史記 / 滑稽列伝
楚王曰:「善,齊王有信士若此哉!」厚賜之,財倍鵠在也。武帝時,徵北海太守詣行在所。有文學卒史王先生者,自請與太守俱,「吾有益於君」,君許之。諸府掾功曹白云:「王先生嗜酒,多言少實,恐不可與俱。」太守曰:「先生意欲行,不可逆。」遂與俱。行至宮下,待詔宮府門。王先生徒懷錢沽酒,與衛卒仆射飲,日醉,不視其太守。太守入跪拜。王先生謂戶郎曰:「幸為我呼吾君至門內遙語。」戶郎為呼太守。太守來,望見王先生。王先生曰:「天子即問君何以治北海令無盜賊,君對曰何哉?」對曰:「選擇賢材,各任之以其能,賞異等,罰不肖。」王先生曰:「對如是,是自譽自伐功,不可也。願君對言,非臣之力,盡陛下神靈威武所變化也。」太守曰:「諾。」召入,至于殿下,有詔問之曰:「何於治北海,令盜賊不起?」叩頭對言:「非臣之力,盡陛下神靈威武之所變化也。」武帝大笑,曰:「於呼!安得長者之語而稱之!安所受之?」對曰:「受之文學卒史。」帝曰:「今安在?」對曰:「在宮府門外。」有詔召拜王先生為水衡丞,以北海太守為水衡都尉。傳曰:「美言可以市,尊行可以加人。君子相送以言,小人相送以財。」魏文侯時,西門豹為鄴令。豹往到鄴,會長老,問之民所疾苦。長老曰:「苦為河伯娶婦,以故貧。」
新字:楚王曰:「善,斉王有信士若此哉!」厚賜之,財倍鵠在也。武帝時,徴北海太守詣行在所。有文学卒史王先生者,自請与太守倶,「吾有益於君」,君許之。諸府掾功曹白云:「王先生嗜酒,多言少実,恐不可与倶。」太守曰:「先生意欲行,不可逆。」遂与倶。行至宮下,待詔宮府門。王先生徒懐銭沽酒,与衛卒仆射飲,日酔,不視其太守。太守入跪拝。王先生謂戸郎曰:「幸為我呼吾君至門内遥語。」戸郎為呼太守。太守来,望見王先生。王先生曰:「天子即問君何以治北海令無盗賊,君対曰何哉?」対曰:「選択賢材,各任之以其能,賞異等,罰不肖。」王先生曰:「対如是,是自誉自伐功,不可也。願君対言,非臣之力,尽陛下神霊威武所変化也。」太守曰:「諾。」召入,至于殿下,有詔問之曰:「何於治北海,令盗賊不起?」叩頭対言:「非臣之力,尽陛下神霊威武之所変化也。」武帝大笑,曰:「於呼!安得長者之語而称之!安所受之?」対曰:「受之文学卒史。」帝曰:「今安在?」対曰:「在宮府門外。」有詔召拝王先生為水衡丞,以北海太守為水衡都尉。伝曰:「美言可以市,尊行可以加人。君子相送以言,小人相送以財。」魏文侯時,西門豹為鄴令。豹往到鄴,会長老,問之民所疾苦。長老曰:「苦為河伯娶婦,以故貧。」
書き下し
楚王曰く、「善し。斉王に信士有ること此の若きか」と。厚く之に賜ひ、財は鵠の在るに倍す。武帝の時、北海太守を徴して行在所に詣らしむ。文学卒史王先生なる者有り、自ら太守と俱にせんことを請ふ、「吾、君に益有らん」と。君之を許す。諸府の掾・功曹白して云ふ、「王先生は酒を嗜み、言多くして実少なし。恐らくは与に俱にす可からず」と。太守曰く、「先生の意行かんと欲す。逆らふ可からず」と。遂に与に俱にす。行きて宮下に至り、宮府の門に待詔す。王先生徒だ銭を懐にして酒を沽ひ、衛卒の僕射と飲み、日々酔ひ、其の太守を視ず。太守入りて跪拝す。王先生、戸郎に謂ひて曰く、「幸ひに我が為に吾が君を呼びて門内に至らしめ、遥かに語らん」と。戸郎為に太守を呼ぶ。太守来たり、王先生を望み見る。王先生曰く、「天子即し君に何を以て北海を治めて盗賊無からしむると問はば、君対へて何と曰はんや」と。対へて曰く、「賢材を選択し、各々之に任ずるに其の能を以てし、異等を賞し、不肖を罰せん」と。王先生曰く、「対ふること是の如くんば、是れ自ら誉め自ら功を伐るなり。不可なり。願はくは君対へて言へ、臣の力に非ず、尽く陛下の神霊威武の変化する所なりと」と。太守曰く、「諾」と。