史記 / 游侠列伝
解出入,人皆避之。有一人獨箕倨視之,解遣人問其名姓。客欲殺之。解曰:「居邑屋至不見敬,是吾德不脩也,彼何罪!」乃陰屬尉史曰:「是人,吾所急也,至踐更時脫之。」每至踐更,數過,吏弗求。怪之,問其故,乃解使脫之。箕踞者乃肉袒謝罪。少年聞之,愈益慕解之行。
新字:解出入,人皆避之。有一人独箕倨視之,解遣人問其名姓。客欲殺之。解曰:「居邑屋至不見敬,是吾徳不脩也,彼何罪!」乃陰属尉史曰:「是人,吾所急也,至践更時脫之。」毎至践更,数過,吏弗求。怪之,問其故,乃解使脫之。箕踞者乃肉袒謝罪。少年聞之,愈益慕解之行。
書き下し
郭解出入するに、人皆之を避く。一人有り独り箕倨して之を視る、解人を遣りて其の名姓を問はしむ。客之を殺さんと欲す。解曰く、「邑屋に居りて至って敬せられざるは、是れ吾が徳の修まらざるなり、彼何の罪かあらん」と。乃ち陰かに尉史に属して曰く、「是の人、吾が急とする所なり、践更の時に至らば之を脱せ」と。箕踞する者乃ち肉袒して罪を謝す。少年之を聞き、愈いよ益ます解の行を慕ふ。
現代語訳
郭解が出入りするとき、人々はみな道をあけた。ところが一人だけ、足を投げ出して座ったまま彼をにらむ者がいた。郭解は人をやってその男の名を尋ねさせた。食客たちは彼を殺そうとした。郭解は言った。「村里に住んでいて敬われないのは、私の徳が修まっていないからだ。あの男に何の罪があろうか」。そしてひそかに役人に頼んで言った。「あの男は私が気にかけている者だ。労役の番が回ってきたら、免除してやってくれ」。足を投げ出して座っていた男は、やがて肌脱ぎになって罪を詫びた。若者たちはこれを聞き、いよいよ郭解の行いを慕った。
解説
「相手の無礼を責める前に、まず自分の至らなさを省みる」——義人・郭解の、意外な度量を描いた一段です。郭解は、当時、絶大な人望を持つ人物で、彼が出歩けば、人々は皆、恐れ敬って道を避けたほどでした。ところが、ある一人の男だけは、郭解に対して、両足を投げ出してだらしなく座り(箕倨)、無礼な態度でじろじろと睨みつけました。郭解は、人をやってその男の名を問わせます。それを見た郭解の従者たちは、「無礼者め」と、その男を殺そうとしました。しかし郭解は、それを止めて、こう言ったのです。「自分が住むこの土地で、(人に)敬われないというのは、それは、私自身の徳が足りないからだ。あの男に、いったい何の罪があろうか(居邑屋至不見敬、是吾德不修也、彼何罪)」と。相手の無礼を責めるのではなく、まず自分の至らなさを省みたのです。そればかりか郭解は、ひそかに役人に頼んで、「あの男は、私が大切に思っている者だ。(本来なら課される)兵役の順番が回ってきたら、そっと免除してやってくれ」と、その無礼な男を、陰ながら庇護しました。何度も兵役を免れて不思議に思った男が理由を尋ねると、郭解が取り計らってくれていたと知る。かの無礼者は、恐縮して上半身裸になって(肉袒)郭解に詫びました。この一件を聞いた若者たちは、ますます郭解の人柄を慕うようになったといいます。ここに、自省と度量についての教訓があります。第一に、相手の無礼や非を責める前に、まず自分の至らなさを省みること(是吾德不修也)。郭解は、自分が敬われないのを、相手のせいにせず、自分の徳の不足と受け止めた。他人を責めるのは易しいが、我が身を省みるのは難しい。この自省の姿勢こそ、人物の器を示す。第二に、自分に無礼を働いた相手にさえ、報復ではなく、恩をもって報いる度量。郭解は、無礼者を罰するどころか、陰で庇護した。恨みに恩で報いる度量が、かえって人の心を動かす。第三に、そうした度量は、見せびらかすのではなく、ひそかに行うこと(陰かに庇護した)。組織や人間関係で、相手の無礼や非を責める前にまず自分を省みること、無礼を働いた相手にも報復でなく度量をもって接すること、そして善意はひそかに行うこと——郭解の自省は、真の度量とは何かを教えます。
この章句が説くこと
郭解是吾徳不修也相手を責める前に自分を省みる自省無礼に恩で報いる度量報復しない
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