史記 / 酷吏列伝
所治卽上意所欲罪,予監史深禍者;卽上意所欲釋,與監史輕平者。所治卽豪,必舞文巧詆;卽下戸羸弱,時口言,雖文致法,上財察。於是往往釋湯所言。湯至於大吏,内行修也。通賓客飲食。於故人子弟爲吏及貧昆弟,調護之尤厚。其造請諸公,不避寒暑。是以湯雖文深意忌不專平,然得此聲譽。而刻深吏多爲爪牙用者,依於文學之士。丞相弘數稱其美。及治淮南、衡山、江都反獄,皆窮根本。嚴助及伍被,上欲釋之。湯爭曰:「伍被本畫反謀,而助親幸出入禁闥爪牙臣,乃交私諸侯如此,弗誅,後不可治。」於是上可論之。其治獄所排大臣自爲功,多此類。於是湯益尊任,遷爲御史大夫。會渾邪等降,漢大興兵伐匈奴,山東水旱,貧民流徙,皆仰給縣官,縣官空虚。於是丞上指,請造白金及五銖錢,籠天下鹽鐵,排富商大賈,出告緡令,鉏豪彊并兼之家,舞文巧詆以輔法。湯毎朝奏事,語國家用,日晏,天子忘食。丞相取充位,天下事皆決於湯。百姓不安其生,騷動,縣官所興,未獲其利,姦吏并侵漁,於是痛繩以罪。則自公卿以下,至於庶人,咸指湯。湯嘗病,天子至自視病,其隆貴如此。匈奴來請和親,群臣議上前。博士狄山曰:「和親便。」
新字:所治即上意所欲罪,予監史深禍者;即上意所欲釈,与監史軽平者。所治即豪,必舞文巧詆;即下戸羸弱,時口言,雖文致法,上財察。於是往往釈湯所言。湯至於大吏,内行修也。通賓客飲食。於故人子弟為吏及貧昆弟,調護之尤厚。其造請諸公,不避寒暑。是以湯雖文深意忌不専平,然得此声誉。而刻深吏多為爪牙用者,依於文学之士。丞相弘数称其美。及治淮南、衡山、江都反獄,皆窮根本。厳助及伍被,上欲釈之。湯争曰:「伍被本画反謀,而助親幸出入禁闥爪牙臣,乃交私諸侯如此,弗誅,後不可治。」於是上可論之。其治獄所排大臣自為功,多此類。於是湯益尊任,遷為御史大夫。会渾邪等降,漢大興兵伐匈奴,山東水旱,貧民流徙,皆仰給県官,県官空虚。於是丞上指,請造白金及五銖銭,籠天下塩鉄,排富商大賈,出告緡令,鉏豪彊并兼之家,舞文巧詆以輔法。湯毎朝奏事,語国家用,日晏,天子忘食。丞相取充位,天下事皆決於湯。百姓不安其生,騷動,県官所興,未獲其利,姦吏并侵漁,於是痛縄以罪。則自公卿以下,至於庶人,咸指湯。湯嘗病,天子至自視病,其隆貴如此。匈奴来請和親,群臣議上前。博士狄山曰:「和親便。」
書き下し
治むる所即し上の意の罪せんと欲する所ならば、監史の深禍なる者に予へ、即し上の意の釈さんと欲する所ならば、監史の軽平なる者に与ふ。治むる所即し豪ならば、必ず文を舞はし巧みに詆る。即し下戸の羸弱ならば、時に口もて言ふ、文もて法を致すと雖も、上財察せよと。是に於て往往にして湯の言ふ所を釈す。湯大吏に至り、内行修まる。賓客に通じて飲食す。故人の子弟の吏為る及び貧しき昆弟に於て、之を調護すること尤も厚し。其の諸公に造り請ふこと、寒暑を避けず。是を以て湯は文深く意忌にして専ら平らかならずと雖も、然れども此の声誉を得たり。而して刻深の吏の多く爪牙の用を為す者は、文学の士に依る。丞相弘数々其の美を称す。淮南・衡山・江都の反獄を治むるに及び、皆根本を窮む。厳助及び伍被、上之を釈さんと欲す。湯争ひて曰く、「伍被は本反謀を画す、而して助は親幸して禁闥に出入する爪牙の臣なり、乃ち諸侯と交私すること此くの如し、誅せずんば、後に治むべからず」と。