召されて入り、殿下に至るに、詔有りて之に問ひて曰く、「何ぞ北海を治むるに於いて、盗賊をして起こらざらしむる」と。叩頭して対へて言ふ、「臣の力に非ず。尽く陛下の神霊威武の変化する所なり」と。武帝大いに笑ひて曰く、「於呼、安くにか長者の語を得て之を称するや。安くにか之を受けたる」と。対へて曰く、「之を文学卒史に受く」と。帝曰く、「今安くにか在る」と。対へて曰く、「宮府の門外に在り」と。詔有りて召して王先生を拝して水衡丞と為し、北海太守を以て水衡都尉と為す。伝に曰く、「美言は以て市る可く、尊行は以て人に加ふ可し。君子は相送るに言を以てし、小人は相送るに財を以てす」と。魏の文侯の時、西門豹鄴の令と為る。豹往きて鄴に到り、長老を会し、之に民の疾苦とする所を問ふ。長老曰く、「河伯の為に婦を娶るに苦しみ、故を以て貧し」と。
現代語訳
楚王は言った。「よろしい。斉王にはこれほど誠実な士がいるのか」。そして手厚く褒美を与えたが、その財物は鵠を無事に献上した場合の倍にもなった。武帝の時代、北海郡の太守を召して、天子の滞在先に出頭させた。文学卒史(学問担当の下級官吏)の王先生という者が、自分から太守に同行したいと願い出て、「私はあなたのお役に立てる」と言った。太守はこれを許した。役所の属官や功曹(人事担当)たちが申し上げた。「王先生は酒好きで、口数ばかり多くて中身が少ない。一緒に連れて行くのはやめた方がよいと思う」。太守は言った。「先生が行きたいと思っているのだから、逆らうわけにはいかない」。そうして一緒に行った。宮殿の下に着き、宮府の門で詔を待った。王先生はただ銭を懐にして酒を買い、衛兵の隊長と飲んで毎日酔っぱらい、太守の面倒も見なかった。太守が参内してひざまずき拝礼しようとしたとき、王先生は門番の郎に言った。「どうか私のために、わが主人を門の内側まで呼んでくれないか。離れた所から話したい」。門番の郎が太守を呼んだ。太守が来て、王先生を遠くから見た。王先生は言った。「天子がもしあなたに、どうやって北海を治めて盗賊をなくしたのかと尋ねたら、何と答えるか」。太守は答えた。「賢い人材を選び、それぞれ能力に応じて任せ、特に優れた者を賞し、できの悪い者を罰したと答える」。王先生は言った。「そんなふうに答えたら、自分をほめ、自分の手柄を誇ることになる。それはいけない。どうか『私の力ではない。すべて陛下の神のような威光と武徳による感化のおかげだ』と答えてほしい」。太守は「わかった」と言った。召されて入り、宮殿の階の下まで進むと、詔によって尋ねられた。「どのようにして北海を治め、盗賊が起こらないようにしたのか」。太守は頭を地につけて答えた。「私の力ではない。すべて陛下の神のような威光と武徳による感化のおかげだ」。武帝は大笑いして言った。「ほう、どこでそんな長者の言葉を覚えてきて口にしたのか。誰から教わったのか」。太守は答えた。「文学卒史から教わった」。帝は「その者は今どこにいるのか」と言った。太守は「宮府の門の外にいる」と答えた。詔によって王先生を呼び寄せて水衡丞に任じ、北海太守を水衡都尉に任じた。伝に「美しい言葉は売り買いでき、尊い行いは人の上に立てる。君子は言葉を贈って人を送り、小人は財物を贈って人を送る」とある。魏の文侯の時代、西門豹が鄴(ぎょう)の県令となった。西門豹は鄴に着くと長老たちを集め、民が何に苦しんでいるかを尋ねた。長老たちは言った。「河伯(黄河の神)のために嫁を迎えることに苦しみ、そのために貧しいのだ」。
解説
関連する章句
