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史記 / 酷吏列伝

郅都為人勇、気力有り、公廉にして、私書を発せず、問遺受くる所無く、請寄聴く所無し。常に自ら称して曰、已に親に倍きて仕ふ、身固より当に職を奉じ節に死し官下にすべく、終に妻子を顧みざるなりと。

書き下し

郅都の為人勇にして、気力有り、公廉にして、私書を発せず、問遺受くる所無く、請寄聴く所無し。常に自ら称して曰く、「已に親に倍きて仕ふ、身固より当に職を奉じ節に死し官下にすべく、終に妻子を顧みざるなり」と。

現代語訳

「私情や便宜をいっさい受けつけず、職責に命を懸ける」——苛烈さで知られた官吏・郅都の、公正無私を描いた一段です。郅都は、後に「酷吏(苛酷な役人)」と評される厳しい人物でしたが、その公正さと清廉さは、際立っていました。彼は勇気と気力にあふれ、そして何より「公廉(公正で清廉)」でした。具体的には——コネや口利きを頼む私的な手紙を、いっさい取り次がず(不發私書)、贈り物や付け届けを、まったく受け取らず(問遺無所受)、縁故による頼み事に、けっして耳を貸さなかった(請寄無所聽)。あらゆる私情と便宜を、断固として退けたのです。彼は、常づね自らこう言っていました。「私は、(郷里の)親のもとを離れて役人となった以上、この身は、当然、職責を全うし、節義のために死ぬ覚悟で、任地に尽くすべきものだ。妻子のことなど、もはや顧みない(已倍親而仕、身固當奉職死節官下、終不顧妻子矣)」と。私的な情や利害を捨て、ただ職責に命を懸ける——その徹底した公正無私が、彼の力の源でした。ここに、公正無私についての教訓があります。第一に、コネ・付け届け・縁故の頼み事といった私的な便宜を、いっさい受けつけないこと(不發私書、問遺無所受、請寄無所聽)。郅都は、あらゆる私情の入り込む余地を、断固として断った。少しでも便宜を受け入れれば、そこから公正は崩れる。第二に、こうした徹底した清廉さが、その人の判断と行動に、揺るがぬ力を与えるということ。私的なしがらみがないからこそ、郅都は誰に対しても公正に、恐れなく職務を執行できた。清廉さは、束縛からの自由でもある。第三に、公の職責を果たすことに、私的な情や利害を超えた使命感を持つこと(奉職死節)。ただし——この篇は、郅都の公正無私を認めつつ、その苛烈さ(厳酷)が行き過ぎた面も描いており、清廉さと苛酷さは別物であることも示唆しています。清廉さは範とすべきですが、それが過度の厳しさと結びつくと、また別の問題を生む。組織や仕事で、私的な便宜やコネの頼み事をいっさい受けつけないこと、清廉さが判断と行動に揺るがぬ力を与えると知ること、そして公の職責に私利を超えた使命感を持つこと——郅都の公正無私は、清廉であることの力を教えます。

解説

あなたは、コネや付け届け、縁故による頼み事といった私的な便宜を、いっさい受けつけずにいられていますか?私的なしがらみがないからこそ、誰に対しても公正に、恐れなく判断・行動できるという、清廉さの力を実感していますか?自分の職責を果たすことに、私的な情や利害を超えた使命感を持ちつつ、その厳しさが過度に走らないよう、バランスを保てていますか?

この一句を、あなたの毎日に。

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