史記 / 游侠列伝
乃聽之。」解執恭敬,不敢乘車入其縣廷。之旁郡國,為人請求事,事可出,出之;不可者,各厭其意,然後乃敢嘗酒食。諸公以故嚴重之,爭為用。邑中少年及旁近縣賢豪,夜半過門常十餘車,請得解客舍養之。及徙豪富茂陵也,解家貧,不中訾,吏恐,不敢不徙。衛將軍為言:「郭解家貧不中徙。」上曰:「布衣權至使將軍為言,此其家不貧。」解家遂徙。諸公送者出千餘萬。軹人楊季主子為縣掾,舉徙解。解兄子斷楊掾頭。由此楊氏與郭氏為仇。解入關,關中賢豪知與不知,聞其聲,爭交驩解。解為人短小,不飲酒,出未嘗有騎。已又殺楊季主。楊季主家上書,人又殺之闕下。上聞,乃下吏捕解。解亡,置其母家室夏陽,身至臨晉。臨晉籍少公素不知解,解冒,因求出關。籍少公已出解,解轉入太原,所過輒告主人家。吏逐之,跡至籍少公。少公自殺,口絕。
新字:乃聴之。」解執恭敬,不敢乗車入其県廷。之旁郡国,為人請求事,事可出,出之;不可者,各厭其意,然後乃敢嘗酒食。諸公以故厳重之,争為用。邑中少年及旁近県賢豪,夜半過門常十余車,請得解客舎養之。及徙豪富茂陵也,解家貧,不中訾,吏恐,不敢不徙。衛将軍為言:「郭解家貧不中徙。」上曰:「布衣権至使将軍為言,此其家不貧。」解家遂徙。諸公送者出千余万。軹人楊季主子為県掾,舉徙解。解兄子断楊掾頭。由此楊氏与郭氏為仇。解入関,関中賢豪知与不知,聞其声,争交驩解。解為人短小,不飲酒,出未嘗有騎。已又殺楊季主。楊季主家上書,人又殺之闕下。上聞,乃下吏捕解。解亡,置其母家室夏陽,身至臨晋。臨晋籍少公素不知解,解冒,因求出関。籍少公已出解,解転入太原,所過輒告主人家。吏逐之,跡至籍少公。少公自殺,口絶。
書き下し
乃ち之を聴け」と。解、恭敬を執り、敢へて車に乗りて其の県廷に入らず。旁の郡国に之き、人の為に事を請求し、事出だす可きは之を出だし、可ならざる者は各々其の意を厭かしめ、然る後に乃ち敢へて酒食を嘗む。諸公故を以て之を厳重し、争ひて用を為す。邑中の少年及び旁近の県の賢豪、夜半に門に過る者常に十余車、請ひて解の客を得て舎して之を養はんとす。豪富を茂陵に徙すに及び、解の家貧しく、訾に中らず。吏恐れて、敢へて徙さずんばあらず。衛将軍為に言ふ、「郭解の家は貧しく、徙すに中らず」と。上曰く、「布衣の権、将軍をして為に言はしむるに至る。此れ其の家貧しからず」と。解の家遂に徙る。諸公の送る者千余万を出だす。軹の人楊季主の子、県掾と為り、解を徙すに挙ぐ。解の兄の子、楊掾の頭を断つ。此に由りて楊氏と郭氏と仇を為す。解、関に入る。関中の賢豪、知ると知らざるとを与にせず、其の声を聞き、争ひて交はりて解を驩ぶ。解の人と為り短小、酒を飲まず、出づるに未だ嘗て騎有らず。已にして又楊季主を殺す。楊季主の家上書するに、人又之を闕下に殺す。上聞き、乃ち吏に下して解を捕へしむ。解亡げ、其の母家室を夏陽に置き、身は臨晋に至る。臨晋の籍少公、素より解を知らず。解冒して、因りて出関を求む。籍少公已に解を出だす。解転じて太原に入り、過ぐる所輒ち主人の家に告ぐ。吏之を逐ひ、跡籍少公に至る。少公自殺し、口絶ゆ。
現代語訳