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史記 滑稽列伝之に安くにか計策を受けたるを問ふ。対へて曰く、「之を待詔の者東郭先生に受く」と。詔して東郭先生を召し、拝して以て郡都尉と為す。東郭先生、久しく公車に待詔し、貧困饑寒にして、衣敝れ、履完からず。雪中を行くに、履上有りて下無く、足尽く地を践む。道中の人之を笑ふ。東郭先生之に応へて曰く、「誰か能く履きて雪中を行き、人をして之を視しむるに、其の上は履なるも、其の履の下の処は乃ち人の足に似たる者あらんや」と。其の拝せられて二千石と為るに及び、青緺を佩びて宮門を出で、行きて主人に謝す。故に以て官を同じくして待詔せし所の者、等比して都門の外に祖道す。道路に栄華あり、名を当世に立つ。此れ所謂褐を衣て宝を懐く者なり。其の貧困の時に当たりては、人省視する莫し。其の貴きに至るや、乃ち争ひて之に附く。諺に曰く、「馬を相するに之を痩に失ひ、士を相するに之を貧に失ふ」と。其れ此の謂ひか。王夫人病甚だし。人主至りて自ら往きて之に問ひて曰く、「子当に王と為るべし。安くにか之を置かんと欲する」と。対へて曰く、「願はくは洛陽に居らしめん」と。人主曰く、「不可なり。洛陽には武庫・敖倉有り、関口に当たり、天下の咽喉なり。先帝より以来、伝へて為に王を置かず。然れども関東の国は斉より大なるは莫し。以て斉王と為す可し」と。王夫人手を以て頭を撃ち、幸甚と呼ぶ。王夫人死す。号して斉王の太后薨ずと曰ふ。昔者、斉王、淳于髡をして鵠を楚に献ぜしむ。邑門を出で、道にて其の鵠を飛ばし、徒だ空籠を掲げ、詐を造り辞を成し、往きて楚王に見えて曰く、「斉王、臣をして来たりて鵠を献ぜしむ。水上を過ぎるに、鵠の渇くに忍びず、出だして之に飲ましむるに、我を去りて飛び亡ぐ。吾、腹を刺し頸を絞りて死なんと欲す。人の吾が王を議して、鳥獣の故を以て士をして自ら傷殺せしむと為さんことを恐る。鵠は毛物にして相類する者多し。吾買ひて之に代へんと欲すれども、是れ信ならずして吾が王を欺くなり。他国に赴きて奔亡せんと欲すれども、吾が両主の使ひの通ぜざるを痛む。故に来たりて過ちに服し、叩頭して罪を大王に受く」と。
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史記 滑稽列伝凡そ三弟子を投ず。西門豹曰く、「巫嫗・弟子は是れ女子なり。事を白す能はず。三老を煩はして為に入りて之を白さしめん」と。復た三老を河中に投ず。西門豹、筆を簪にし磬折して、河に向かひて立ちて待つこと良久し。長老・吏の傍観する者皆驚恐す。西門豹顧みて曰く、「巫嫗・三老来たり還らず。之を奈何せん」と。復た廷掾と豪長者一人とをして入りて之を趣さしめんと欲す。皆叩頭し、叩頭して且に破れんとし、額の血地に流れ、色死灰の如し。西門豹曰く、「諾。且く留まりて之を待つこと須臾せん」と。須臾にして、豹曰く、「廷掾起て。状は河伯の客を留むることの久しきがごとし。若(なんぢ)ら皆罷め去りて帰れ」と。鄴の吏民大いに驚恐し、是より以後、敢へて復た河伯の為に婦を娶ると言はず。西門豹即ち民を発して十二渠を鑿ち、河水を引きて民田に灌ぐ。田皆溉(そそ)がる。其の時に当たりて、民、渠を治むること少しく煩苦し、欲せず。豹曰く、「民は与に成るを楽しむ可きも、与に始めを慮る可からず。今、父老子弟我を患苦すと雖も、然れども百歳の後、父老子孫をして我が言を思はしめんことを期す」と。今に至るまで皆水利を得、民人以て給足して富む。十二渠は馳道を経絶す。漢の立つに到り、而して長吏以為へらく、十二渠の橋は馳道を絶ち、相比近して不可なりと。渠水を合はせ、馳道に至るに且(およ)びて三渠を合はせて一橋と為さんと欲す。鄴の民人父老、肯へて長吏に聴かず。以為へらく、西門君の為す所なり、賢君の法式は更む可からずと。長吏終に聴きて之を置く。故に西門豹鄴の令と為り、名は天下に聞こえ、沢は後世に流れ、絶え已む時無し。幾ど賢大夫に非ずと謂ふ可けんや。伝に曰く、「子産鄭を治め、民欺く能はず。子賤単父を治め、民欺くに忍びず。西門豹鄴を治め、民敢へて欺かず」と。三子の才能、誰か最も賢なるや。治を弁ずる者は当に能く之を別つべし。
