史記 / 滑稽列伝
宗室置酒,髡嘗在側。其後百餘年,楚有優孟。優孟,故楚之樂人也。長八尺,多辯,常以談笑諷諫。
新字:宗室置酒,髡嘗在側。其後百余年,楚有優孟。優孟,故楚之楽人也。長八尺,多弁,常以談笑諷諫。
書き下し
宗室酒を置くに、髡嘗て側に在り。其の後百余年、楚に優孟有り。優孟は故の楚の楽人なり。長八尺、多弁にして、常に談笑を以て諷諫す。
現代語訳
王族が酒宴を開くときには、淳于髡がいつもそばに控えていた。その後百年余りして、楚に優孟(ゆうもう)が現れた。優孟はもと楚の宮廷の楽人である。背丈は八尺、弁舌に長け、いつも談笑しながら遠回しに諫めた。
解説
淳于髡の逸話を締めくくり、次の主人公である楚の優孟を紹介する、つなぎの段です。淳于髡は酒の戒めを威王に聞き入れられ、その後は王族の宴のたびに側に置かれる、いわば諫め役となりました。続いて登場する優孟は、宮廷の楽人、つまり芸人でした。司馬遷は滑稽列伝で、身分の低い者たちが笑いを武器に君主の過ちを正した話を時代順に並べています。淳于髡は背が低く、優孟は長身と対照的ですが、共通するのは「談笑を以て諷諫す」という手法です。深刻な顔で正面から意見するのではなく、笑いに包んで伝えるからこそ、権力者も聞く耳を持ちました。職場でも、ユーモアは相手の防御を解き、率直な指摘を受け入れやすくする潤滑油になります。言いにくいことほど、伝え方を工夫する価値があるのです。
関連する章句
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史記 滑稽列伝太史公曰く、淳于髡、天を仰ぎて大笑して、斉の威王横行す。優孟、頭を揺るがして歌ひて、負薪の者以て封ぜらる。優旃、檻に臨みて疾呼して、陛楯以て半ば更はるを得たり。豈に亦偉ならずや。
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史記 滑稽列伝楚荘王の時、愛する所の馬有り、之を衣するに文繡を以てし、馬病肥して死す、群臣をして之を喪せしめ、棺槨大夫の礼を以て之を葬らんと欲す。王下令して曰く、「敢へて馬を以て諫むる者有らば、罪死に至らん」と。優孟聞き、殿門に入り、仰ぎて天を大哭す。王驚きて其の故を問ふ。優孟曰く、「馬は王の愛する所なり、大夫の礼を以て之を葬るは、薄し、請ふ人君の礼を以て之を葬らん。諸侯之を聞かば、皆大王の人を賤しみて馬を貴ぶを知らん」と。王曰く、「寡人の過一に此に至るか」と。
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史記 滑稽列伝威王大いに説び、酒を後宮に置き、髡を召して之に酒を賜ふ。問ひて曰く、「先生能く飲むこと幾何にして酔ふ」と。対へて曰く、「臣、一斗を飲みて亦酔ひ、一石にして亦酔ふ」と。
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史記 滑稽列伝居ること何も無くして、二世殺死せられ、優旃漢に帰し、数年にして卒す。
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史記 孟子荀卿列伝淳于髡(こん)は斉人なり。博聞彊記にして、学ぶに主とする所無し。その諫説は、晏嬰の人と為りを慕ふなり、然れども意を承け色を観るを務めと為す。客に髡を梁の恵王に見えしむる有り。恵王左右を屏け、独り坐して再びこれに見ゆるも、終に言無きなり。恵王これを怪しみ、以て客を譲めて曰く、「子の淳于先生を称するや、管・晏も及ばずと。寡人に見ゆるに及びて、寡人未だ得る有らず。豈に寡人は為に言ふに足らざるか。何の故ぞや」と。客以て髡に謂ふ。髡曰く、「固よりなり。吾前に王に見えしとき、王の志は駆逐に在り。後にまた王に見えしとき、王の志は音声に在り。吾是を以て黙然たり」と。客具に以て王に報ず、王大いに駭きて、曰く、「嗟乎、淳于先生は誠に聖人なり。前に淳于先生の来たるや、人に善馬を献ずる者有り、寡人未だ視るに及ばずして、会々先生至る。後に先生の来たるや、人に謳ふ者を献ずる有り、未だ試みるに及ばずして、また会々先生来たる。寡人人を屏くと雖も、然れども私心は彼に在り、
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