史記 / 太史公自序
維三代之禮,所損益各殊務,然要以近性情,通王道,故禮因人質為之節文,略協古今之變。作禮書第一。樂者,所以移風易俗也。自雅頌聲興,則已好鄭衛之音,鄭衛之音所從來久矣。人情之所感,遠俗則懷。比樂書以述來古,作樂書第二。非兵不彊,非德不昌,黃帝、湯、武以興,桀、紂、二世以崩,可不慎歟?司馬法所從來尚矣,太公、孫、吳、王子能紹而明之,切近世,極人變。作律書第三。律居陰而治陽,歷居陽而治陰,律歷更相治,閒不容翲忽。五家之文怫異,維太初之元論。作歷書第四。星氣之書,多雜禨祥,不經;推其文,考其應,不殊。比集論其行事,驗于軌度以次,作天官書第五。受命而王,封禪之符罕用,用則萬靈罔不禋祀。追本諸神名山大川禮,作封禪書第六。維禹浚川,九州攸寧;爰及宣防,決瀆通溝。作河渠書第七。維幣之行,以通農商;其極則玩巧,并兼茲殖,爭於機利,去本趨末。作平準書以觀事變,第八。太伯避歷,江蠻是適;文武攸興,古公王跡。闔廬弒僚,賓服荊楚;夫差克齊,子胥鴟夷;信嚭親越,吳國既滅。嘉伯之讓,作吳世家第一。申、呂肖矣,尚父側微,卒歸西伯,文武是師;功冠群公,繆權于幽;番番黃髪,爰饗營丘。
新字:維三代之礼,所損益各殊務,然要以近性情,通王道,故礼因人質為之節文,略協古今之変。作礼書第一。楽者,所以移風易俗也。自雅頌声興,則已好鄭衛之音,鄭衛之音所従来久矣。人情之所感,遠俗則懐。比楽書以述来古,作楽書第二。非兵不彊,非徳不昌,黄帝、湯、武以興,桀、紂、二世以崩,可不慎歟?司馬法所従来尚矣,太公、孫、呉、王子能紹而明之,切近世,極人変。作律書第三。律居陰而治陽,歴居陽而治陰,律歴更相治,閒不容翲忽。五家之文怫異,維太初之元論。作歴書第四。星気之書,多雑禨祥,不経;推其文,考其応,不殊。比集論其行事,験于軌度以次,作天官書第五。受命而王,封禅之符罕用,用則万霊罔不禋祀。追本諸神名山大川礼,作封禅書第六。維禹浚川,九州攸寧;爰及宣防,決瀆通溝。作河渠書第七。維幣之行,以通農商;其極則玩巧,并兼茲殖,争於機利,去本趨末。作平準書以観事変,第八。太伯避歴,江蠻是適;文武攸興,古公王跡。闔廬弒僚,賓服荊楚;夫差克斉,子胥鴟夷;信嚭親越,呉国既滅。嘉伯之譲,作呉世家第一。申、呂肖矣,尚父側微,卒帰西伯,文武是師;功冠群公,繆権于幽;番番黄髪,爰饗営丘。
書き下し
維れ三代の礼、損益する所各々務めを殊にす。然れども要は性情に近く、王道に通ずるを以てす。故に礼は人の質に因りて之が節文を為し、略々古今の変に協ふ。礼書第一を作る。楽は風を移し俗を易ふる所以なり。雅頌の声興りしより、則ち已に鄭衛の音を好む。鄭衛の音の従りて来たる所久し。人情の感ずる所、遠俗も則ち懐く。楽書を比べて以て来古を述べ、楽書第二を作る。兵に非ずんば彊からず、徳に非ずんば昌えず。黄帝・湯・武は以て興り、桀・紂・二世は以て崩る。慎まざる可けんや。司馬法の従りて来たる所尚し。太公・孫・呉・王子能く紹ぎて之を明らかにし、近世に切にして、人変を極む。律書第三を作る。律は陰に居りて陽を治め、暦は陽に居りて陰を治む。律暦更々相治め、間に翲忽を容れず。五家の文は怫異す。維れ太初の元論なり。暦書第四を作る。星気の書は、多く禨祥を雑へ、経ならず。