(雒陽の有力者の仲裁を)聞き入れたことにしてほしい」。郭解は恭しく慎み深い態度を守り、車に乗ったまま県の役所に入るようなことはしなかった。近隣の郡や国へ出かけて人のために頼みごとをし、かなえられることはかなえ、かなえられないことはそれぞれ当事者が納得するまで手を尽くし、そのうえで初めて酒食を口にした。人々はそのため郭解を重んじ、争って彼のために働いた。町の若者や近隣の県の有力者たちが、夜中に郭解の門を訪れる車がいつも十余台あり、郭解の食客を引き取って自分の家に泊めて養いたいと願い出た。富豪を茂陵に移住させることになったとき、郭解の家は貧しく、財産の基準に達していなかった。しかし役人は恐れて、移住させないわけにはいかなかった。衛将軍(衛青)が郭解のために「郭解の家は貧しく、移住の基準に当たらない」と言った。天子(武帝)は言った。「無位無官の者の力が、将軍に口添えさせるほどにまで及んでいる。これはその家が貧しくないということだ」。郭解の家はとうとう移住させられた。見送りに来た人々が贈った金は一千万銭余りにのぼった。軹の人楊季主(ようきしゅ)の子が県の属官をしていて、郭解を移住の対象に挙げていた。郭解の兄の子がその楊の属官の首を斬った。これによって楊氏と郭氏は仇同士となった。郭解は関中に入った。関中の有力者たちは、面識のある者もない者も、その評判を聞いて争って郭解と交わりを結び、喜んで迎えた。郭解は小柄で、酒を飲まず、外出するときも騎馬の供を連れたことがなかった。その後、また(誰かが)楊季主を殺した。楊季主の家の者が上書すると、ある人がまたその者を宮門の下で殺した。天子はこれを聞いて、役人に命じて郭解を捕らえさせた。郭解は逃げ、母や家族を夏陽に置いて、自分は臨晋に行った。臨晋の籍少公(せきしょうこう)はもともと郭解を知らなかった。郭解は身分を偽って、関所を出してもらうよう頼んだ。籍少公は郭解を関所から出してやった。郭解は転じて太原に入り、通る先々で泊めてくれた家の主人に行き先を告げた。役人はこれを追い、足跡をたどって籍少公に行き着いた。籍少公は自殺し、手がかりは絶たれた。
解説
関連する章句
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史記 游侠列伝郭解又楊季主を殺す。上聞き、乃ち吏を下して解を捕へしむ。窮治するに、解の殺す所と為るは、皆赦の前に在り。軹に儒生有り、客郭解を誉む、生曰く、「郭解は専ら姦を以て公法を犯す、何ぞ賢と謂はんや」と。解の客聞き、此の生を殺し、其の舌を断つ。吏此を以て解を責むるも、解実に殺す者を知らず。御史大夫公孫弘議して曰く、「解布衣にして任俠し権を行ひ、睚眥を以て人を殺す、解知らずと雖も、此の罪解の之を殺すよりも甚だし。当に大逆無道たるべし」と。遂に郭解翁伯を族す。太史公曰く、「吾郭解を視るに、状貌は中人に及ばず、言語は採るに足らざる者なり。然れども天下賢と不肖と、知ると知らざると無く、皆其の声を慕ふ。於戲、惜しいかな」と。
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史記 游侠列伝雒陽の人に相仇する者有り。邑中の賢豪、間に居る者十を以て数ふれども、終に聴かず。客乃ち郭解に見ゆ。解、夜仇家に見ゆ。仇家曲げて解に聴く。解乃ち仇家に謂ひて曰く、「吾聞く、雒陽の諸公此の間に在るも、多く聴かざる者なりと。今、子幸ひにして解に聴く。解奈何ぞ乃ち他県より人の邑中の賢大夫の権を奪はんや」と。乃ち夜去り、人をして知らしめず。曰く、「且く用ふる無かれ。我の去るを待ち、雒陽の豪をして其の間に居らしめ、
