礼にかなった楽しみも持たないことを気の毒に思い、時を逃さず礼の範囲で楽しむよう勧めた詩と読み、晋の詩を「唐風」と呼ぶのは堯の遺風が残るからだと説明する。朱熹は、唐の民が年の暮れに互いに宴しながら、なお節度を忘れない歌と見た。「楽しみを好みて荒むこと無かれ」は、『論語』八佾篇で孔子が関雎を評した「楽しみて淫せず」に通じる。楽しむことと律することは対立しない。その両方を持つ者を「良士」と呼んだのである。

この章句が説くこと

詩経唐節度歳末良士

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