史記 / 游侠列伝
久之,乃得解。窮治所犯,為解所殺,皆在赦前。軹有儒生侍使者坐,客譽郭解,生曰:「郭解專以姦犯公法,何謂賢!」解客聞,殺此生,斷其舌。吏以此責解,解實不知殺者。殺者亦竟絕,莫知為誰。吏奏解無罪。御史大夫公孫弘議曰:「解布衣為任俠行權,以睚眥殺人,解雖弗知,此罪甚於解殺之。當大逆無道。」遂族郭解翁伯。 自是之後,為俠者極眾,敖而無足數者。然關中長安樊仲子,槐裏趙王孫,長陵高公子,西河郭公仲,太原鹵公孺,臨淮兒長卿,東陽田君孺,雖為俠而逡逡有退讓君子之風。至若北道姚氏,西道諸杜,南道仇景,東道趙他、羽公子,南陽趙調之徒,此盜跖居民間者耳,曷足道哉!此乃鄉者朱家之羞也。 太史公曰:吾視郭解,狀貌不及中人,言語不足採者。然天下無賢與不肖,知與不知,皆慕其聲,言俠者皆引以為名。
新字:久之,乃得解。窮治所犯,為解所殺,皆在赦前。軹有儒生侍使者坐,客誉郭解,生曰:「郭解専以姦犯公法,何謂賢!」解客聞,殺此生,断其舌。吏以此責解,解実不知殺者。殺者亦竟絶,莫知為誰。吏奏解無罪。御史大夫公孫弘議曰:「解布衣為任侠行権,以睚眥殺人,解雖弗知,此罪甚於解殺之。当大逆無道。」遂族郭解翁伯。 自是之後,為侠者極衆,敖而無足数者。然関中長安樊仲子,槐裏趙王孫,長陵高公子,西河郭公仲,太原鹵公孺,臨淮児長卿,東陽田君孺,雖為侠而逡逡有退譲君子之風。至若北道姚氏,西道諸杜,南道仇景,東道趙他、羽公子,南陽趙調之徒,此盗跖居民間者耳,曷足道哉!此乃郷者朱家之羞也。 太史公曰:吾視郭解,状貌不及中人,言語不足採者。然天下無賢与不肖,知与不知,皆慕其声,言侠者皆引以為名。
書き下し
郭解又楊季主を殺す。上聞き、乃ち吏を下して解を捕へしむ。窮治するに、解の殺す所と為るは、皆赦の前に在り。軹に儒生有り、客郭解を誉む、生曰く、「郭解は専ら姦を以て公法を犯す、何ぞ賢と謂はんや」と。解の客聞き、此の生を殺し、其の舌を断つ。吏此を以て解を責むるも、解実に殺す者を知らず。御史大夫公孫弘議して曰く、「解布衣にして任俠し権を行ひ、睚眥を以て人を殺す、解知らずと雖も、此の罪解の之を殺すよりも甚だし。当に大逆無道たるべし」と。遂に郭解翁伯を族す。太史公曰く、「吾郭解を視るに、状貌は中人に及ばず、言語は採るに足らざる者なり。然れども天下賢と不肖と、知ると知らざると無く、皆其の声を慕ふ。於戲、惜しいかな」と。
現代語訳
郭解の一味はまた楊季主を殺した。帝はこれを聞き、役人を出して郭解を捕らえさせた。徹底的に取り調べたところ、郭解が殺した相手は、すべて恩赦以前のことであった。軹に一人の儒者がいた。ある客が郭解を褒めると、その儒者は言った。「郭解はひたすら悪事によって公の法を犯している。どうして賢者などと言えようか」。郭解の食客がこれを聞き、この儒者を殺し、その舌を切った。役人はこれで郭解を追及したが、郭解は本当に殺した者を知らなかった。御史大夫の公孫弘は議して言った。「郭解は無位無官の身で俠を任じ、権勢をふるい、些細な恨みで人を殺している。郭解自身が知らなかったとしても、この罪は、郭解が自ら殺した場合よりも重い。大逆無道に当たる」。こうして郭解翁伯は一族もろとも滅ぼされた。太史公は言う。「私が郭解を見たところ、容貌は並の人にも及ばず、言葉も取り立てて聞くに足るものではなかった。それでいて天下は、賢者も愚者も、彼を知る者も知らない者も、みなその評判を慕った。ああ、惜しいことだ」。
解説

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史記 游侠列伝諺に曰く、「人貌の栄名、豈に既(つ)くること有らんや」と。於戯(ああ)、惜しいかな。
