詩経 / 国風・王風・君子陽陽
《君子陽陽》,閔周也。君子遭亂,相招為祿仕,全身遠害而已。 君子陽陽,左執簧,右招我由房,其樂只且! 君子陶陶,左執翿,右招我由敖,其樂只且!
新字:《君子陽陽》,閔周也。君子遭乱,相招為禄仕,全身遠害而已。 君子陽陽,左執簧,右招我由房,其楽只且! 君子陶陶,左執翿,右招我由敖,其楽只且!
書き下し
君子陽陽は、周を閔(うれ)うるなり。君子乱に遭い、相招きて禄仕(ろくし)を為し、身を全うし害を遠ざくるのみ。 君子陽陽(ようよう)たり、左に簧(こう)を執り、右に我を招きて房(ぼう)由りす、其れ楽しきのみ。 君子陶陶(とうとう)たり、左に翿(とう)を執り、右に我を招きて敖(ごう)由りす、其れ楽しきのみ。
現代語訳
「君子陽陽」の詩は、周の衰えを悲しんだものである。君子たちは乱世に遭い、互いに誘い合って俸禄のためだけに官に仕え、身を全うして災いを避けるばかりであった。 あの人は得意満面、左手に笙(しょう)を持ち、右手で私を招いて奥の間の楽に加わらせる、ああ楽しいことだ。 あの人はうっとりと楽しげ、左手に羽の舞具を持ち、右手で私を招いて遊びの楽に加わらせる、ああ楽しいことだ。
解説
笙を手にした人が、舞具を手にした人が、私を招いて楽しい演奏と舞に加わらせる。表面上は明るい楽しみの歌である。しかし毛詩序は、周の衰えを悲しんだ歌と読み、乱世に遭った君子たちが、志を捨てて俸禄のためだけに楽官のような低い職に仕え、身を守ることだけを考えていたさまを歌ったものとする。つまり「楽しいことだ」という言葉の裏に、道を行えない時代の諦めを読むのである。一方、朱熹は、前の「君子于役」の妻が帰ってきた夫と楽しむ歌かもしれないと推し量り、素直な喜びの歌として読んだ。同じ言葉が、読む者の置く背景によって、喜びにも苦い自嘲にもなる。乱れた世で本来の志を棚上げし、目の前の楽しみに身を寄せる生き方は、責めるべきなのか、それとも一つの知恵なのか、考えさせられる。
この章句が説くこと
詩経音楽乱世処世王風
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