其の文を推し、其の応を考ふるに、殊ならず。比集して其の行事を論じ、軌度に験して以て次し、天官書第五を作る。命を受けて王たるに、封禅の符は用ふること罕なり。用ふれば則ち万霊禋祀せざる罔し。諸神・名山・大川の礼を追本して、封禅書第六を作る。維れ禹は川を浚ひ、九州寧き攸。爰に宣防に及び、瀆を決し溝を通ず。河渠書第七を作る。維れ幣の行はるるは、以て農商を通ず。其の極は則ち巧を玩び、并兼して茲殖し、機利を争ひ、本を去りて末に趨く。平準書を作りて以て事変を観る。第八なり。太伯は歴を避け、江蛮に是れ適く。文武の興る攸は、古公の王跡なり。闔廬は僚を弑し、荊楚を賓服す。夫差は斉に克ち、子胥は鴟夷せらる。嚭を信じ越に親しみ、呉国既に滅ぶ。伯の譲るを嘉し、呉世家第一を作る。申・呂は肖(おとろ)へ、尚父は側微なり。卒に西伯に帰し、文武是れ師とす。功は群公に冠たり、権を幽に繆(めぐ)らす。番番たる黄髪、爰に営丘を饗く。
現代語訳
夏・殷・周の三代の礼は、それぞれ減らしたり加えたりしたところが違い、務めとしたことも異なる。しかし要は人の本性と感情に近く、王道に通じることにある。だから礼は人の素質に基づいて節度と文飾を定め、おおむね古今の変化に合わせている。そこで礼書第一を作った。音楽は風俗を移し変えるためのものである。雅や頌の正しい音楽が興ってから、人々はすでに鄭・衛のみだらな音楽を好むようになっていた。鄭・衛の音楽の由来は古い。人の心が感動すれば、遠い異国の人々も慕い寄ってくる。音楽の書を並べて古来の音楽を述べ、楽書第二を作った。兵がなければ強くならず、徳がなければ栄えない。黄帝・湯王・武王はそれによって興り、桀・紂・秦の二世はそれによって崩れた。慎まずにいられようか。司馬法の由来は古い。太公望・孫子・呉起・王子成父がよくそれを受け継いで明らかにし、近い時代に切実に役立て、人事の変化を究めた。そこで律書第三を作った。音律は陰の位置にあって陽を治め、暦は陽の位置にあって陰を治める。音律と暦は互いに治め合い、その間にはわずかなすき間も入る余地がない。五つの暦家の説はそれぞれ食い違っているが、太初暦の元の論こそが基準である。そこで暦書第四を作った。星や雲気の占いの書には、吉凶の迷信が多く混じっていて、正統ではない。しかしその文を推し量り、その応験を考えると、(現実と)異ならない。そこでそれらを集めて天体の運行を論じ、その軌道と度数に照らして順序立て、天官書第五を作った。天命を受けて王となっても、封禅のしるしを用いることはまれである。用いれば、あらゆる神霊が祭りを受けないことはない。諸神や名山・大川を祭る礼の根本をたどって、封禅書第六を作った。禹は川をさらって、九州は安らかになった。やがて宣防宮(瓠子の堤)に至り、堤を切って水路を通した。そこで河渠書第七を作った。貨幣が流通するのは、農業と商業を通じさせるためである。それが行き過ぎると、技巧をもてあそび、他人の財を併合して殖やし、機会の利益を争い、根本(農業)を捨てて末(商業)に走るようになる。そこで平準書を作って事態の変化を観察した。これが第八である。太伯は(弟の)季歴に位を譲って避け、長江の蛮地に行った。