是に於て上之を論ずるを可とす。其の獄を治めて大臣を排して自ら功と為すこと、多く此の類なり。是に於て湯益々尊任せられ、遷りて御史大夫と為る。会々渾邪等降り、漢大いに兵を興して匈奴を伐つ、山東水旱あり、貧民流徙し、皆給を県官に仰ぐ、県官空虚なり。是に於て上の指を丞け、請ひて白金及び五銖銭を造り、天下の塩鉄を籠め、富商大賈を排し、告緡令を出だし、豪彊并兼の家を鉏き、文を舞はし巧みに詆りて以て法を輔く。湯朝する毎に事を奏し、国家の用を語り、日晏れ、天子食を忘る。丞相は充位を取るのみ、天下の事皆湯に決す。百姓其の生に安んぜず、騒動す、県官の興す所、未だ其の利を獲ず、姦吏并びに侵漁す、是に於て痛く縄するに罪を以てす。則ち公卿以下より、庶人に至るまで、咸湯を指す。湯嘗て病む、天子自ら至りて病を視る、其の隆貴なること此くの如し。匈奴来たりて和親を請ふ、群臣上の前に議す。博士狄山曰く、「和親便なり」と。
現代語訳
取り調べる事件が、主上が罪にしたいと思っているものであれば、厳しく処断する監史(取調官)に任せ、主上が許したいと思っているものであれば、寛大で公平な監史に任せた。取り調べる相手が豪族であれば、必ず法文をもてあそび巧みに罪に陥れた。相手が貧しく弱い庶民であれば、時に口頭で「法文の上では罪に当たるが、主上のご裁量でお察しいただきたい」と申し上げた。そのため、張湯が言った者はしばしば許された。張湯は高官になっても、私生活の行いはきちんとしていた。賓客と交わって飲食をともにした。旧友の子弟で役人になった者や、貧しい兄弟たちには、とくに手厚く面倒を見た。諸公のもとを訪ねるときは、寒さ暑さもいとわなかった。それで張湯は、法の運用が厳しく猜疑心が強く、公平一筋ではなかったにもかかわらず、このような評判を得たのである。また手足として使われる苛酷な役人の多くは、学問のある士を頼みにしていた。丞相の公孫弘はたびたび張湯の長所をほめた。淮南・衡山・江都の謀反事件を取り調べると、いずれも根本まで追及した。厳助と伍被については、主上は許そうとした。張湯は争って言った。「伍被はもともと謀反の計画を立てた者である。厳助は寵愛されて宮中に出入りする側近の臣でありながら、このように諸侯とひそかに交わっていた。誅さなければ、後々治められなくなる」。そこで主上は二人を処罰することを許した。獄を取り調べて大臣を退け、それを自分の手柄とすることは、たいていこの類であった。こうして張湯はますます尊ばれ重用され、昇進して御史大夫となった。ちょうど渾邪王らが投降し、漢は大いに兵を起こして匈奴を討ち、山東では洪水や日照りがあり、貧しい民は流浪して、みな役所の支給に頼ったので、国庫は空になった。そこで張湯は主上の意向を受けて、白金(銀と錫の貨幣)と五銖銭の鋳造を願い出、天下の塩と鉄を国が独占し、豪商や大商人を退け、告緡令(財産を隠した者を密告させる法)を出し、豪族や土地を兼併する家を根こそぎにし、法文をもてあそび巧みに罪に陥れて法を補強した。張湯は朝廷に出るたびに政務を奏上し、国家の財政を語り、日が暮れるまで続いて、天子は食事も忘れるほどであった。丞相はただ位を埋めているだけで、天下のことはすべて張湯によって決められた。民は暮らしに安んじられず、騒ぎ立った。役所が興した事業はまだその利益が上がらないのに、悪賢い役人たちがこぞってかすめ取ったので、厳しく罪をもって取り締まった。こうして公卿から庶民に至るまで、みな張湯を指さして非難した。張湯が病気になったとき、天子は自ら見舞いに訪れた。それほどまでに重んじられていたのである。匈奴が来て和親を願い出たとき、群臣が主上の前で議論した。博士の狄山は言った。「和親が得策である」。
