詩経 / 国風・召南・甘棠
《甘棠》,美召伯也。召伯之教,明於南國。 蔽芾甘棠,勿翦勿伐,召伯所茇。 蔽芾甘棠,勿翦勿敗,召伯所憩。 蔽芾甘棠,勿翦勿拜,召伯所說。
新字:《甘棠》,美召伯也。召伯之教,明於南国。 蔽芾甘棠,勿翦勿伐,召伯所茇。 蔽芾甘棠,勿翦勿敗,召伯所憩。 蔽芾甘棠,勿翦勿拝,召伯所説。
書き下し
甘棠(かんとう)は、召伯(しょうはく)を美(ほ)むるなり。召伯の教え、南国に明らかなり。 蔽芾(へいはい)たる甘棠、翦(き)る勿(な)かれ伐る勿かれ、召伯の茇(やど)りし所。 蔽芾たる甘棠、翦る勿かれ敗(やぶ)る勿かれ、召伯の憩いし所。 蔽芾たる甘棠、翦る勿かれ拝(ま)ぐる勿かれ、召伯の説(やど)りし所。
現代語訳
「甘棠」の詩は、召伯(召公奭(しょうこうせき))をたたえたものである。召伯の教えが、南方の国々にあまねく明らかであった。 こんもりと茂るこの山梨の木を、刈ってはならぬ、切ってはならぬ。召伯さまが草を敷いて宿られた所だ。 こんもりと茂るこの山梨の木を、刈ってはならぬ、傷めてはならぬ。召伯さまが休まれた所だ。 こんもりと茂るこの山梨の木を、刈ってはならぬ、枝を折り曲げてはならぬ。召伯さまが身を休められた所だ。
解説
周の重臣召公が南方を巡ったとき、甘棠(やまなし)の木の下で訴えを裁き、政務をとった。人々はその徳を慕い、召公が去った後もその木を切らずに大切にした、と伝えられる。この詩はその木を前に、切るな、傷めるな、折り曲げるなと語りかける短い歌である。毛詩序も召伯をたたえる詩としており、詩と序の読みはおおむね一致する。『史記』燕召公世家もこの故事を記し、後世、「甘棠の愛」は、善政を行った為政者を民が去ってのちまで慕うことを表す言葉となった。『左伝』襄公十四年にも、周の人々は召公を思うあまりその甘棠まで愛した、という趣旨でこの故事が語られている。民が木一本を守ろうとするのは、そこに人の記憶が宿っているからである。去った後に何を残すか。人の上に立つ者の本当の評価は、そこで決まる。
この章句が説くこと
詩経召公善政甘棠召南
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