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史記 / 太史公自序

二十而南游江、淮,上會稽,探禹穴,闚九疑,浮於沅、湘;北涉汶、泗,講業齊、魯之都,觀孔子之遺風,鄉射鄒、嶧;戹困鄱、薛、彭城,過梁、楚以歸。於是遷仕為郎中,奉使西征巴、蜀以南,南略邛、笮、昆明,還報命。是歲天子始建漢家之封,而太史公留滯周南,不得與從事,故發憤且卒。而子遷適使反,見父於河洛之閒。

新字:二十而南游江、淮,上会稽,探禹穴,闚九疑,浮於沅、湘;北渉汶、泗,講業斉、魯之都,観孔子之遺風,郷射鄒、嶧;戹困鄱、薛、彭城,過梁、楚以帰。於是遷仕為郎中,奉使西征巴、蜀以南,南略邛、笮、昆明,還報命。是歳天子始建漢家之封,而太史公留滞周南,不得与従事,故発憤且卒。而子遷適使反,見父於河洛之閒。

書き下し

二十にして南のかた江・淮に游び、会稽に上り、禹穴を探り、九疑を闚ひ、沅・湘に浮かぶ。北のかた汶・泗を渉り、業を斉・魯の都に講じ、孔子の遺風を観、鄒・嶧に郷射す。鄱・薛・彭城に戹困し、梁・楚を過ぎて以て帰る。是に於いて遷仕へて郎中と為り、使ひを奉じて西のかた巴・蜀以南を征し、南のかた邛・笮・昆明を略し、還りて命を報ず。是の歳、天子始めて漢家の封を建つ。而して太史公周南に留滞し、与に事に従ふを得ず。故に発憤して且に卒せんとす。而して子の遷適々使ひより反り、父に河洛の間に見ゆ。

現代語訳

二十歳で南へ旅して長江・淮水の地をめぐり、会稽山に登って禹の墓穴を探り、九疑山をうかがい、沅水・湘水に舟を浮かべた。北へは汶水・泗水を渡り、斉・魯の都で学業を講じ、孔子の遺風を見て、鄒・嶧山で郷射の礼に加わった。鄱・薛・彭城では困窮し、梁・楚を通って帰った。そこで遷は仕官して郎中となり、使者として西へ赴いて巴・蜀より南の地を巡り、南の邛・笮・昆明を経略して、帰って復命した。この年、天子(武帝)は初めて漢の封禅の儀式を行った。ところが太史公(司馬談)は周南(洛陽)にとどまってしまい、その儀式に加わることができなかった。そのため憤りを発して死にかけていた。ちょうどそのとき子の遷が使いから戻り、黄河と洛水の間で父に会った。

解説

青年司馬遷の大旅行と、父との死別の直前を描いた段です。二十歳の司馬遷は、南は長江や淮水、会稽山の禹の墓、九疑山、沅水・湘水を、北は斉・魯の孔子の故地をめぐりました。途中で困窮も味わっています。この旅で見聞きした土地の風俗や古老の話が、のちの史記の生きた描写を支えることになります。貨殖列伝の地理描写や、各地の人物の逸話には、この体験が生きているのでしょう。やがて郎中となった司馬遷は、西南夷の経略にも使者として加わりました。その年、武帝が封禅の儀式を行いますが、天文と祭祀を司る太史令でありながら参加できなかった父司馬談は、憤りのあまり病に倒れます。その枕元に、使命を終えた息子が駆けつけたのです。机の上の知識だけでなく、自分の足で現場を歩いた経験が、仕事の厚みを生みます。若いうちの見聞は、後の大仕事の土台になるのです。

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