詩経 / 国風・召南・草虫
《草蟲》,大夫妻能以禮自防也。 喓喓草蟲,趯趯阜螽。未見君子,憂心忡忡。亦既見止,亦既覯止,我心則降。 陟彼南山,言采其蕨。未見君子,憂心惙惙。亦既見止,亦既覯止,我心則說。 陟彼南山,言采其薇。未見君子,我心傷悲。亦既見止,亦既覯止,我心則夷。
新字:《草虫》,大夫妻能以礼自防也。 喓喓草虫,趯趯阜螽。未見君子,憂心忡忡。亦既見止,亦既覯止,我心則降。 陟彼南山,言采其蕨。未見君子,憂心惙惙。亦既見止,亦既覯止,我心則説。 陟彼南山,言采其薇。未見君子,我心傷悲。亦既見止,亦既覯止,我心則夷。
書き下し
草虫は、大夫の妻、能く礼を以て自ら防ぐなり。 喓喓(ようよう)たる草虫、趯趯(てきてき)たる阜螽(ふしゅう)。未だ君子を見ず、憂心忡忡(ちゅうちゅう)たり。亦既に見(まみ)え、亦既に覯(あ)わば、我が心則ち降(くだ)らん。 彼の南山に陟(のぼ)り、言に其の蕨(わらび)を采る。未だ君子を見ず、憂心惙惙(てつてつ)たり。亦既に見え、亦既に覯わば、我が心則ち説(よろこ)ばん。 彼の南山に陟り、言に其の薇(び)を采る。未だ君子を見ず、我が心傷悲す。亦既に見え、亦既に覯わば、我が心則ち夷(たい)らかならん。
現代語訳
「草虫」の詩は、大夫の妻が礼によって自らを慎み守ることができたことを歌ったものである。 チチッと鳴く草むらの虫、ぴょんぴょんと跳ねるいなご。まだあの方に会えず、心は憂いに揺れ動く。もしお会いできたなら、もしお逢いできたなら、わたしの心もきっと落ち着くだろう。 あの南の山に登り、わらびを摘む。まだあの方に会えず、心は憂いに沈む。もしお会いできたなら、もしお逢いできたなら、わたしの心もきっと晴れるだろう。 あの南の山に登り、野えんどうを摘む。まだあの方に会えず、わたしの心は傷み悲しむ。もしお会いできたなら、もしお逢いできたなら、わたしの心もきっと安らぐだろう。
解説
この章句が説くこと
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