解説
関連する章句
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史記 酷吏列伝父死して後、湯長安の吏と為ること、之を久しくす。周陽侯始め諸卿為りし時、嘗て長安に繋がる、湯身を傾けて之が為にす。出でて侯と為るに及び、大いに湯と交はり、遍く湯を貴人に見えしむ。湯内史に給事し、寧成の掾と為る、湯を以て害無しと為し、大府に言ひ、調して茂陵の尉と為し、方中を治めしむ。武安侯丞相と為り、湯を徴して史と為し、時に之を天子に薦言し、御史に補し、事を案ぜしむ。陳皇后の蠱獄を治め、深く党与を竟む。是に於て上以て能と為し、稍く遷りて太中大夫に至る。趙禹と共に諸律令を定め、務めは文を深くし、職を守るの吏を拘するに在り。已にして趙禹遷りて中尉と為り、徙りて少府と為る、而して張湯廷尉と為る、両人交驩し、而して禹に兄事す。禹人と為り廉倨なり。吏と為りて以来、舎に食客毋し。公卿相造りて禹に請ふも、禹終に報謝せず、務めて知友賓客の請を絶ち、孤立して一意を行ふのみ。文法を見れば輒ち取り、亦覆案せず、官属の陰罪を求む。湯人と為り詐多く、智を舞はして以て人を御す。始め小吏為りしとき、乾没し、長安の富賈田甲・魚翁叔の属と交私す。九卿に列するに及び、天下の名士大夫を収接し、己の心内に合はずと雖も、然れども陽に浮慕す。是の時上方に文学に郷ふ、湯大獄を決し、古義に傅けんと欲し、乃ち博士弟子の尚書・春秋を治むるものを請ひて廷尉史に補し、疑法を亭す。疑事を奏讞するに、必ず豫め先に上の為に其の原を分別し、上の是とする所は、受けて讞決の法を廷尉の絜令に著し、主の明を揚ぐ。事を奏して即し譴めらるれば、湯応じて謝し、上の意の便とする所に郷ひ、必ず正・監・掾史の賢者を引きて、曰く、「固より臣の為に議す、上の臣を責むるが如し、臣用ひず、愚にして此に抵る」と。罪常に釈さる。間々事を奏して、上之を善しとすれば、曰く、「臣此の奏を為るを知るに非ず、乃ち正・監・掾史某之を為る」と。其の吏を薦めんと欲するや、人の善を揚げ人の過ちを蔽ふこと此くの如し。
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史記 酷吏列伝上其の便を問ふ、山曰く、「兵は凶器なり、未だ数々動かし易からず。高帝匈奴を伐たんと欲し、大いに平城に困しみ、乃ち遂に和親を結ぶ。孝恵・高后の時、天下安楽なり。孝文帝の匈奴を事とせんと欲するに及び、北辺蕭然として兵に苦しむ。孝景の時、呉楚七国反し、景帝両宮の間を往来し、寒心すること数月。呉楚已に破れ、景帝を竟ふるまで兵を言はず、天下富実す。今陛下兵を挙げて匈奴を撃ちてより、中国以て空虚にして、辺民大いに困貧す。此に由りて之を観れば、和親に如かず」と。上湯に問ふ、湯曰く、「此れ愚儒にして、知無し」と。