史記 / 酷吏列伝
髙后時,酷吏獨有侯封,刻轢宗室,侵辱功臣。呂氏已敗,遂夷侯封之家。孝景時,晁錯以刻深頗用術輔其資,而七國之亂,發怒於錯,錯卒以被戮。其後有郅都、寧成之屬。郅都者,楊人也。以郎事孝文帝。孝景時,都爲中郎將,敢直諫,面折大臣於朝。嘗從入上林,賈姬如廁,野彘卒入廁。上目都,都不行。上欲自持兵救賈姬,都伏上前曰:「亡一姬復一姬進,天下所少寧賈姬等乎?陛下縱自輕,柰宗廟太后何!」上還,彘亦去。太后聞之,賜都金百斤,由此重郅都。濟南瞯氏宗人三百餘家,豪猾,二千石莫能制,於是景帝乃拜都爲濟南太守。至則族瞯氏首惡,餘皆股栗。居歳餘,郡中不拾遺。旁十餘郡守畏都如大府。
新字:高后時,酷吏独有侯封,刻轢宗室,侵辱功臣。呂氏已敗,遂夷侯封之家。孝景時,晁錯以刻深頗用術輔其資,而七国之乱,発怒於錯,錯卒以被戮。其後有郅都、寧成之属。郅都者,楊人也。以郎事孝文帝。孝景時,都為中郎将,敢直諫,面折大臣於朝。嘗従入上林,賈姫如廁,野彘卒入廁。上目都,都不行。上欲自持兵救賈姫,都伏上前曰:「亡一姫復一姫進,天下所少寧賈姫等乎?陛下縦自軽,柰宗廟太后何!」上還,彘亦去。太后聞之,賜都金百斤,由此重郅都。済南瞯氏宗人三百余家,豪猾,二千石莫能制,於是景帝乃拝都為済南太守。至則族瞯氏首悪,余皆股栗。居歳余,郡中不拾遺。旁十余郡守畏都如大府。
書き下し
高后の時、酷吏は独り侯封有り、宗室を刻轢し、功臣を侵辱す。呂氏已に敗れ、遂に侯封の家を夷ぐ。孝景の時、晁錯刻深を以て頗る術を用ひて其の資を輔く、而して七国の乱、怒りを錯に発す、錯卒に以て戮せらる。其の後郅都・寧成の属有り。郅都は、楊の人なり。郎を以て孝文帝に事ふ。孝景の時、都中郎将と為り、敢て直諫し、大臣を朝に面折す。嘗て従ひて上林に入る、賈姫廁に如く、野彘卒かに廁に入る。上都に目す、都行かず。上自ら兵を持して賈姫を救はんと欲す、都上の前に伏して曰く、「一姫を亡へば復た一姫進む、天下に少き所は寧ろ賈姫等ならんや。陛下縦ひ自ら軽んずとも、宗廟・太后を柰何せん」と。上還る、彘も亦去る。太后之を聞き、都に金百斤を賜ふ、此に由りて郅都を重んず。済南の瞯氏の宗人三百余家、豪猾にして、二千石能く制する莫し、是に於て景帝乃ち都を拝して済南太守と為す。至るや則ち瞯氏の首悪を族し、余は皆股栗す。居ること歳余、郡中遺ちたるを拾はず。旁の十余郡の守都を畏るること大府の如し。
現代語訳
高后(呂后)の時代、酷吏としてはただ侯封という者がいて、皇族を厳しく押しつぶし、功臣を侮辱した。呂氏が敗れると、侯封の一家は皆殺しにされた。孝景帝の時代には、晁錯が苛酷で厳格な性格から、かなり法術を用いて自分の才能を補ったが、呉楚七国の乱では諸侯の怒りが晁錯に向けられ、晁錯はついに処刑された。その後、郅都(しつと)・寧成らが現れた。郅都は楊の人である。郎として孝文帝に仕えた。孝景帝の時代、郅都は中郎将となり、恐れず直言して諫め、朝廷で大臣を面と向かってやりこめた。あるとき主上に従って上林苑に入ると、賈姫(景帝の側室)が厠に行ったところへ、野猪が突然厠に入り込んだ。主上は郅都に目配せしたが、郅都は動かなかった。主上が自ら武器を持って賈姫を救おうとすると、郅都は主上の前にひれ伏して言った。「一人の姫を失っても、また別の姫が進み出るだけである。天下に賈姫のような者が少ないとでもいうのか。陛下がたとえご自分を軽んじられても、宗廟と太后をどうなさるおつもりか」。主上は引き返し、猪もまた去って行った。太后はこれを聞くと、郅都に金百斤を賜い、これ以来郅都を重んじた。済南の瞯(かん)氏の一族三百余家は、勢力があって悪賢く、二千石の長官も抑えることができなかった。そこで景帝は郅都を済南太守に任じた。郅都は着任するとすぐに瞯氏の首謀者を一族皆殺しにし、残りの者はみな股を震わせて恐れた。一年余りたつと、郡の中では道に落ちた物を拾う者もいなくなった。近隣の十余郡の太守は、郅都を上級の役所のように恐れた。
