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史記 / 游侠列伝

郭解又楊季主を殺す。上聞き、乃ち吏を下して解を捕へしむ。窮治するに、解の殺す所と為るは、皆赦の前に在り。軹に儒生有り、客郭解を誉む、生曰、郭解は専ら姦を以て公法を犯す、何ぞ賢と謂はんやと。解の客聞き、此の生を殺し、其の舌を断つ。吏此を以て解を責むるも、解実に殺す者を知らず。御史大夫公孫弘議して曰、解布衣にして任俠し権を行ひ、睚眥を以て人を殺す、解知らずと雖も、此の罪解の之を殺すよりも甚だし。当に大逆無道たるべしと。遂に郭解翁伯を族す。太史公曰、吾郭解を視るに、状貌は中人に及ばず、言語は採るに足らざる者なり。然れども天下賢と不肖と、知ると知らざると無く、皆其の声を慕ふ。於戲、惜しいかな。

新字:郭解又楊季主を殺す。上聞き、乃ち吏を下して解を捕へしむ。窮治するに、解の殺す所と為るは、皆赦の前に在り。軹に儒生有り、客郭解を誉む、生曰、郭解は専ら姦を以て公法を犯す、何ぞ賢と謂はんやと。解の客聞き、此の生を殺し、其の舌を断つ。吏此を以て解を責むるも、解実に殺す者を知らず。御史大夫公孫弘議して曰、解布衣にして任俠し権を行ひ、睚眥を以て人を殺す、解知らずと雖も、此の罪解の之を殺すよりも甚だし。当に大逆無道たるべしと。遂に郭解翁伯を族す。太史公曰、吾郭解を視るに、状貌は中人に及ばず、言語は採るに足らざる者なり。然れども天下賢と不肖と、知ると知らざると無く、皆其の声を慕ふ。於戯、惜しいかな。

書き下し

郭解又楊季主を殺す。上聞き、乃ち吏を下して解を捕へしむ。窮治するに、解の殺す所と為るは、皆赦の前に在り。軹に儒生有り、客郭解を誉む、生曰く、「郭解は専ら姦を以て公法を犯す、何ぞ賢と謂はんや」と。解の客聞き、此の生を殺し、其の舌を断つ。吏此を以て解を責むるも、解実に殺す者を知らず。御史大夫公孫弘議して曰く、「解布衣にして任俠し権を行ひ、睚眥を以て人を殺す、解知らずと雖も、此の罪解の之を殺すよりも甚だし。当に大逆無道たるべし」と。遂に郭解翁伯を族す。太史公曰く、「吾郭解を視るに、状貌は中人に及ばず、言語は採るに足らざる者なり。然れども天下賢と不肖と、知ると知らざると無く、皆其の声を慕ふ。於戲、惜しいかな」と。

現代語訳

「人望が高まるほど、周囲の者の行いにまで責任が及ぶ——そして、真の魅力は外見や弁舌にない」——郭解の悲劇的な末路と、司馬遷の総括を描いた、この篇の結びです。あれほど徳を慕われた郭解でしたが、その末路は悲劇でした。郭解を慕う客(従者)たちが、彼の名を笠に着て、人を殺す事件を起こします。あるとき、一人の儒者が「郭解は、不正な手段で公の法を犯している。どうして賢者などと言えようか」と批判すると、それを聞いた郭解の客が、その儒者を殺し、舌まで切り取ってしまいました。役人がこの件で郭解を追及しましたが、郭解自身は、誰が殺したのか、本当に知りませんでした。しかし、御史大夫の公孫弘は、こう断じます。「郭解は、一介の庶民の身でありながら、任俠として(法を超えた)権勢を振るい、その配下が、ささいな恨み(睚眥)から人を殺している。たとえ郭解自身が知らなかったとしても、この罪は、郭解が自ら手を下して殺したよりも、なお重い(解雖弗知、此罪甚於解殺之)」と。そして、郭解の一族は皆殺しにされたのです。自分が知らないところで、自分を慕う者たちが起こした罪の責任を、一身に負わされた——これが、絶大な人望を持った者の、悲しい結末でした。司馬遷は、この篇をこう結びます。「私が郭解を見たところ、その容貌は並の人にも及ばず、その弁舌も、取り立てて優れたものではなかった。それでも、天下の人々は、賢者も愚者も、彼を知る者も知らぬ者も、皆、その名声を慕った。ああ、惜しいことだ(於戲、惜哉)」と。ここに、二つの教訓があります。一つは、責任の範囲について。人望が高まり、影響力を持つほど、自分が直接手を下さなくても、自分を慕い、自分の名のもとに動く者たちの行いにまで、責任が及ぶということ(罪甚於解殺之)。影響力を持つ者は、自分の周囲の者を律することにも、責任を負う。「自分は知らなかった」では済まされない立場がある。もう一つは、人の真の魅力について。司馬遷は、郭解が、容貌も弁舌も平凡だったのに、天下の人望を集めたことに注目した。人を惹きつける真の力は、外見や弁舌といった表面的なものではなく、その内実(信義・度量・自省)にある。組織や人生で、影響力を持つほど周囲の者の行いにまで責任が及ぶと自覚すること、自分を慕う者を律する責任を怠らないこと、そして人の真の魅力は外見や弁舌でなく内実にあると知ること——郭解の末路と司馬遷の総括は、影響力の責任と、人の真価を教えます。

解説

あなたは、自分の影響力や人望が高まるほど、自分が直接手を下さなくても、自分を慕い、自分の名のもとに動く人たちの行いにまで、責任が及ぶと自覚できていますか?「自分は知らなかった」では済まされない立場にあることを理解し、周囲の者を律する責任を怠っていませんか?人を惹きつける真の力は、外見や弁舌といった表面ではなく、信義・度量・自省といった内実にあると、考えられていますか?

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