狄山曰く、「臣は固より愚忠なり、御史大夫湯の若きは乃ち詐忠なり。湯の淮南・江都を治むるが若き、深文を以て痛く諸侯を詆り、骨肉を別疎し、蕃臣をして自ら安んぜざらしむ。臣固より湯の詐忠為るを知る」と。是に於て上色を作して曰く、「吾生をして一郡に居らしめば、能く虜をして入りて盗ましむる無からんか」と。曰く、「能はず」と。曰く、「一県に居らしめば」と。対へて曰く、「能はず」と。復た曰く、「一障の間に居らしめば」と。山自ら弁窮まりて且に吏に下されんとするを度り、曰く、「能くせん」と。是に於て上山を遣はして鄣に乗らしむ。月余に至りて、匈奴山の頭を斬りて去る。是より以後、群臣震慴す。湯の客田甲は、賈人なりと雖も、賢操有り。始め湯小吏為りし時、銭を与に通ず、湯大吏と為るに及び、甲の湯の行義の過失を責むる所以、亦烈士の風有り。湯御史大夫為ること七歳にして、敗る。河東の人李文嘗て湯と卻有り、已にして御史中丞と為り、恚りて、数々中の文書の事より以て湯を傷つくべき者有らば、地を為すこと能はず。湯に愛する所の史魯謁居有り、湯の平らかならざるを知り、人をして蜚変を上らしめて文の姦事を告げしむ、事湯に下る、湯治めて文を論殺す、而して湯心に謁居の之を為すを知る。上問ひて曰く、「変事を言ふ縦跡安くより起こる」と。湯詳り驚きて曰く、「此れ殆ど文の故人之を怨むならん」と。
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史記 酷吏列伝湯数々丞相の事を行ふ、此の三長史の素より貴きを知り、常に之を淩折す。故を以て三長史合謀して曰く、「始め湯君と謝せんことを約し、已にして君を売る。今君を劾するに宗廟の事を以てせんと欲す、此れ君に代はらんと欲するのみ。吾湯の陰事を知る」と。吏をして湯の左の田信等を捕へ案ぜしめ、曰く湯且に奏請せんと欲すれば、信輒ち先に之を知り、物を居へて富を致し、湯と之を分かつと、及び他の姦事あり。事の辞頗る聞こゆ。上湯に問ひて曰く、「吾の為す所、賈人輒ち先に之を知り、益々其の物を居ふ、是れ類ひ吾が謀を以て之に告ぐる者有るなり」と。湯謝せず。湯又詳り驚きて曰く、「固より宜しく有るべし」と。減宣も亦謁居等の事を奏す。天子果して湯を以て詐を懐き面欺すと為し、使ひ八輩をして湯を簿責せしむ。湯具に自ら此れ無しと道ひ、服せず。是に於て上趙禹をして湯を責めしむ。禹至り、湯を譲めて曰く、「君何ぞ分を知らざるや。君の治めて夷滅する所の者幾何人ぞや。今人君を言ふに皆状有り、天子重ねて君を獄に致し、君をして自ら計を為さしめんと欲す、何ぞ多く以て簿に対ふるを為さんや」と。湯乃ち書を為りて謝して曰く、「湯尺寸の功無く、刀筆の吏より起こり、陛下幸ひに致して三公と為す、以て責を塞ぐ無し。然れども謀りて湯を罪に陥るる者は、三長史なり」と。遂に自殺す。湯死し、家産の直五百金に過ぎず、皆得る所の奉賜にして、他の業無し。昆弟諸子厚く湯を葬らんと欲す、湯の母曰く、「湯は天子の大臣為り、汚悪の言を被りて死す、何ぞ厚く葬らんや」と。載するに牛車を以てし、棺有りて槨無し。天子之を聞きて、曰く、「此の母に非ずんば此の子を生むこと能はず」と。乃ち尽く案じて三長史を誅す。丞相青翟自殺す。田信を出だす。上湯を惜しむ。稍く其の子安世を遷す。趙禹中ごろ廃せられ、已にして廷尉と為る。始め条侯以為へらく禹は賊深なりと、任ぜず。禹少府と為るに及び、九卿に比す。禹は酷急なり、晩節に至り、事益々多く、吏務めて厳峻を為す、而して禹の治は加々緩やかにして、名づけて平と為す。
