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史記 / 貨殖列伝

白圭其有所試矣,能試有所長,非茍而已也。猗頓用盬鹽起。而邯鄲郭縱以鐵冶成業,與王者埒富。烏氏倮牧,及眾,斥賣,求奇繒物,閒獻遺戎王。戎王什倍其償,與之畜,畜至用谷量馬牛。秦始皇帝令倮比封君,以時與列臣朝請。而巴蜀寡婦清,其先得丹穴,而擅其利數世,家亦不訾。清,寡婦也,能守其業,用財自衛,不見侵犯。秦皇帝以為貞婦而客之,為筑女懷清臺。夫倮鄙人牧長,清窮鄉寡婦,禮抗萬乘,名顯天下,豈非以富邪?漢興,海內為一,開關梁,弛山澤之禁,是以富商大賈周流天下,交易之物莫不通,得其所欲,而徙豪傑諸侯彊族於京師。關中自汧、雍以東至河、華,膏壤沃野千里,自虞夏之貢以為上田,而公劉適邠,大王、王季在岐,文王作豐,武王治鎬,故其民猶有先王之遺風,好稼穡,殖五穀,地重,重為邪。及秦文、德、繆居雍,隙隴蜀之貨物而多賈。獻公徙櫟邑,櫟邑北卻戎翟,東通三晉,亦多大賈。孝、昭治咸陽,因以漢都,長安諸陵,四方輻湊并至而會,地小人眾,故其民益玩巧而事末也。南則巴蜀。巴蜀亦沃野,地饒炧、薑、丹沙、石、銅、鐵、竹、木之器。南御滇僰,僰僮。西近邛笮,笮馬、旄牛。

新字:白圭其有所試矣,能試有所長,非苟而已也。猗頓用盬塩起。而邯鄲郭縦以鉄冶成業,与王者埒富。烏氏倮牧,及衆,斥売,求奇繒物,閒献遺戎王。戎王什倍其償,与之畜,畜至用谷量馬牛。秦始皇帝令倮比封君,以時与列臣朝請。而巴蜀寡婦清,其先得丹穴,而擅其利数世,家亦不訾。清,寡婦也,能守其業,用財自衛,不見侵犯。秦皇帝以為貞婦而客之,為筑女懐清台。夫倮鄙人牧長,清窮郷寡婦,礼抗万乗,名顕天下,豈非以富邪?漢興,海内為一,開関梁,弛山沢之禁,是以富商大賈周流天下,交易之物莫不通,得其所欲,而徙豪傑諸侯彊族於京師。関中自汧、雍以東至河、華,膏壤沃野千里,自虞夏之貢以為上田,而公劉適邠,大王、王季在岐,文王作豊,武王治鎬,故其民猶有先王之遺風,好稼穡,殖五穀,地重,重為邪。及秦文、徳、繆居雍,隙隴蜀之貨物而多賈。献公徙櫟邑,櫟邑北却戎翟,東通三晋,亦多大賈。孝、昭治咸陽,因以漢都,長安諸陵,四方輻湊并至而会,地小人衆,故其民益玩巧而事末也。南則巴蜀。巴蜀亦沃野,地饒炧、薑、丹沙、石、銅、鉄、竹、木之器。南御滇僰,僰僮。西近邛笮,笮馬、旄牛。

書き下し

白圭は其れ試みる所有り。能く試みて長ずる所有り。茍(いやし)くもするのみに非ざるなり。猗頓は盬塩を用て起こる。而して邯鄲の郭縦は鉄冶を以て業を成し、王者と富を埒(ひと)しくす。烏氏の倮は牧し、衆きに及び、斥売して奇繒物を求め、間に戎王に献遺す。戎王其の償を什倍し、之に畜を与ふ。畜は谷を用て馬牛を量るに至る。秦の始皇帝、倮をして封君に比し、時を以て列臣と朝請せしむ。而して巴蜀の寡婦清は、其の先丹穴を得て、其の利を擅(ほしいまま)にすること数世、家亦訾(はか)られず。清は寡婦なり。能く其の業を守り、財を用て自ら衛り、侵犯せられず。秦の皇帝以て貞婦と為して之を客とし、為に女懐清台を築く。夫れ倮は鄙人の牧長、清は窮郷の寡婦なるに、礼は万乗に抗し、名は天下に顕はる。豈に富を以てするに非ずや。漢興り、海内一と為り、関梁を開き、山沢の禁を弛む。是を以て富商大賈天下に周流し、交易の物通ぜざる莫く、其の欲する所を得。而して豪傑・諸侯・彊族を京師に徙す。関中は汧・雍より以東、河・華に至るまで、膏壌沃野千里、虞夏の貢より以て上田と為す。而して公劉は邠に適き、大王・王季は岐に在り、文王は豊を作り、武王は鎬を治む。故に其の民猶ほ先王の遺風有り。稼穡を好み、五穀を殖え、地を重んじ、邪を為すを重(はばか)る。秦の文・徳・繆、雍に居るに及び、隴蜀の貨物を隙(ひら)きて賈多し。献公櫟邑に徙る。櫟邑は北のかた戎翟を卻け、東のかた三晋に通じ、亦大賈多し。孝・昭、咸陽を治め、因りて以て漢都とす。長安の諸陵は、四方輻湊し並び至りて会し、地小にして人衆し。故に其の民益々巧を玩びて末を事とす。南は則ち巴蜀なり。巴蜀も亦沃野にして、地は炧・薑・丹沙・石・銅・鉄・竹木の器に饒かなり。南は滇・僰を御し、僰僮あり。西は邛・笮に近く、笮馬・旄牛あり。