文王・武王が興ったのは、古公亶父が王者の基礎を築いたからである。闔廬は王僚を殺し、楚を服従させた。夫差は斉に勝ったが、伍子胥は鴟夷(革袋)に入れられて長江に捨てられた。伯嚭を信じ越に親しんだので、呉の国は滅んだ。太伯の譲位をたたえて、呉世家第一を作った。申・呂の家は衰え、尚父(太公望)は身分が低かった。ついに西伯(文王)に帰し、文王・武王はこれを師とした。その功は群臣の筆頭で、ひそかに謀をめぐらした。白髪の老人となって、営丘に封ぜられた。
解説
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史記 太史公自序維れ昔、黄帝は天に法り地に則り、四聖序に遵ひ、各々法度を成す。唐堯位を遜り、虞舜台(よろこ)ばず。厥の帝功を美とし、万世之を載す。五帝本紀第一を作る。維れ禹の功、九州同じくする攸(ところ)、唐虞の際を光かし、徳は苗裔に流る。夏桀淫驕にして、乃ち鳴条に放たる。夏本紀第二を作る。維れ契は商を作し、爰に成湯に及ぶ。太甲は桐に居り、徳は阿衡に盛んなり。武丁は説を得て、乃ち高宗と称す。帝辛は湛湎し、諸侯享せず。殷本紀第三を作る。維れ棄は稷と作り、徳は西伯に盛んなり。武王は牧野にて、実に天下を撫す。幽・厲は昏乱し、既に酆・鎬を喪ふ。陵遅して赧に至り、洛邑祀らず。周本紀第四を作る。維れ秦の先、伯翳は禹を佐く。穆公は義を思ひ、豪の旅を悼む。人を以て殉と為し、詩は黄鳥を歌ふ。昭襄は帝を業とす。秦本紀第五を作る。始皇既に立ち、六国を并兼し、鋒を銷して鐻を鋳、維れ干革を偃(ふ)す。尊号して帝と称し、武を矜り力に任ず。二世運を受け、子嬰降虜す。始皇本紀第六を作る。秦其の道を失ひ、豪桀並び擾る。項梁之を業とし、子羽之に接す。慶を殺し趙を救ひ、諸侯之を立つ。嬰を誅し懐に背き、天下之を非とす。項羽本紀第七を作る。子羽は暴虐、漢は功徳を行ふ。蜀漢に憤発し、還りて三秦を定む。籍を誅して帝を業とし、天下惟れ寧く、制を改め俗を易ふ。高祖本紀第八を作る。恵の早く霣(お)ち、諸呂台ばず。禄・産を崇彊し、諸侯之を謀る。隠を殺し友を幽し、大臣洞疑し、遂に宗禍に及ぶ。呂太后本紀第九を作る。漢既に初めて興り、継嗣明らかならず。王を迎へて祚を践ましめ、天下心を帰す。肉刑を蠲除し、関梁を開通し、恩を広め博く施す。厥れ太宗と称す。孝文本紀第十を作る。諸侯驕恣にして、呉首として乱を為す。京師誅を行ひ、七国辜に伏す。天下翕然として、大いに安く殷富なり。孝景本紀第十一を作る。
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史記 太史公自序柯の盟に背かずして、桓公以て昌え、諸侯を九合し、覇功顕彰す。田・闞寵を争ひ、姜姓解亡す。父の謀を嘉し、斉太公世家第二を作る。之に依り之に違ふも、周公之を綏んず。文徳を憤発し、天下之に和す。成王を輔翼し、諸侯周を宗とす。隠・桓の際、是れ独り何ぞや。三桓彊を争ひ、魯乃ち昌えず。旦の金縢を嘉し、周公世家第三を作る。武王紂に克ちて、天下未だ協はずして崩ず。成王既に幼く、管・蔡之を疑ひ、淮夷之に叛く。是に於いて召公徳を率ゐ、王室を安集し、以て東土を寧んず。燕噲の禅、乃ち禍乱を成す。