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史記 酷吏列伝謁居病みて閭里の主人に臥す、湯自ら往きて疾を視、謁居の為に足を摩す。趙国は冶鋳を以て業と為す、王数々鉄官の事を訟ふ、湯常に趙王を排す。趙王湯の陰事を求む。謁居嘗て趙王を案ず、趙王之を怨み、并せて上書して告ぐ、「湯は、大臣なり、史謁居病有り、湯至りて為に足を摩す、疑ふらくは与に大姦を為すならん」と。事廷尉に下る。謁居病死す、事其の弟に連なり、弟導官に繋がる。湯も亦他の囚を導官に治む、謁居の弟を見、陰に之が為にせんと欲し、而して詳りて省みず。謁居の弟知らず、湯を怨み、人をして上書して湯と謁居と謀りて、共に李文を変告せしを告げしむ。事減宣に下る。宣嘗て湯と卻有り、此の事を得るに及び、其の事を窮竟するも、未だ奏せざるなり。会々人の孝文園の瘞銭を盗み発く者有り、丞相青翟朝し、湯と約して倶に謝せんとす、前に至り、湯念ふに独り丞相のみ四時を以て園を行る、当に謝すべし、湯は与る無しと、謝せず。丞相謝す、上御史をして其の事を案ぜしむ。湯其の文を丞相の見知に致さんと欲す、丞相之を患ふ。三長史皆湯を害し、之を陥れんと欲す。始め長史朱買臣は、会稽の人なり。春秋を読む。荘助人をして買臣を言はしむ、買臣楚辞を以て助と倶に幸せられ、侍中となり、太中大夫と為りて、事を用ふ。而して湯は乃ち小吏為り、買臣等の前に跪伏して使はる。已にして湯廷尉と為り、淮南の獄を治め、荘助を排擠す、買臣固より心に望む。湯御史大夫と為るに及び、買臣会稽守を以て主爵都尉と為り、九卿に列す。数年にして、法に坐して廃せられ、長史を守す、湯に見ゆるに、湯床上に坐し、丞史買臣を遇して礼を為さず。買臣は楚の士なり、深く怨み、常に之を死なしめんと欲す。王朝は、斉人なり。術を以て右内史に至る。辺通は、長短を学ぶ、剛暴にして彊き人なり、官再び済南の相に至る。故より皆湯の右に居る、已にして官を失ひ、長史を守し、体を湯に詘す。
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史記 酷吏列伝縦至り、定襄の獄中の重罪の軽く繋がるる二百余人、及び賓客昆弟の私に入りて相視る亦二百余人を掩ふ。縦一に捕鞠して、曰く「死罪の為に解脱せしむ」と。是の日皆報じて四百余人を殺す。其の後郡中寒からずして栗へ、猾民吏を佐けて治を為す。是の時趙禹・張湯深刻を以て九卿と為る、然れども其の治尚ほ寛にして、法を輔けて行ふ、而して縦は鷹撃毛摯を以て治を為す。後に会々五銖銭・白金起こり、民姦を為す、京師尤も甚し、乃ち縦を以て右内史と為し、王温舒を中尉と為す。温舒は至悪なり、其の為す所先に縦に言はざれば、縦必ず気を以て之を淩ぎ、其の功を敗壊す。其の治、誅殺する所甚だ多し、然れども小治を為すを取り、姦益々勝へず、直指始めて出づ。吏の治は斬殺縛束を以て務めと為し、閻奉悪を以て用ひらる。縦は廉なり、其の治郅都に放ふ。