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史記 游侠列伝郭解出入するに、人皆之を避く。一人有り独り箕倨して之を視る、解人を遣りて其の名姓を問はしむ。客之を殺さんと欲す。解曰く、「邑屋に居りて至って敬せられざるは、是れ吾が徳の修まらざるなり、彼何の罪かあらん」と。乃ち陰かに尉史に属して曰く、「是の人、吾が急とする所なり、践更の時に至らば之を脱せ」と。箕踞する者乃ち肉袒して罪を謝す。少年之を聞き、愈いよ益ます解の行を慕ふ。
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史記 游侠列伝関より以東、頸を延べて交はりを願はざる莫し。楚の田仲は俠を以て聞こゆ。剣を喜び、朱家に父事し、自ら行ひ及ばずと以為へり。田仲已に死して、雒陽に劇孟有り。周人は商賈を以て資と為し、而して劇孟は任俠を以て諸侯に顕はる。呉楚反する時、条侯太尉と為り、伝車に乗りて将に河南に至らんとし、劇孟を得て喜びて曰く、「呉楚大事を挙げて孟を求めず。吾、其の能く為す無きを知る」と。天下騒動するに、宰相之を得ること一敵国を得るが若しと云ふ。劇孟の行ひは大いに朱家に類し、而して博を好み、少年の戯多し。然れども劇孟の母死するや、遠方より喪を送ること蓋し千乗。劇孟死するに及び、家に十金の財を余す無し。而して符離の人王孟も亦俠を以て江淮の間に称せらる。是の時、済南の瞷氏、陳の周庸も亦豪を以て聞こゆ。景帝之を聞き、使ひをして尽く此の属を誅せしむ。其の後、代の諸白、梁の韓無辟、陽翟の薛兄、陜の韓孺紛紛として復た出づ。郭解は軹の人なり。字は翁伯、善く人を相する者許負の外孫なり。解の父は任俠を以て、孝文の時に誅死す。解の人と為り短小精悍、酒を飲まず。少き時陰賊にして、慨として意に快からざれば、身ら殺す所甚だ衆し。軀を以て交はりに借して仇に報い、命を蔵して姦を作し剽攻し、休まずして銭を鋳冢を掘るに及ぶ。固より勝げて数ふ可からず。適々天幸有りて、窘急常に脱するを得、若しくは赦に遇ふ。解年長ずるに及び、更に節を折りて倹を為し、徳を以て怨みに報い、厚く施して薄く望む。然れども其の自ら喜びて俠を為すこと益々甚だし。既已に人の命を振ひて、其の功に矜らず。其の陰賊は心に著はれ、卒に睚眦に発すること故の如しと云ふ。而して少年其の行ひを慕ひ、亦輒ち為に仇に報い、知らしめず。解の姉の子、解の勢ひを負ひ、人と飲み、之をして嚼(の)ましむ。其の任に非ざるに、彊ひて必ず之に灌ぐ。人怒り、刀を抜きて解の姉の子を刺し殺して亡げ去る。
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史記 游侠列伝解の姉怒りて曰く、「翁伯の義を以てして、人吾が子を殺し、賊を得ず」と。其の尸を道に棄て、葬らず、以て解を辱めんと欲す。解、人をして微かに賊の処を知らしむ。賊窘して自ら帰り、具に実を以て解に告ぐ。解曰く、「公の之を殺すは固より当たれり。吾が児直からず」と。遂に其の賊を去らしめ、其の姉の子を罪し、乃ち収めて之を葬る。諸公之を聞き、皆解の義を多とし、益々焉に附く。
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史記 游侠列伝諺に曰く、「人貌の栄名、豈に既(つ)くること有らんや」と。於戯(ああ)、惜しいかな。
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