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詩経 / 国風・斉風・東方之日

《東方之日》,刺衰也。君臣失道,男女淫奔,不能以禮化也。 東方之日兮,彼姝者子,在我室兮。在我室兮,履我即兮。 東方之月兮,彼姝者子,在我闥兮。在我闥兮,履我發兮。

新字:《東方之日》,刺衰也。君臣失道,男女淫奔,不能以礼化也。 東方之日兮,彼姝者子,在我室兮。在我室兮,履我即兮。 東方之月兮,彼姝者子,在我闥兮。在我闥兮,履我発兮。

書き下し

東方之日は、衰えを刺るなり。君臣道を失い、男女淫奔し、礼を以て化すること能わざるなり。 東方の日、彼の姝(しゅ)たる子、我が室に在り。我が室に在り、我に履(ふ)みて即(つ)く。 東方の月、彼の姝たる子、我が闥(たつ)に在り。我が闥に在り、我に履みて発(ゆ)く。

現代語訳

「東方之日」の詩は、世の衰えをそしったものである。君臣ともに道を失い、男女がみだらに駆け落ちし、礼によって人々を教化することができなかったことをいう。 東の空の日のように輝く、あの美しい人が、わたしの部屋にいる。わたしの部屋にいて、わたしの足あとを踏んでついて来る。 東の空の月のように輝く、あの美しい人が、わたしの戸口にいる。わたしの戸口にいて、わたしの足あとを踏んで去って行く。

解説

東の空の日や月のように輝く美しい人が、自分の部屋に来て、足あとを踏んでついて来る、と男が歌う。日と月を並べ、部屋と戸口、来ることと去ることを対にした、短く印象的な二章である。毛詩序は、君臣が道を失い、男女が礼によらずに結びつく衰えた世をそしった詩と読んだ。鄭玄は日と月を君と臣のたとえとし、明るい君臣であれば礼で民を化せるのに、と解している。朱熹は、これを淫奔の者が自ら述べた歌とする。詩そのものは、恋人が忍んで来て、また去っていく、夜と朝の間のはかない逢瀬を写したものとして読める。美しいものを天の光にたとえる感覚は、古今を通じて変わらない。ただ、光のように来て光のように去る関係には、どこか危うさもつきまとう。

この章句が説くこと

詩経斉恋日月毛詩序

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