上鼎湖に幸し、病久しく、已にして卒かに起ちて甘泉に幸す、道多く治まらず。上怒りて曰く、「縦我を以て復た此の道を行かずと為すか」と。之を嗛む。冬に至り、楊可方に告緡を受く、縦以て此れ民を乱すと為し、吏を部して其の可が使ひ為る者を捕へしむ。天子聞き、杜式をして治めしむ、以て廃格沮事と為し、縦を市に棄つ。後一歳にして、張湯も亦死す。王温舒は、陽陵の人なり。少き時椎埋して姦を為す。已にして試みに県の亭長に補せらるるも、数々廃せらる。吏と為り、獄を治むるを以て廷史に至る。張湯に事へ、遷りて御史と為る。盗賊を督し、殺傷甚だ多し、稍く遷りて広平の都尉に至る。郡中の豪にして敢て任ずる吏十余人を択び、以て爪牙と為し、皆其の陰の重罪を把り、而して縦ちて盗賊を督せしめ、其の意の得んと欲する所を快くす。此の人百罪有りと雖も、法せず。即し避くる有らば、其の事に因りて之を夷ぐ、亦宗を滅ぼす。其の故を以て斉趙の郊の盗賊敢て広平に近づかず、広平声あり道に遺ちたるを拾はずと為す。上聞き、遷して河内太守と為す。
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史記 汲鄭列伝陛下縦ひ匈奴の資を得て以て天下に謝すること能はずとも、又微文を以て無知の者五百余人を殺す、是れ所謂『其の葉を庇ひて其の枝を傷つく』る者なり、臣窃かに陛下の為に取らざるなり」と。上黙然として、許さず、曰く、「吾久しく汲黯の言を聞かず、今又復た妄りに発す」と。後数月、黯小法に坐し、赦に会ひて官を免ぜらる。是に於て黯田園に隠る。居ること数年、会々五銖銭を更む、民多く盗みて銭を鋳る、楚の地尤も甚し。上以為へらく淮陽は、楚の地の郊なりと、乃ち召して黯を拝して淮陽太守と為す。黯伏して謝して印を受けず、詔数々彊ひて予へ、然る後に詔を奉ず。詔して黯を召見す、黯上の為に泣きて曰く、「臣自ら以為へらく溝壑を填め、復た陛下に見えずと、意はざりき陛下復た之を収用せんとは。臣常に狗馬の病有り、力郡の事に任ずること能はず、臣願はくは中郎と為り、禁闥に出入し、過ちを補ひ遺れたるを拾はん、臣の願ひなり」と。上曰く、「君淮陽を薄んずるか。吾今君を召さん。顧ふに淮陽の吏民相得ず、吾徒だ君の重きを得て、臥して之を治めしめんとするのみ」と。黯既に辞して行き、大行李息を過りて、曰く、「黯棄てられて郡に居り、朝廷の議に与るを得ざるなり。然れども御史大夫張湯は智は以て諫めを拒ぐに足り、詐は以て非を飾るに足り、巧佞の語、弁数の辞を務め、肯へて正しく天下の為に言ふに非ず、専ら主の意に阿る。主の意の欲せざる所は、因りて之を毀り、主の意の欲する所は、因りて之を誉む。好んで事を興し、文法を舞はし、内に詐を懐きて以て主の心を御し、外に賊吏を挟みて以て威重と為す。公は九卿に列す、早く之を言はずんば、公之と倶に其の僇を受けん」と。息湯を畏れ、終に敢て言はず。黯郡に居ること故の治の如く、淮陽の政清し。後に張湯果して敗る、上黯の息と言ふを聞き、息を罪に抵つ。黯をして諸侯の相の秩を以て淮陽に居らしむ。七歳にして卒す。卒して後、上黯の故を以て、其の弟汲仁を官して九卿に至らしめ、子汲偃は諸侯の相に至る。
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