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『淮南子』人間訓西門豹 鄴を治むるに、廩に積粟無く、府に儲錢無く、庫に甲兵無く、官に計會無し。人 數々其の過を文侯に言う。文侯 身ら其の縣を行くに、果たして人の言の若し。文侯曰く「翟璜 子に任じて鄴を治めしむるに、大いに亂る。子 能く道わば則ち可なり。能わずんば、將に誅を子に加えんとす」と。西門豹曰く「臣 聞く、王主は民を富まし、霸主は武を富まし、亡國は庫を富ますと。今 王 霸王爲らんと欲する者なり。臣 故に民に蓄積す。君 以て然らずと爲さば、臣 請う、城に升りて之を鼓せん。甲兵 粟米 立ちどころに具わる可きなり」と。是に於いて乃ち城に升りて之を鼓す。一たび鼓すれば、民 甲を被り矢を括り、兵弩を操りて出づ。再び鼓すれば、輦を負い粟あって至る。文侯曰く「之を罷めよ」と。西門豹曰く「民と信を約するは、一日の積に非ざるなり。一舉にして之を欺かば、後 復た用う可からざるなり。燕 常に魏の八城を侵す。臣 請う、北のかた之を擊ちて、以て侵地を復せん」と。遂に兵を舉げて燕を擊ち、地を復して而る後に反る。此れ罪有りて賞す可き者なり。
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『韓非子』外儲說左下第三十三遂に璽を納れて去る。文侯受けずして曰く、「寡人曩には子を知らず、今知れり。願はくは子勉めて寡人の為に之を治めよ。」遂に受けず。斉に狗盗の子と刖危の子と戯れて相誇る者有り。盗子曰く、「吾が父の裘は独り尾有り。」刖危の子曰く、「吾が父は独り冬も袴を失はず。」
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史記 季布欒布列伝季布河東の守と為る、孝文の時、人其の賢を言ふ者有り、孝文召し、以て御史大夫と為さんと欲す。復た其の勇にして、酒を使ひて近づき難きを言ふ有り。至り、邸に留まること一月、見えて罷めらる。季布因りて進みて曰く「臣功無くして竊かに寵せられ、罪を河東に待つ。陛下故無くして臣を召す、此れ人必ず臣を以て陛下を欺く者有らん。今臣至るに、事を受くる所無くして、罷め去らしむ、此れ人必ず以て臣を毀る者有らん。夫れ陛下一人の誉を以て臣を召し、一人の毀を以て臣を去らしむ、臣恐らくは天下の識有る者之を聞き以て陛下を闚ふ有らん」と。上黙然として慚ぢ、良久しくして曰く「河東は吾が股肱の郡なり、故に特に君を召せしのみ」と。布辞して官に之く。
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『新序』雜事第一昔者、魏の武侯事を謀りて當たり、羣臣能く逮ぶ莫し。朝して喜色有り。吳起進みて曰く、今者楚の莊王の語を以て聞く者有りや、と。武侯曰く、未だし。莊王の語は柰何、と。吳起曰く、楚の莊王事を謀りて當たり、羣臣能く逮ぶ莫し。朝して憂色有り。申公巫臣進みて曰く、君朝して憂色有るは何ぞや、と。莊王曰く、吾之を聞く、諸侯自ら師を擇ぶ者は王たり、自ら友を擇ぶ者は霸たり、己に足りて羣臣之に若く莫き者は亡ぶ、と。今不穀の不肖を以てして朝に議するに、且つ羣臣能く逮ぶ莫し。吾が國其れ亡ぶに幾し。吾是を以て憂色有るなり、と。莊王の憂うる所以にして、君獨り喜色有るは、何ぞや、と。武侯逡巡して謝して曰く、天夫子をして寡人の過ちを振わしむるなり、天夫子をして寡人の過ちを振わしむるなり、と。
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