解説
関連する章句
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史記 酷吏列伝郅都遷りて中尉と為る。丞相条侯至って貴く倨るなり、而して都丞相に揖す。是の時民樸にして、罪を畏れて自ら重んず、而して都独り厳酷を先にし、法を行ふを致して貴戚を避けず、列侯宗室都を見れば目を側めて視る、号して「蒼鷹」と曰ふ。臨江王徴されて中尉府に詣りて対簿す、臨江王刀筆を得て書を為りて上に謝せんと欲す、而して都吏を禁じて予へず。魏其侯人をして間を以て臨江王に与へしむ。臨江王既に書を為りて上に謝し、因りて自殺す。竇太后之を聞き、怒り、危法を以て都を中つ、都免ぜられて家に帰る。孝景帝乃ち使ひをして節を持して都を拝して鴈門太守と為さしめ、而して便道より官に之き、便宜を以て事に従ふを得しむ。匈奴素より郅都の節を聞く、辺に居るや、為に兵を引きて去り、郅都の死するを竟ふるまで鴈門に近づかず。匈奴偶人を為りて郅都に象り、騎をして馳せて射しむるに能く中つる莫し、憚らるること此くの如し。匈奴之を患ふ。竇太后乃ち竟に都を中つるに漢法を以てす。景帝曰く、「都は忠臣なり」と。之を釈さんと欲す。竇太后曰く、「臨江王は独り忠臣に非ざるか」と。是に於て遂に郅都を斬る。寧成は、穣の人なり。郎謁者を以て景帝に事ふ。
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史記 酷吏列伝王温舒等後に起こり、治むること禹より酷なり。禹老いたるを以て、徙りて燕の相と為る。数歳にして、乱悖して罪有り、免ぜられて帰る。湯に後るること十余年、寿を以て家に卒す。義縦は、河東の人なり。少年為りし時、嘗て張次公と倶に攻剽して群盗と為る。縦に姊姁有り、医を以て王太后に幸せらる。王太后問ふ、「子兄弟の官為る者有るか」と。姊曰く、「弟有るも行ひ無し、不可なり」と。太后乃ち上に告げ、義姁の弟縦を拝して中郎と為し、上党郡中の令に補す。治むること敢行にして、蘊藉少なし、県に逋事無く、挙げられて第一と為る。遷りて長陵及び長安の令と為り、法を直くし治を行ひ、貴戚を避けず。太后の外孫修成君の子仲を捕へ案ずるを以て、上以て能と為し、遷して河内の都尉と為す。至れば則ち其の豪穣氏の属を族滅し、河内道に遺ちたるを拾はず。而して張次公も亦郎と為り、勇悍を以て軍に従ひ、敢て深く入り、功有り、岸頭侯と為る。寧成家居す、上以て郡守と為さんと欲す。御史大夫弘曰く、「臣山東に居りて小吏為りし時、寧成済南の都尉為り、其の治狼の羊を牧するが如し。成は民を治めしむべからず」と。上乃ち成を拝して関の都尉と為す。歳余にして、関東の吏隷の郡国の関を出入する者、号して曰く「寧ろ乳虎を見るとも、寧成の怒りに値ふ無かれ」と。義縦河内より遷りて南陽太守と為る、寧成の家南陽に居ると聞く、縦の関に至るに及び、寧成側行して送迎す、然れども縦気盛んにして、礼を為さず。郡に至り、遂に寧氏を案じ、尽く其の家を破砕す。成罪有るに坐し、及び孔・暴の属皆奔亡し、南陽の吏民足を重ねて跡を一にす。而して平氏の朱彊・杜衍の杜周縦の牙爪の吏と為り、任用せられ、遷りて廷史と為る。軍数々定襄に出で、定襄の吏民乱敗す、是に於て縦を徙して定襄太守と為す。
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