甘棠の詩を嘉し、燕世家第四を作る。管・蔡は武庚を相け、将に旧商を寧んぜんとす。旦の摂政するに及び、二叔饗けず。鮮を殺し度を放ち、周公盟を為す。大任の十子、周以て宗彊し。仲の過ちを悔ゆるを嘉し、管蔡世家第五を作る。王后絶えず、舜禹是れ説ぶ。維れ徳休明にして、苗裔烈を蒙る。百世享祀し、爰に周の陳・杞、楚実に之を滅ぼす。斉田既に起こる。舜は何人ぞや。陳杞世家第六を作る。殷の余民を収め、叔封始めて邑す。申ぬるに商の乱を以てし、酒材是れ告ぐ。朔の生まるるに及び、衛頃くして寧からず。南子蒯聵を悪み、子父名を易ふ。周の徳卑微にして、戦国既に彊く、衛は小弱を以て、角独り後に亡ぶ。彼の康誥を喜び、衛世家第七を作る。嗟、箕子か。嗟、箕子か。正言用ひられず、乃ち反って奴と為る。武庚既に死し、周微子を封ず。襄公泓に傷つく、君子孰か称す。景公の謙徳、熒惑退行す。剔成暴虐にして、宋乃ち滅亡す。微子の太師に問ふを喜び、宋世家第八を作る。武王既に崩じ、叔虞唐に邑す。君子名を譏り、卒に武公に滅ぼさる。驪姫の愛、乱るる者五世。重耳意を得ず、乃ち能く覇を成す。六卿権を専らにし、晋国以て秏(へ)る。
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史記 太史公自序人臣為る者は以て春秋を知らざる可からず。経事を守りて其の宜を知らず、変事に遭ひて其の権を知らず。人の君父と為りて春秋の義に通ぜざる者は、必ず首悪の名を蒙る。人の臣子と為りて春秋の義に通ぜざる者は、必ず簒弑の誅、死罪の名に陥る。其の実は皆以て善と為すも、之を為して其の義を知らず、之を空言に被せらるるも敢へて辞せず。夫れ礼義の旨に通ぜずんば、君は君たらず、臣は臣たらず、父は父たらず、子は子たらざるに至る。夫れ君君たらざれば則ち犯され、臣臣たらざれば則ち誅せられ、父父たらざれば則ち無道、子子たらざれば則ち不孝なり。此の四行は、天下の大過なり。天下の大過を以て之に予ふれば、則ち受けて敢へて辞せず。故に春秋は礼義の大宗なり。夫れ礼は未然の前に禁じ、法は已然の後に施す。法の用を為す所の者は見易く、而して礼の禁を為す所の者は知り難し」と。壺遂曰く、「孔子の時、上に明君無く、下は任用せらるるを得ず。故に春秋を作り、空文を垂れて以て礼義を断じ、一王の法に当つ。今、夫子は上は明天子に遇ひ、下は職を守るを得、万事既に具はり、咸各々其の宜を序す。夫子の論ずる所は、以て何をか明らかにせんと欲する」と。太史公曰く、「唯唯、否否、然らず。余之を先人に聞けり、曰く、『伏羲は至って純厚にして、易の八卦を作る。堯舜の盛んなる、尚書之を載せ、礼楽作る。湯武の隆んなる、詩人之を歌ふ。春秋は善を采り悪を貶し、三代の徳を推し、周室を褒む。独り刺譏するのみに非ざるなり』と。漢興りてより以来、明天子に至り、符瑞を獲、封禅し、正朔を改め、服色を易へ、命を穆清に受け、沢流れて極まり罔く、海外の殊俗、訳を重ねて塞を款き、請ひて来たりて献見する者、勝げて道ふ可からず。臣下百官力めて聖徳を誦すれども、猶ほ其の意を宣べ尽くす能はず。
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