史記 / 游侠列伝
解姊怒曰:「以翁伯之義,人殺吾子,賊不得。」棄其尸於道,弗葬,欲以辱解。解使人微知賊處。賊窘自歸,具以實告解。解曰:「公殺之固當,吾兒不直。」遂去其賊,罪其姊子,乃收而葬之。諸公聞之,皆多解之義,益附焉。
新字:解姊怒曰:「以翁伯之義,人殺吾子,賊不得。」棄其尸於道,弗葬,欲以辱解。解使人微知賊処。賊窘自帰,具以実告解。解曰:「公殺之固当,吾児不直。」遂去其賊,罪其姊子,乃収而葬之。諸公聞之,皆多解之義,益附焉。
書き下し
解の姉怒りて曰く、「翁伯の義を以てして、人吾が子を殺し、賊を得ず」と。其の尸を道に棄て、葬らず、以て解を辱めんと欲す。解、人をして微かに賊の処を知らしむ。賊窘して自ら帰り、具に実を以て解に告ぐ。解曰く、「公の之を殺すは固より当たれり。吾が児直からず」と。遂に其の賊を去らしめ、其の姉の子を罪し、乃ち収めて之を葬る。諸公之を聞き、皆解の義を多とし、益々焉に附く。
現代語訳
郭解の姉は怒って言った。「翁伯(郭解)ほどの義俠がありながら、人がわが子を殺したのに、犯人を捕まえられないとは」。そして息子の死体を道に捨てて葬らず、郭解に恥をかかせようとした。郭解は人をやってひそかに犯人の居場所を探らせた。犯人は追い詰められて自ら出頭し、ありのままを郭解に告げた。郭解は言った。「あなたが彼を殺したのはもっともだ。うちの子の方が悪かった」。そしてその犯人を去らせ、姉の子の方に非があるとして、遺体を引き取って葬った。人々はこれを聞いて、みな郭解の義をたたえ、ますます彼に心を寄せた。
解説
姉の子を殺した男を、郭解が許す場面です。姉は遺体を道に捨てて、弟の面目をつぶそうとしました。身内を殺された以上、仇を討つのが俠の常識です。ところが郭解は、犯人から事情を聞くと、無理に酒を飲ませた甥の方が悪いと認め、犯人を放しました。身内の面子よりも理非を優先したこの判断が、かえって人々の信頼を集めます。前の段で司馬遷は、郭解の心には陰険さが残っていたと書きましたが、ここではその郭解が筋の通った裁きを見せています。人の複雑さをそのまま描くのが司馬遷の筆法です。組織でも、身内や自分の部下がからむ揉めごとほど判断が甘くなりがちです。自分の側に非があるときにそれを認められる人に、周りは本当の信頼を寄せるのです。
関連する章句
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史記 游侠列伝郭解又楊季主を殺す。上聞き、乃ち吏を下して解を捕へしむ。窮治するに、解の殺す所と為るは、皆赦の前に在り。軹に儒生有り、客郭解を誉む、生曰く、「郭解は専ら姦を以て公法を犯す、何ぞ賢と謂はんや」と。解の客聞き、此の生を殺し、其の舌を断つ。吏此を以て解を責むるも、解実に殺す者を知らず。御史大夫公孫弘議して曰く、「解布衣にして任俠し権を行ひ、睚眥を以て人を殺す、解知らずと雖も、此の罪解の之を殺すよりも甚だし。当に大逆無道たるべし」と。遂に郭解翁伯を族す。太史公曰く、「吾郭解を視るに、状貌は中人に及ばず、言語は採るに足らざる者なり。然れども天下賢と不肖と、知ると知らざると無く、皆其の声を慕ふ。於戲、惜しいかな」と。
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史記 游侠列伝雒陽の人に相仇する者有り。邑中の賢豪、間に居る者十を以て数ふれども、終に聴かず。客乃ち郭解に見ゆ。解、夜仇家に見ゆ。仇家曲げて解に聴く。解乃ち仇家に謂ひて曰く、「吾聞く、雒陽の諸公此の間に在るも、多く聴かざる者なりと。今、子幸ひにして解に聴く。解奈何ぞ乃ち他県より人の邑中の賢大夫の権を奪はんや」と。乃ち夜去り、人をして知らしめず。曰く、「且く用ふる無かれ。我の去るを待ち、雒陽の豪をして其の間に居らしめ、
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