現代語訳

白圭には実際に試したことがあり、試してみて優れた成果を上げたのである。いいかげんにやったのではない。猗頓(いとん)は塩池の塩で身を起こした。また邯鄲の郭縦は製鉄業で成功し、王者と同じほどの富を得た。烏氏(うし)の倮(ら)は牧畜を営み、家畜が増えると売り払って珍しい絹織物を買い求め、ひそかに戎王に献上した。戎王はその代価の十倍を返し、家畜を与えた。家畜は谷の数で馬や牛を数えるほどになった。秦の始皇帝は倮を封君並みに扱い、時期ごとに大臣たちとともに朝見させた。また巴蜀の寡婦の清(せい)は、祖先が丹砂の鉱穴を手に入れ、数代にわたってその利益を独占し、家の財産は計り知れなかった。清は寡婦であったが、よく家業を守り、財産によって身を守り、侵されることがなかった。秦の始皇帝は貞節な婦人として客人の礼で遇し、彼女のために女懐清台を築いた。倮は辺鄙な地の牧畜の親方、清は片田舎の寡婦にすぎないのに、万乗の天子と対等の礼を受け、名は天下に知れ渡った。これはまさに富によるものではないか。漢が興って天下が一つになると、関所や橋を開き、山沢の利用の禁令をゆるめた。そのため富豪や大商人が天下をめぐり、交易の品で行き渡らないものはなく、人々は欲しいものを得られた。そして豪傑や諸侯の一族、有力な豪族を都に移住させた。関中は汧水・雍から東、黄河・華山に至るまで、肥えた土地と豊かな野が千里にわたり、虞・夏の時代の貢賦の定めから最上の田とされてきた。そして公劉は邠に移り、大王(古公亶父)と王季は岐に住み、文王は豊を造り、武王は鎬を治めた。だからその民にはなお先王の遺風があり、農業を好み、五穀を植え、土地を重んじて、悪事を働くことをはばかる。秦の文公・徳公・繆公が雍に都を置くと、隴・蜀の物資の通り道を開いたので商人が多くなった。献公は櫟邑に都を移した。櫟邑は北は戎や狄を退け、東は三晋に通じていたので、ここにも大商人が多かった。孝公・昭王が咸陽を治め、それがそのまま漢の都となった。長安とその周辺の陵邑には四方から人が集まり、土地が狭く人が多いので、民はますます技巧をもてあそんで商工業に従事するようになった。南には巴蜀がある。巴蜀もまた肥えた土地で、炧(梔子)・生姜・丹砂・石・銅・鉄・竹や木の器に富んでいる。南は滇や僰(ほく)を押さえており、僰の奴隷がいる。西は邛・笮(さく)に近く、笮の馬や旄牛がいる。

解説

富で名を成した人々の話から、漢代の各地の地勢と風俗へと移る段です。塩の猗頓、鉄の郭縦、牧畜の倮、丹砂の鉱山を守った寡婦の清。とりわけ、辺境の牧場主と片田舎の寡婦が始皇帝から礼遇されたことを挙げて、司馬遷は「富によるのではないか」と言います。身分ではなく財力が人の地位を決める現実を、ありのままに書き留めたのです。後半では、漢が関所を開き規制をゆるめて商業が栄えたこと、そして関中の地が先王の遺風で農業を重んじる一方、長安周辺では人が密集して商工業に向かったことを記します。土地柄や歴史が人々の気質と生業を形づくるという視点です。清は財力で身を守り侵されませんでした。自分の生業をしっかり持つことは、誰にも頼らず立つための力になります。地域ごとの気質を知ることも、商いや組織運営の基本です。

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