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史記 游侠列伝乃ち之を聴け」と。解、恭敬を執り、敢へて車に乗りて其の県廷に入らず。旁の郡国に之き、人の為に事を請求し、事出だす可きは之を出だし、可ならざる者は各々其の意を厭かしめ、然る後に乃ち敢へて酒食を嘗む。諸公故を以て之を厳重し、争ひて用を為す。邑中の少年及び旁近の県の賢豪、夜半に門に過る者常に十余車、請ひて解の客を得て舎して之を養はんとす。豪富を茂陵に徙すに及び、解の家貧しく、訾に中らず。吏恐れて、敢へて徙さずんばあらず。衛将軍為に言ふ、「郭解の家は貧しく、徙すに中らず」と。上曰く、「布衣の権、将軍をして為に言はしむるに至る。此れ其の家貧しからず」と。解の家遂に徙る。諸公の送る者千余万を出だす。軹の人楊季主の子、県掾と為り、解を徙すに挙ぐ。解の兄の子、楊掾の頭を断つ。此に由りて楊氏と郭氏と仇を為す。解、関に入る。関中の賢豪、知ると知らざるとを与にせず、其の声を聞き、争ひて交はりて解を驩ぶ。解の人と為り短小、酒を飲まず、出づるに未だ嘗て騎有らず。已にして又楊季主を殺す。楊季主の家上書するに、人又之を闕下に殺す。上聞き、乃ち吏に下して解を捕へしむ。解亡げ、其の母家室を夏陽に置き、身は臨晋に至る。臨晋の籍少公、素より解を知らず。解冒して、因りて出関を求む。籍少公已に解を出だす。解転じて太原に入り、過ぐる所輒ち主人の家に告ぐ。吏之を逐ひ、跡籍少公に至る。少公自殺し、口絶ゆ。
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史記 游侠列伝関より以東、頸を延べて交はりを願はざる莫し。楚の田仲は俠を以て聞こゆ。剣を喜び、朱家に父事し、自ら行ひ及ばずと以為へり。田仲已に死して、雒陽に劇孟有り。周人は商賈を以て資と為し、而して劇孟は任俠を以て諸侯に顕はる。呉楚反する時、条侯太尉と為り、伝車に乗りて将に河南に至らんとし、劇孟を得て喜びて曰く、「呉楚大事を挙げて孟を求めず。吾、其の能く為す無きを知る」と。天下騒動するに、宰相之を得ること一敵国を得るが若しと云ふ。劇孟の行ひは大いに朱家に類し、而して博を好み、少年の戯多し。然れども劇孟の母死するや、遠方より喪を送ること蓋し千乗。劇孟死するに及び、家に十金の財を余す無し。而して符離の人王孟も亦俠を以て江淮の間に称せらる。是の時、済南の瞷氏、陳の周庸も亦豪を以て聞こゆ。景帝之を聞き、使ひをして尽く此の属を誅せしむ。其の後、代の諸白、梁の韓無辟、陽翟の薛兄、陜の韓孺紛紛として復た出づ。郭解は軹の人なり。字は翁伯、善く人を相する者許負の外孫なり。解の父は任俠を以て、孝文の時に誅死す。解の人と為り短小精悍、酒を飲まず。少き時陰賊にして、慨として意に快からざれば、身ら殺す所甚だ衆し。軀を以て交はりに借して仇に報い、命を蔵して姦を作し剽攻し、休まずして銭を鋳冢を掘るに及ぶ。固より勝げて数ふ可からず。適々天幸有りて、窘急常に脱するを得、若しくは赦に遇ふ。解年長ずるに及び、更に節を折りて倹を為し、徳を以て怨みに報い、厚く施して薄く望む。然れども其の自ら喜びて俠を為すこと益々甚だし。既已に人の命を振ひて、其の功に矜らず。其の陰賊は心に著はれ、卒に睚眦に発すること故の如しと云ふ。而して少年其の行ひを慕ひ、亦輒ち為に仇に報い、知らしめず。解の姉の子、解の勢ひを負ひ、人と飲み、之をして嚼(の)ましむ。其の任に非ざるに、彊ひて必ず之に灌ぐ。人怒り、刀を抜きて解の姉の子を刺し殺して亡げ去る。
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史記 游侠列伝解の姉怒りて曰く、「翁伯の義を以てして、人吾が子を殺し、賊を得ず」と。其の尸を道に棄て、葬らず、以て解を辱めんと欲す。解、人をして微かに賊の処を知らしむ。賊窘して自ら帰り、具に実を以て解に告ぐ。解曰く、「公の之を殺すは固より当たれり。吾が児直からず」と。遂に其の賊を去らしめ、其の姉の子を罪し、乃ち収めて之を葬る。諸公之を聞き、皆解の義を多とし、益々焉に附く。
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史記 游侠列伝郭解出入するに、人皆之を避く。一人有り独り箕倨して之を視る、解人を遣りて其の名姓を問はしむ。客之を殺さんと欲す。解曰く、「邑屋に居りて至って敬せられざるは、是れ吾が徳の修まらざるなり、彼何の罪かあらん」と。乃ち陰かに尉史に属して曰く、「是の人、吾が急とする所なり、践更の時に至らば之を脱せ」と。箕踞する者乃ち肉袒して罪を謝す。少年之を聞き、愈いよ益ます解の行を慕ふ。
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